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俺は普通の高校生なので、  作者: 雨ノ千雨
2章 俺は普通の高校生なので、バイト先で偶然出逢わない
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2章05 嘘と誤認のスパゲッティ ⑦


 夕方前。


 美景川の土手の下を希咲 七海(きさき ななみ)は歩いている。



 美景台学園の前を通る国道の歩道を進み、現在地は学園から少し離れた辺りだ。


 その足取りは重い。



「やっぱ、やみくもに捜し回ったってダメよね……」



 溜め息混じりに希咲は肩を落とした。



 午前中に望莱(みらい)と電話をした後、彼女に要請された港の事件現場の下見に行ってきた。


 現場周辺にはまだ警察関係者や瓦礫を撤去して運び出す工事業者らがそれなりに居たので、今日は偵察程度で済ませた。


 本格的に侵入するのは明日にするつもりだ。



 そして港を離れたその後の時間は愛苗の捜索をしている。


 しかし、彼女の居場所に見当がついているわけではないので、何となく思いついた場所や既に捜索済みの場所を巡回することしか出来なかった。



 こうも何日も見つからないとなると、彼女の居場所よりもその安否の方に意識が向いてしまう。



(ダメダメ……っ! 愛苗は絶対無事でいてくれてる。そんなこと考えちゃダメ……!)



