1章13 Cat on site ⑥
――どうしてこんなことになったんだろうか。
目の前に立つ恐ろしい男を茫然と見上げながら、そんなことばかりが頭に浮かんだ。
この状況から逃れようだとか、打開をしようだとか、そういった方向には思考は一切向かない。
今にして思えば、こうなる前にもっと早く逃げ出すチャンスはあったように思える。
目の前で起こる惨劇も、響き止まぬ大勢の悲鳴も、まるでモニターに映し出された光景を見るように、どこか他人事として見ていた。
その結末がきっとこれなのだろう。
「貴様はおぱんつを穿いているのか?」
どうしてそんなことを聞くのだろう。
突然道の真ん中でよく知らない男性にそんなことを聞かれて、何と答えることが最適なのか。そんなことは自分は知らない。
だって仕方ないではないか。
男の人からそんなことを聞かれるような乱れた生活は送ってきていないのだ。真面目に大人しく日々を過ごしてきた。
なのに、昨日も今日も、こんなのはあんまりではないか。
そんな悪態をつきたくなるが、心情とは裏腹に彼女に出来たのはただ力なく首を横に振ることだけだった。
それを見た目の前の男が訝し気に眉を歪めたのが見えて、その顔がとても恐ろし気に見えてビクっと肩を揺らす。恐怖心はより加速する。
「それは穿いていない、という意味か? 貴様、まさか『おぱんつレス』の者か?」
――違う。
実際のところ彼の言っていることはさっぱりわからなかったが、乙女としてそれは絶対に否定しなければならないと、そう強い気持ちが湧きあがる。
しかし、それも裏腹。
自分の口からは言葉は何も出てはこず、ただ情けない顏でふにゃっと愛想笑いを浮かべた。
自分はいつもこうだ。ちゃんと拒否をしたり抵抗をしたりできないからこうなるのだ。
自省の念は浮かぶものの行動には反映されず、じわっと染み出てきた涙が零れ落ちぬように、また彼を刺激したりせぬように愛想笑いのまま表情を固める。
きっとひどく不細工な笑顔になっていることだろう。
多分、抗わなければならないのだと思う。
だが、下手に抵抗や反抗をして乱暴に扱われるよりは、機嫌を損ねぬよう従順になった方がせめて優しくしてもらえるかもしれない。
この場には大勢の人間がいる。
だが、誰もが誰も助けなかった。
当然、自分のことを助けてくれる者も誰もいないだろう。
身体の前面で緩く自身のスカートを握る。
理由はよくわからないが、彼は女生徒がきちんと下着を身に付けているかどうかを確認しているらしい。
そんなこと答えるまでもないと思うが、しっかりと答えなければいけないらしい。
だけど、それをきちんと納得してもらえるように言葉で説明をするのは今のコンディションでは難しい。
それならもう、いっそ見てもらった方が酷いことにならなそうだと自暴自棄にも似た心境になる。
ゆっくりと両手で持ち上げていく。
こんなことしたくはないし、するべきでもないが、どうせ誰も助けてくれなんか――
「――は、な、れ、ろーーーーっ‼‼」
突如割り込んできたその声に、どこか朦朧としていた意識が晴れてハッとするとほぼ同時に、空から女子高生が降ってきた。
弥堂がまた一人の生徒を毒牙にかけようとしていて、その生徒が知っている人物だったこともあり、希咲は意識せずに駆けだした。
棒立ちで暴漢を傍観する男どもや、地にへたり込む女子、辺りを逃げ惑う女子でごった返す歩道を、誰も反応が出来ない速さで人の間を縫って走り抜ける。
そして学園の敷地の内と外とを隔てる壁を蹴って宙に跳び上がった。
「は、な、れ、ろーーーーっ‼‼」
宙空でとんぼを切るように姿勢を変え、か弱い女子高生に自分でスカートを捲り上げろと命令をしているように見える不届き者に頭上から自身の体重の全てをのせて蹴りを落とす。
弥堂の判断は速かった。
