1章13 Cat on site ④
「聞こえないのか?」
低い声音で紡がれるその言葉は一切の感情の熱を感じさせず辺りの空気を突き刺すように震わせた。
その声が自分に向けられたものだということはわかっているのに、名もなき女生徒は何も応えることが出来なかった。
ただ、自身の目の前に立つ長身の男の、冷酷な瞳を嵌め込んだ顔を見上げながら固まる。
弥堂 優輝。
直接の面識は今までなかったが、風紀の狂犬などと呼ばれ、この民度があまり高いとはいえない美景台学園の中でも特に関わってはいけない、不良よりも無法で常識の通用しない頭のイカれた生徒だというのは有名な情報だ。
恐怖と緊張に身を縛られ、ハッ――ハッ――と浅く断続的に息が口から出ていく。
関わってはいけない人間だと、近づいてはいけない人間だとは知っていた。
だが、何か目立つようなものがあるわけでもなく、校則違反などとは無縁に大人しく学園生活を送っている自分のような存在に、まさか向こうからコンタクトをしてくるとは想像すらしていなかったのだ。
完全に想定外の出来事に思考を停止させてしまっていると、重ねて問われる。
「どうした。答えられんのか? まさかおぱんつを穿いていないわけではないだろうな?」
「あの、私…………ち、ちがいます……っ!」
極度の緊張と恐怖に震える中で、どうにかそれだけは否定しなければと必死に声を出した。
「違う? 何がどう違うんだ? 質問には正確に答えろ。俺はおぱんつを穿いているのかいないのかと訊いている」
「それは……っ! もちろん、その……穿いてます。穿いてないわけ、ないです……」
「そうか。では、現在そのスカートの中にはおぱんつが存在しているのだな? 間違いないか?」
「間違い、ない……ですけど。あの、一体なんなんですか……? なんでこんなことを聞くんですか……?」
同じ学園に通っているとはいえ、今までまったく面識のなかったはずの男子生徒に正面から正々堂々と自身のスカートへジロリと視線を向けられ、さすがに不信感が勝り思わず口に出る。
そう問われた弥堂は表情も良心も一切動かすことなく、目の前の怯える女生徒のスカートへ右手の人差し指を向けると――
「おぱんつ! ヨシッ!」
ビシッと指差して意気よく声を張った。
「……は…………? え……?」
いくらしっかりと着衣をしているからといって、突然に何の脈絡もなく自身の股間部分を指差して何かを確認された女生徒は戸惑うばかりだ。
言葉にならない呻きを漏らし自失していると、やがて情報処理能力の許容量をオーバーしたのか、スカートを抑えながらヘナヘナと脱力しその場にへたり込んでしまう。
そして同じく脳がフリーズしていた希咲は、罪もない通りすがりの女生徒が崩れ落ちると同時にハッと再起動する。
「コ、コラーーーーっ! あんた何してんのよっ!」
慌てて介入し、ドンと弥堂を突き飛ばして二人の間に弥堂から彼女を守るように自身の身体を滑り込ませる。
そしてすぐに被害者の容態を窺った。
「ちょっと、あなた……だいじょうぶっ……⁉」
希咲に介抱されるも女生徒は茫然自失といった様相だ。
「……わたし…………わたし……っ! …………あの……私は一体何をされたんでしょうか……?」
まるで言葉にすることを憚れるような被害にあったかのように、光を失った瞳で譫言のような言葉を漏らしたが、女生徒はすぐにハッとなり、そもそも自分が何の被害を受けたのかを把握していないことに気が付いた。
「ゴメンね……あたしにもさっぱりわかんないの…………。ゴメンね……、ゴメンね……っ!」
心配をして声をかけた相手からまるで要領の得ない答えがかえってきたのだが、希咲には彼女の気持ちがイタイほどわかってしまい、思わず感情移入をして熱くなった目頭をおさえる。
自分が謝るようなことは何一つないのだが、謝罪の言葉が止まらなかった。
しかし、すぐに女生徒がそんな自分を口を開けてボーっと見ていることに気付き、「んんっ」と喉を鳴らして体裁を整えると弥堂へ食って掛かる。
「ちょっと! あんた一体何のつもりなのよ⁉ この子に何をしたわけ……っ⁉」
またもわけのわからない状況に巻き込まれてしまったが、とりあえず勢いだけは失ってはいけないと怒声を張り上げた。
もちろん弥堂はどこ吹く風だ。
「何、だと? 決まっているだろう。リスペクトだ」
「…………は?」
期待はしていなかったが、やはりわけのわからない回答が返ってきて希咲は眉を顰める。
「俺は今、その女のおぱんつをリスペクトしたのだ。掟どおりにな」
「あんた、いったい何を言って……」
頭のおかしい言動にクラクラと眩暈を感じながら、どうにかしなければと気持ちが急く。
何をどうしてどうなればこの状況がどうにかなったことになるのかが全くわからないまま、ただ解決させなければという思いだけが空回り、実際は茫然と立ち尽くすだけだ。
そんな希咲を置きざりに、セクハラテロリストはまた群衆の中から女を一人見繕い近づいていく。
「おい、貴様」
「テっ、テメー、弥堂……っ!」
今度は随分とガラの悪い女子生徒のようだ。
「貴様。おぱんつは穿いているのか?」
「そんなもん穿いてるに決まってんだろーが! それよりもテメーにやられたせいでウチのカレシが部屋から出てこなく――」
「――おぱんつ! ヨシッ!」