 自分の足を止めにくる類の思考を頭を振って追い出そうとしたその時――



 喧しい電子音が鳴る。



――希咲のスマホが着信を報せる音だ。



 ハッとした希咲は反射行動で素早くスマホを取り出し、着信相手を確認する。


 その名前を見てホッとしたように表情を緩めた後、歩道内の車道とは逆側――歩道と土手とを仕切るガードレールへと寄った。



 立ち止まって電話に出ようとした時、足元に何かがあることに気付く。


 小さな花の挿された瓶だ。



 申し訳なさそうに二歩ほど横にずれ、今度こそ彼女は電話に出た。



「――もしもし、大地?」

『あ、姉ちゃん。今大丈夫?』


「ん。どした?」

『叔母さんが、冷蔵庫の野菜全部使っちゃったから姉ちゃんに言っとけって……』


「あーっ! そうだった! 今日の晩ごはんからあたしだった!」

『忘れてたの? もしあれだったら、昨日の残り物もあるし、適当にあっためてチビどもに喰わしとくけど……』


「んーん。ちゃんと帰って作る。ゴメン」

『そう? 俺……、ボク今日部活休みだからさ。あゆみの迎えは行っとくから』


「うん。ゴメン。おねがい」

『いや、謝んないでよ。いつも9割以上姉ちゃんが一人でやってんだから……。もうちょいゆっくりしてくれてもいいくらいだよ』


「ん。あんがと……」



 思わず苦笑いをして言葉を濁しながら、あと二、三言交わして弟との通話を切る。



「……失敗した。ごはん当番忘れてた」



 普段は弟妹たちの面倒や家事をほぼ一人で熟すのが希咲のライフワークだったが、幼馴染たちとの旅行の期間中は母の妹である叔母にお願いをしていた。


 しかし予定を早めて帰ってきたので、叔母は今日の日中で撤収しており、今夜の食事からは希咲が作ることになった。


 愛苗の捜索や事件のことに気を取られていて、うっかりとそのことを失念してしまっていたのだ。



 全く“ゆっくり”など出来ていないし、“ゆっくり”している場合でもない。増えたタスクは結局全て片付けるしかない。



「美奈子さんにもっかいお礼言っとこ……」



 叔母はあのチャランポランな母の妹とは思えないほどキッチリとした大人だ。


 結婚離婚を繰り返しながら子供を増やしつつ、自分のやりたい仕事にも打ち込む破天荒な姉に叔母が苦言を呈すことも多い。



 叔母が色々と希咲たちの面倒を見てくれるのも、定期的に運命の出逢いをする自身の姉の奇行を見兼ねてという色合いが強い。


 本人がそう言ったことも態度に出したこともないが、姉の不始末も自分の責任の一部と考えているのだろうと希咲は捉えていた。


 だから、いつ母に愛想を尽かしてしまうかわからない。



 そうなった場合、弟妹たちの世話を手伝ってもらえる大人がいなくなるので非常に困る――というのが、手前勝手ではあるが希咲の事情だ。


 なので、叔母との関係には最大限気を遣わなければならないし、決して自分が彼女の気分を害すようなことがあってはならないのだ。


 それは死活問題だ。



「うんうん」と頷いて叔母の番号へコールをしようとすると――



「キャン、キャンッ!」


「ん?」



――先程は電話に思考を遮られ、今度は突然の鳴き声に電話を遮られることになった。



「キャンキャンキャンキャン……ッ!」


「え? え? なになになにっ……⁉」



 駅方面から駆けてきた一匹の子犬が希咲の足元まで来ると、そのまま彼女の周囲をグルグルと回り始めた。


 どうすることも出来ずに希咲は慌てる。



「す、すっごい元気だし……。この子野良……、じゃないか」



 よく見れば子犬の首には首輪が巻かれており、そこから伸びる散歩用のリードを引き摺りながら走っていた。



「よっ……と――」



 背景がうっすらと見えたので、きっと困っている人がいるだろうと腰を折ってリードを摑まえる。


 すると遊んでもらっているとでも思ったのか、子犬は希咲の膝に前足をのっけてじゃれついてきた。



「おい。あんたはドコの子なんだー? パパかママはどこに置いてきちゃったんだー? どうなんだー? んー?」


「す、すみませーん……っ!」



 子犬のほっぺをムニムニしながら厳しく尋問をしていたら、被疑者が走ってきた方向から慌てたような声が聴こえる。


 希咲がそちらへ目線を向けると、リードで繋いだ犬を2匹連れたスポーツウェア姿の男性が走ってきた。


 社会人くらいの年代の男性、成犬が1匹と子犬が1匹だ。



 この人が飼い主なのだろうと見当をつける。


 希咲は立ち上がってそちらへ身体を向けた。


 男性も希咲の前で立ち止まる。



「う、ウチの犬がどうも――」

「――キャンキャンキャンキャンッ!」


「わっ――⁉」



 男性が謝罪の言葉を喋り出そうとした時、彼の手から伸びるリードに繋がれた方の子犬が希咲に飛び掛かろうとした。


 男性は慌ててリードを引く。


 子犬は希咲の膝の少し手前でジタジタと前足を空転させた。



「う、ウチの子たちがどうもすみません……」


「あはは、へいきです……」



 お互いに苦笑いしながらそう挨拶をした。



「あのケガとか、大丈夫でしたか……?」



 二十代後半に差し掛かったくらいの歳だろうか。


 脱走した子犬が触れていた希咲の足へ心配そうに目を向ける。


 男性はそう言い終わってから、ショトーパンツから伸びる希咲の傷一つない膝に気付いて、慌てて目を逸らした。



「あ、全然。だいじょぶです」



 希咲はそれに気が付かないフリをして簡単に答えた。



「ていうかあたしも。勝手に触ってムニムニしちゃいました。ごめんなさい」


「あ、そんな。むしろ喜んでたと思いますし謝らないでください」


「あはは。すっごくなつっこい子ですね」


「はは……、なつっこ過ぎて誰にでも寄っていっちゃって……。人見知りするのとどっちがいいのか……」



 足元に目を向けると二匹の子犬がおすわりをしながら「なでてなでてー」とシッポをパタパタさせている。


 その少し後ろでは、こちらはもう落ち着いている年齢なのだろう――親犬が地べたにお尻をつけて、興味無さそうにカカカッと後ろ足で頭を掻いていた。



 希咲はまた苦笑いをして、しかしこのまま謝り合っていても仕方ないので話題を転換させる。



「あの、たまに商店街とかで擦れ違いますよね?」


「え?」


「新商店街と“はなまる通り”の中間あたりとかで」


「あっ――ひょっとして、いつもは制服着てる?」


「はい。そこの美景台学園なんです」


「あ、そうだったんだね。えっと、いつもなんかすいません……」


「え? いや、えっと、すいません……」



 だが、男性はよほど謙虚というか穏やかで控えめな性格なのか、何故かまた謝罪をされてしまう。それに希咲も釣られペコペコとお互いに謝り合うことになってしまった。



「こっちの方までランニングしてるんですね」


「……はは、最近はこの辺まで来るようになって……」


「……?」


「あ、いや。ボク在宅勤務なもんで。運動不足がちょっと深刻かなぁって……、あはは……」



 ハッキリとしない物言いに希咲が首を傾げると、男性は曖昧な苦笑いでやはり言葉尻を濁した。



「そういえば今日は――」



 触れちゃいけないことだったのかなと希咲はまた話題を逸らそうとしたが、言いかけたところで一つ気が付く。



(あれ……? 今日は一匹いない……?)