声が聴こえると同時に上空へチラっと視線を向けると、希咲の蹴りを受けようとはせずに素早く後ろへ飛び退いて距離を空けた。
希咲の不意打ちは空振りする形になり、攻撃の勢いのまま地面に着地をする。
膝を曲げてしゃがむようにして衝撃を殺し、隙があれば一気に追撃をしかけようと片手を地に着けて前傾姿勢になった。
すると必然的に背後へお尻を突き出すようになり、助けた女生徒の目の前にスカートの中身を差し出してしまう恰好となる。
救助された女生徒はまだ混乱の内にいた。
助けなど来ないと絶望していたら、空からすごい勢いで女の子が降ってくるなどという衝撃体験で正気に返った。
次いで、今自分はとんでもないことをしようとしていたのでは? と気が付く。
いくらパニック状態だったからといって、自分からパンツを見せて許して貰おうだなんて、それは『なし』だろう。
だが、そのことにショックを受ける間もない。
パンツを見せようとしていたら、目の前に他の女の子のパンツが現れるという急展開の連続にとても付いていけない。
茫然としたまま、着地の衝撃でふわりと舞い上がったスカートの中から、キュッとしまった形のいいお尻を包む黒のレースで縁取られた白いサテン生地に黒の水玉模様が入ったパンツを目に映した。
(あ、可愛い下着……)
場違いな感想を浮かべながら、なんとなく隠してあげなきゃと思いつき、柔らかく浮かぶ彼女のスカートを抑えようと緩慢に手を伸ばすと、布地に指が触れるよりも早く彼女が振り返った。
「大丈夫っ⁉」
「えっ……? あの、私――」
「もう安心よ! あいつはあたしが倒したげるから!」
「た、お、す…………? って、あの――」
「さぁ、離れててっ。ここは戦場になるわ……っ!」
「せ、ん、じょ、う……?」
「はやくっ!」
「は、はい……っ!」
いまいち話を聞いてもらえなかったが、どうやら自分は助けてもらったようだと理解し、言われたとおりに数歩下がる。
その様子を確認して希咲は変質者から少女を隠すように自身の身体を線上に割り込ませた。
「好き勝手できるのもここまでよ……! このど変態……っ!」
「……どういうつもりだ貴様」
「どういうつもりだ、はこっちのセリフだっ! バカっ!」
「俺はただ風紀委員としての仕事をしているだけだ」
「女子に『パンツ穿いてるか?』って聞いて回るのが風紀委員の仕事なわけねーだろっ!」
「俺はそうは思わないな。お前らがおぱんつを穿いていなければ風紀は乱れるだろう? 違うか?」
「ノーパン女子なんていねーからっ! 昨日も似たようなこと言ったでしょ! 女子のパンツに関心を持つな!」
「必要がなければな。必要があれば例えスカートの中だろうがおぱんつの中だろうが徹底的に調査をする。そこに俺自身の興味関心など存在しない。ただの責任だ」
「必要な時なんてないから! 女子のスカートの中は、あんたの責任範囲じゃないの!」
「それを決めるのは俺でもお前でもない。俺の上司だ」
「うっさい、ヘリクツゆーな! わかってんだからね! あんたってば、あたしを困らせるためにこんなことしてんでしょ⁉ 頭おかしいんじゃないの!」
「ちょっと何を言っているのかわからないな」
ビシッと下手人を指差して聴取をするも、卑劣な性犯罪者は誠意の欠片もなくすっ呆けた。
しかし、それは想定内だ。
「つーか、問答無用よ……。ブッ飛ばして無理矢理にでもやめさせるわ」
「随分暴力的だな」
「フン……、口で言ってもわかんないんならやり過ぎるんでしょ? 今からあたしも、あんたに、やり過ぎてあげる」
「お前も意外と学習しない女だな」
「言ってろ――っ!」
言うが早いか、希咲は素早く間合いに踏み込み、先程不良たちを相手にした時よりもはるかに速く右足を跳ね上げ、弥堂の側頭部めがけて振り落とした。