「んな――っ⁉」
怒りのままに弥堂へ何かを訴えようとしていた不良女子だが、その短い制服スカートへ向けて弥堂がビシッと『指差しリスペクト』をすると、謎の衝撃を受けてゴーンっと白目を剥いた。
一体何をされたのか皆目見当がつかなかったが、何故か脳にとてつもなく負荷がかかり処理落ちしたのだ。
彼女の明るく脱色した髪の色がさらに落ちたように周囲の者たちは錯覚した。
集まった人々は騒めく。
平和な日常だと思っていた放課後の下校時間に突如起こった出来事に、一体何が起こったのか――本当に文字通り何が起こったのか理解できず全員が動揺をした。
そんな辺りの空気に構わずに弥堂は次々と女生徒たちに襲いかかる。
「――おぱんつ! ヨシッ!」
「――おぱんつ! ヨシッ!」
「――おぱんつ! ヨシッ!」
まるでヒヨコの雄雌でも仕分けるかのように、いとも簡単に、極めて作業的に、年端もいかぬ少女たちのおぱんつがこんな往来で白昼堂々と次々とリスペクトされていく。
突然巻き起こった災害のような悲劇に立ち尽くす者、逃げ惑う者、正門前は完全にパニックだ。
弥堂はまさしくやりたい放題であった。
何故そのような無体が罷り通るのかというと、それは止める者がいないからだ。
現在のこの場には、なにも女生徒だけが集まったわけではない。
ここには当然男子生徒も多くいる。
なのに、その彼らの中の誰一人として弥堂を止めようとはしなかった。
当然、何が起きているのか理解できずフリーズしてしまった者もいる。
頭のおかしいことで有名な風紀委員を恐れて、何も行動できない者もいる。
しかし、彼らの多くは謎の幸福感に包まれて動けなかったのだ。
「――おぱんつ! ヨシッ!」
弥堂が女子のスカートを指差しそう声を張ると、その光景を見ていると何故だか一定の満足感を得るのだ。
「――おぱんつ! ヨシッ!」
また一人の女子がそのおぱんつをリスペクトされゴーンっと白目を剥いた。
酷いことなのかもしれない、そう思う。
しかし、しかしだ。
何も乳を揉まれたりしているわけでもなければ、スカートを捲られたりしているわけでもない。
ただ、しっかりと着衣をした上で、一切触れられることなどなく、ただ、リスペクトをされているだけだ。
これは決して性的な行為などではなく、よってこの場も決して性暴力の現場などではない。
だって、リスペクトしてるんだもん。
じゃあ悪い事じゃないよね?
この場に居る男子生徒達の多くの思考はそのような戯言で埋め尽くされ、自問をしながら目の前の惨劇を見守るばかりだ。
他人を尊重しなさい、他人に敬意を払いなさいと教わって育った彼らは、自分に言い訳をしながら多幸感に身を任せる。
彼らは女性へのリスペクトの重要性を感じながら、自分たちの暮らすこの国へ思いを巡らす。
普段何気なく生活の中で目にする多くの女性たち。
その彼女らのほぼ全員がパンツを着用しているのだ。
当たり前のことである。
普段自分たちが当たり前のように通う学園には、自分たち男子生徒とほぼ同数の女子生徒が通っており、そしてそのほぼ全員が当たり前の様にパンツを着用している。
制服のスカートの、その見えない向こう側には女子の数だけ様々なパンツが当たり前のように存在しているのだ。
彼らはその事実に感謝をし、そしてそのスカートの向こう側へ敬意を表した。
さらに彼らの意識は昇り詰める。
この当たり前のことが当たり前のままでいる日常に感謝をし、そして自分たちを産み、育ててくれた両親へ深く感謝をする。
昨今なにかとダメだと言われがちな日本社会であるが、それでも一定の裕福さは保たれており、そしてその裕福さがほぼ全ての女性がパンツを着用することが出来る社会を作り出しているのだ。
顏も知らない先達たちが、自分が今ここでこうしている間にも労働に勤しんでくれている大人たちが、数多のパンツを生み出し支え続けてくれている。
感謝と尊敬は留まるところを知らない。
男子生徒たちは自分もやがては立派な社会人となり、この『おぱんつ社会』を支え、そして未来へと繋いでいこうと固く拳を握りしめた。
自分の頑張りが女の子のパンツを充実させる。
男として頑張らない理由など一つたりとも存在しない。
男子生徒たちは税を納めてパンツを守ることを心に誓い、そしてその中の幾人かは将来政治に携わる仕事を目指し『おぱんつ税』をこの国に制定しようという夢を描いた。
「――おぱんつ! ヨシッ!」
女性がいればそこに必ずおぱんつが存在する。
気付いてしまったその真理に彼らは興奮を禁じえなかった。
そして同時に、おぱんつを着用してくれる女性という存在へ信仰を捧げる。
下着とはそれ単体ではただの布切れに過ぎない。
しかし、そのパンツは彼女らが着用することで『おぱんつ』へと昇華する。
彼らは生まれて初めて、何かを心の底からリスペクトした。
女性をリスペクトし、おぱんつをリスペクトする。
そして自分も労働によって社会貢献することで、微力ながらも『おぱんつ社会』を支えることができるのだと、男性であることを誇った。
悟りの境地から澄んだ笑顔を浮かべた男子生徒たちは、名も知れぬ女子のおぱんつがリスペクトされる様を若干前屈みになりながら見守る。
この私立美景台学園は、一般生徒と謂えども割とその民度は最悪であった。