 足元のワンコたちに目を向けると別のことにも思い当たる。



(そういえば、いつもはリード……)



 不自然に言葉を切ったまま希咲が考えこんでしまうと、今度は男性の方が怪訝そうに首を傾げてしまった。



「……あ、いえ。リード(これ)、返しますね」


「あ、はい。どうもありがとう」



 愛想笑いに少しだけ失敗してしまい、苦笑い気味の顏で男性に子犬のリードの持ち手を渡した。



「それじゃあ――」


「あ、はい……」



 元々立ち止まって長話をするような間柄でもないため、希咲はこの場を辞そうとするが――



「――あ、待ってください。ちょっと聞いてもいいですか?」


「え?」



 寸前で思いついたことがあり、男性を呼び止めた。



 子犬に絡まれた時に仕舞っていたスマホを再度取り出しながら男性に近寄る。



「あの、この子を探してるんです。最近見かけたこととかありませんか?」


「……えっと、友達かな?」



 普段からランニングで広範囲を廻っているのならと、ダメ元で愛苗のことを聞いてみることにしたのだ。


 スマホに表示されたのは、愛苗の家でお泊り会をした時に撮った写真だ。


 飼い猫のメロを抱っこした愛苗と希咲が映っている。



 男性は写真を覗き込んで「う~ん……」と考える。



「はい。最近急に連絡とれなくなっちゃって。走ってる時に見たことないかなって……」


「……それは心配だね。でも……、ごめんね。ボクには見覚えが……」


「そうですか」



 その回答は半ばわかってもいたので、特に消沈することもなく希咲はスマホを引っ込めようとした。


 だが――



「あ、でも――」


「――え?」


「この女の子じゃないけど、こっちのネコ……」



 男性は愛苗が抱いている黒ネコを指差した。



「最近……、割と近い日……、ほんの何日か前だったかな……」


「メロを……、このネコを見たんですか⁉」


「うん。新商店街と“はなまる通り”の辺りだったと思う……」


「ホントですか?」


「でも、こっちの女の子は居なかったような……。ネコだけで歩いてたはず」


「メロが一人で……?」



 一体どういった状況だったのだろうと希咲が思いを巡らせると、男性は少し自信のなさそうな顔をした。



「うーん……、でも、よくいるタイプの毛並みのネコだしなぁ……。背中側とか全体的に毛が黒くて、顔の下あたりからお腹が白い子だよね?」


「は、はい。そうです……っ!」


「もしかしたら似てるだけで猫違いかもしれないけど……」


「いいえ! ありがとうございました。今からその辺探してみます」



 今までの手掛かりゼロに比べれば大きな収穫だ。


 希咲は勢いよく男性に頭を下げ感謝をした。



 そして今度こそこの場を立ち去ることにする。


 もう少し聞いてみたい気もするが、自分が長居して引き留めては彼らの邪魔になるだろうと配慮をした。



 希咲は男に挨拶をして駅方面へと歩き出す。


 背中の向こうで、男性と犬たちが走り出した気配はしない。



 もう何歩か進んで、横顔だけで振り返る。



 男性はガードレールの前でしゃがみこんでいて、犬たちはその隣でお座りをしてシッポを垂らしていた。



「くぅ~ん」という鳴き声から逃げるように希咲は前を向く。


 俯きながら歩いた。



(今度お花挿しとこ……)



 そんなことを脳裏に浮かべた時――



「――あっ! そうだ! ちょっと待って!」



 大きな声で男性が希咲を呼び止めた。



 内心少し驚きながら希咲は足を止めて振り向く。



「思い出した! そのネコを見たのはあの日だった! 昼頃……!」


「あの日……?」


「ほら……、例の――」





 歩きながら希咲は男性からもらった最後の情報を処理する。



 例の日――



(――4月25日……)



 それは例の大事件が起きた日だ。



(これって、やっぱ関係あるって考えた方がいいのかな……?)



 まずメロが一人であんな場所に居たということも腑に落ちない。


 確かにとても賢い子で、前から一人で出歩いてもちゃんと帰ってくるとは聞いていた。



 しかし、そのメロだが――



 事件後に水無瀬家を希咲が訪ねた際に、目的の愛苗は当然不在だった。


 不在どころか両親ともに娘の存在自体を覚えていない有様だったので、途方に暮れてしまった希咲はふと思いつきで質問をした。



 メロは今どうしているのかと。



 そうしたら、メロは家には来ていないと水無瀬夫妻は言った。



 だから、もしかしたらメロは愛苗と一緒なのではと思っていたのだが、今になってふとあの時の夫妻の返答の温度感が気にかかった。


 あの時は気が動転していて気付かなかったが――



(なに……? なにが気になるの……?)



 自問してみても答えまでは行き着かない。



(もしかして愛苗とメロはあの辺に――っ⁉)



 考えを切り替えようとした所で、俄かに希咲の脳裏に閃きが奔る。



 急いでスマホを取り出し望莱へ宛てて簡潔なメッセージを送信した。


 すると30秒も経たずに返信が来る。



 望莱からの返信に書かれていたのは住所だけだ。



 希咲はそれをコピーして地図アプリを開き、その住所を貼り付けて検索する。


 すぐにアプリが該当の地点を表示した。



 その場所は新商店街と“はなまる通り”の間の、メイン通りから少し奥に入った所にあるアパートだった。



 その住所が示すものは――



(――弥堂の家の近く……!)



 なんとなく閃くものがあって、望莱に弥堂の住所がわからないかと聞いてみたら、見事に希咲の勘が的中していた。



(メロがどうしてこんなところに……、たまたま……? 安易に繋げて決めつけるべきじゃない……?)



 そう考えているとさらにスマホにメッセージが届く。


 相手は望莱からで、内容は――



『ちなみに、その住所は学園に届け出されている弥堂先輩の住所じゃないです。そっちは全然別のところにあります。今送った方は皐月組関係の不動産屋さんが扱っている物件で、去年の5月くらいから誰かに紹介して住まわせているもののようですね。ビンゴでした?』



――といったものだった。



 希咲は“はなまるスタンプ”だけを送り返した。



 するとまた返信が届く。



『いきなり家凸とかするのはメンヘラのすることですよ?』


「…………」



 希咲は無言で「しゃー!」と怒っているネコさんスタンプを返した。



(でも――)



――確かにこれだけでまだ決めつけるわけにはいかない。


 おまけに届け出されていない住所なので、そこに突撃して何もなかったらこちらだけが疚しくなってしまう。



(そんな怪しい住所だって聞くと余計に疑っちゃうわね……)



 どのみちこれからスーパーに行くにあたって通り道ではあるし、とりあえず近くまで行ってみるだけなら――



 眉間に皺を寄せながら考えていると、またスマホが電話の着信を報せた。



 今度の相手は母親のようだ。



「うん……?」



 母はまだお店で働いている時間のはずだが、何の用だろうと首を傾げる。


 だが、そんなことは本人に聞けば済む話なのでとりあえず電話に出てみた。



「もしもーし、ママ?」


『うわぁーん、ななみぃっー!』


「…………」



 開口一番の年甲斐もない母の泣き声。


 それを聞いて希咲の頬が引き攣る。


 猛烈に嫌な予感がしてきた。



「……どうしたの?」



 聞きたくなかったが、この状況で他に言うべき台詞は他には思いつかなかった。



『ママまた騙されちゃったー!』


「は?」



 これまで生きてきて何度も聞いてきたその母の言葉に、自分の嫌な予感が裏付けされていってしまう。まったくうれしくなかった。


 希咲は嫌々ながらも、小娘のように泣きじゃくる母親から事情を聞き出す。



「……えっと。要は出資者の人に紹介された工場に頼んだら飛ばれちゃったってこと?」

『そうなの! 先払いしたお金持ってかれちゃったー!』


「なんだって先払いしちゃうのよ……。前もこれあったじゃん……」

『だって! そのお金がないと服を作るための機械を買えないからって……』


「なんでそんなとこにお願いしちゃうのよ……」

『だって、稲葉さんがお金出してあげるから頼むよって言うから……。ママつい……』



『だってだって』と言い訳する母をうんざりしながら相手していた希咲だったが、その言葉を聞いた途端眦を上げた。



「えっ――ちょっと待って? まさかその工場に払うお金も借りたわけ?」

『え? うん。返すのいつでもいいって言うから』


「いくら⁉」

『ん?』


「いくら借りたのよ⁉」

『えーっと……、200万……くらい……?』


「にひゃく⁉」



 暢気に受け答えをする母を問い詰めたら、出てきたその金額にびっくり仰天する。



『え、えっとね? あと、ね?』


「は? “あと”……?」



 するとそれだけでは済まさないとばかりに、気まずそうな母はさらに何かを言おうとする。


 希咲は自分でもちょっとビックリしそうになるくらいの低い声が出た。


 だが、どうせこの後にもっとビックリする情報が出てくるだろうから、特に態度を改めることはしなかった。



「“あと”って、なに? 言いなさいよ」

『そのぉ……、工場に渡す服のデザインをね? デザイナーさんにお願いしたんだけど……』


「え? 今回の服は自分でデザインしなかったの?」

『そうなのよ。稲葉さんがね? 別のデザイナーの血も取り入れた方がお店の個性に多様性がなんちゃらとかって……。よくわかんなかったけど、なんかカッケーなってママ思ってね?』


「……で?」

『あはは。ほら、工場なくなっちゃったからもう服作れないじゃん?』


「なに笑ってんだ。それってデザイナー費用まるまる損したってことでしょ! そっちはいくらなのよ⁉」

『大丈夫っ! こっちは100だけだから!』


「なにがだいじょぶかー!」



 まるで危機感のない頭のゆるい母に七海ちゃんはガーっとキレた。



「ねぇ! そのデザイナーってなんか名のある人なわけ? 高くない?」

『んー、ママは知らない人かなー? 稲葉さんの経営者仲間の友達で、新進気鋭……? とかなんだってさ』


「あ、あのさ、ママ? まさかとは思うけどそのデザイナーの費用も……」

『あ、うん。稲葉さんが貸してくれたからだいじょうぶっ!』


「なにがだいじょぶかーっ!」



 まんま同じ台詞でおバカなママを怒鳴りつける。


 そのまま怒りに身を任せようとしたが、恐ろしさの方が勝ってしまい失敗した。



「さ、さんびゃく……、一瞬でさんびゃくまんえん……」



 あっという間に増えた借金の額に幼気なJKはプルプルと震える。



「……ねぇ、ママ? 稲葉さんに全部でいくら借りてるかわかってる……?」


『うーん……? 大体2千くらいじゃなかったっけ?』



 恐る恐る確認すると実に軽い調子で答えが返ってきた。



「もう借りるのやめてって言ったじゃん!」

『でもでも、稲葉さんはビジネスをやるなら借金があるのはみんな一緒で、それって普通だから大丈夫だって』


「それは返せる見込みがあっての話でしょ⁉ そもそもウチは企業とかじゃないし!」

『まぁまぁ。返すのはゆっくりでいいって言ってくれてるしダイジョブじゃね?』


「そうだったとしても、ほっといても無くならないしむしろ増えるんじゃないの⁉ 大体さ、モールのテナント料が高くって、利益だってほぼ出ないのに……」

『それな! 困っちゃうよね!』


「おばかっ!」



 まだ30代前半の若いママは十代の小娘のようなノリでケラケラと笑い、16歳の娘がそれを叱る。



「あそこにお店出せって言ってきたのも稲葉さんでしょ? あの人あんま信用しちゃダメだって! 個人でやってる洋服屋があんなとこに店出してもやってけるわけないじゃん! そもそも、経営だとか出資だとかやってる人がそんな計算も出来ないわけないでしょ?」


『うーん、ママには難しいことはわかんない。でもね、七海』


「あによ」


『ママはオシャレなモールにショップ出したかったの! カリスマデザイナー兼オーナー兼ショップ店員になりたかったの! キラキラしたかったの!』


「ばかママっ! 帰ったらお説教だかんね! 絶対お尻ぶつから!」


『そ、そんな……⁉』



 ガーンっとショックを受ける母との電話を切ると、希咲は素早く家計簿アプリと銀行アプリを立ち上げる。



「えっと……、今月分のテナント代はもう払ってるし、光熱費とかもオッケ……。家の方も今月分はだいじょぶ。来月のあゆみの保育園の月謝も……、ギリ足りる……!」



 急いで支払い状況と残金を確認した。



「これ……、来月からの月々の返済とかいくら増えるの……? 先に聞いときゃよかった……」



 とはいえ、すぐにかけ直して聞く気にもなれない。


 代わりに来月の収入の見込みを考える。



「工場に逃げられたってことは次に売る予定だった服がない……。増えた借金がなかったとしても、そもそもヤバイじゃん……」



 来月の売り上げを想像して血の気が引いた。



「……水着だ。水着しかない……! ママのお尻叩いてすぐにデザインさせて、いつもの工場に頭下げて、今回作れなかった服も纏めてお願いして……。チラシのモデルはまたあたしがやるしかないか……。ここで少しでも費用浮かせて……」



 ぶつぶつと呟きながらどうにか自分の親を儲けさせる方法を考えてみる。



 希咲の母は先ほど本人がカリスマだのと言っていたが、確かにデザインのセンスはあるし、見た目も若くキレイでコミュ力も高いためショップ店員としても上等な方だ。


 だが、壊滅的なまでに経営のセンスがない。



 おまけに人を見る目もない。


 14歳というちょっと人には言えない年齢で長女の七海を出産して以来、何度も離婚と結婚を繰り返し、それでも未だにいとも簡単に男に騙される。



 幼い頃からそれを見続けてきた希咲は、ある時からは母のそういった部分の改善を望むことを諦めた。それよりも足りないところは自分がどうにか埋めるしかないと考えるようになっていた。


 母はおつむがちょっとアレだが本人に悪気はまったくなく、子供たちを育てるために母一人で頑張ろうという気概も十分にある。


 ただ結果が伴わないだけで、その気持ちだけは希咲にも十分に伝わっているし、感謝もしている。



 だから今回も今までの例に漏れず、どうにか解決の道筋を探して母を助けようとする。



 しかし――



「これで6月はどうにかなるかもだけど、5月はどう考えてもキツイ……。あ、ダメだ。ゼッタイ詰む……」



 喫緊の財政状況についてはいい方法が浮かばなった。



「経営のことだから望莱に相談したいけど……」



 人格面を考慮しなければ彼女はとても優秀な経営者だ。


 しかし彼女に相談するのなら上手く借金のことを隠して伝えないと、彼女は手っ取り早い解決策として借金を肩代わりすると必ず言い出すだろう。


 同じお金を借りるのなら現在の相手よりは遥かに信用も信頼も出来るが――



「――ゼッタイにダメ……っ!」



 それだけは絶対にやってはいけないこととして、前から希咲は決めていた。



 思考が行き止まりに来てしまったので溜息で吐き出して、一旦切り替えることとした。



「こんなことしてる場合じゃないのに……」



 口にしてから、それは一体どっちの問題のことだろうと苦笑いをしてしまった。



 行方不明になった親友の捜索でそれどころじゃないのに――


 家庭が大変な時に自分の友達のことどころじゃないのに――



 それはどちらも謂えるような気がした。



 やるべきこと、やらなきゃいけないこと。


 それらが、多方面に、多岐に渡っている。



 どれも大事でどちらかを選ばなければいけないとしても、でもどちらかだけを達成すればいいという問題でもない。



 だから――



「……バイト、もっと入れなきゃ」



――結局全部をやらなければいけない。



 その為にまず目の前の問題を凌ぐのならば、結局自分が頑張るしかないとしか思いつかなかった。


 やりたい、やりたくないは、やらなきゃいけないの遥かに下位だ。



 希咲は表示していたアプリを落として通話を発信する。



 スマホを耳に当てて少し俯くと、重力に従った前髪と横髪が彼女の顔を隠す。



 何コールかしてから相手が電話に出た。



「――もしもし? あたし。うん。今へいき? ちょっと困ってて……、それでお願いがあるの……」



 馴れた相手に馴れた調子で端的に話を切り出す。


 そのタイミングで、国道を走ってきた車が希咲の立つ場所の横を通り過ぎた。



 法定速度を超えている車の通過は生み出した風が、彼女の髪を揺らす。


 そうして髪で隠れていた横顔が僅かに露わになり――



「……パパ――」



――その隙間から唯一覗いた唇が動いて、その二文字を発音した。


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― 新着の感想 ―
あの~わざとなら全然良いんですけど、シリーズのあらすじの,無印1~に2章はつけないんですか?
2章から場面ごとのタイトルチェンジないんですか? 後、あの環境でよくまっすぐに育ったな希咲。でもそのメンヘラ精神とクズ耐性どうやって育ったのかもわかってしまったww。 それで、序章のあの最後はやっ…
このタイプの毒親は捨てることも難しいからキツイなぁ
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