1章11 after school ④
やがて、幾分落ち着いたのか、グズグズと鼻を鳴らしながら“まきえ”が立ち上がる。
エプロンのポッケからティッシュを取り出し鼻をビーっとかみ、そうしてようやくメンタルを完全に持ち直した。
「オレと勝負しろ! “ふーきいん”!」
威勢よく拳を突き付けてくる赤い方のちびっこへ弥堂は白い目を向けた。
「“まきえ”は馬鹿だからさっきのことはもう忘れた」
「……そうか」
解説するように話しかけてきた青い方のちびっこに、そうとだけ適当に返事をした。
「あぁ? 誰がバカだって? テメーはオレをナメてんのか? 泣かされてーのか? “うきこ”」
「また泣くのは“まきえ”の方。でも何度ヘコませても元通りになる“まきえ”のことは好き」
「お? そうか? へへっ、まぁ、テメーはオレの妻だからアタリマエだよなぁ!」
抜群の皮肉耐性をもつため、逆に光速で調子にのった自身のパートナーへ“うきこ”は冷めた瞳で続ける。
「でも“まきえ”。どうやって私に勝つ? “まきえ”はさっきも無様にぶっとばされて、惨めに泣いたばかり」
「へっ! まさかこのオレがなにも考えてねーとでも思ってんのか?」
「思ってる」
「そうだぜ! オレには『ひさく』があるんだぜ!」
「馬鹿は話が通じない」
「おい! “ふーきいん”!」
「…………なんだ」
キャッチボールではなく、お互い横並びになってそれぞれで壁当てをするような会話を繰り広げていた二人を視ていた弥堂に突然水を向けられる。
「テメー“ふーきいん”。アレ教えろよ。お前の“必殺技”!」
「そんなものはない」
「ウソつくんじゃねーよ! テメーだろ? 文化講堂の壁ぶっ壊したの」
「なんの話だ」
「すっ呆けんじゃねーよ、このクソ野郎。オレが何度あれを直してっと思ってんだ。もうぶっ壊れ方見ればテメーの必殺パンチだってわかるようになっちまっただろ。ふざけんなよ!」
「あぁ、“零衝”のことを言ってるのか」
「白々しいんだよテメー。あちこちで色んなモンをよぉ、人も物もお構いなしにぶっ壊しやがって。全部オレが直してんだからな? いい加減にしろよ」
「そうか。それはご苦労だな」
「アァ? なんだそりゃバカにしてんのか? お嬢様が目溢ししてくれてっからってあんまチョーシのんなよ?」
「馬鹿になどしていない。優秀なお前にしかできないことだから大変だなと、感心して労ったのだ」
「優秀? へへっ、そうか?」
「あぁ。これからも頼むぞ」
「おぉ! まかしとけよっ!」
「では、失礼する」
「あぁ! またな!」
快諾して手を振るちびっこに見送られながら弥堂はこの場を辞そうとする。
しかし、わりとすぐに“まきえ”は「ん? なんかおかしくねーか?」と首を傾げてからハッとする。
「イヤイヤイヤっ! またな、じゃねーよ! ふざけんなよテメー!」
慌てて背中に浴びせられた制止の声を受けて、弥堂は足を止めて一度舌打ちをしてから振り向く。
「なんだ? 用があるならさっさと言え。何故他人の時間まで無駄に消費させる? いい加減にしろよ無能が」
「ビックリするくらい言うこと変わるよな! テメーは! やっぱりオレを言いくるめやがったな! ヒキョーなことすんなって言っただろ! オレが騙されちまうからやめろよ!」
「じゃあ、なんだ。さっさとしろ」
「テメーのせいで忘れちまったよ!」
淡々と冷たい言葉をかけられる年端もいかぬ見た目のメイドはゼーゼーと肩を上下させる。
「とにかく、あれだ。学園のモノを壊すなよな。ここはお嬢様の所有物だ。それをぶっ壊すってことはお嬢様のことをナメてるってことだからな。いくら“ふーきいん”でもやりすぎたら許さねーぜ? お嬢様が許してるからってチョーシにのんならオレがテメーをぶっとばす」
「そうか。善処しよう」
「おぉ。“キモ”にめーじろよな!」
弥堂が適当にした許諾の返事だが、彼女は特にその言葉を疑わず手打ちにしてくれた。
物騒な宣告をされたものの、特に事が荒立つこともなく状況が流れそうだが、茶々を入れる者があった。
「待って。“まきえ”」
「あん? なんだよ“うきこ”」
静観していた青い方のちびっこだ。
「テメーも“ふーきいん”にヤキいれんのか? オレがキツく言ってやったからもうカンベンしてやれよ。オレに怒られて“うきこ”にも怒られたらこいつ泣いちゃうかもしんねーだろ。それはかわいそうだぜ」
「勘違いしないで、“まきえ”。私に怒られるのは“まきえ”の方」
「はぁっ⁉ なんでだよ! テメー、こいつの味方すんのか⁉」
味方だと思っていた者が味方ではないかもしれない。その可能性に行き当たり“まきえ”はびっくりした。
「それも勘違いしないで。私はそこの野良犬の味方なんかしない。世界中が“ふーきいん”の味方をしても、例えお嬢様も“ふーきいん”の味方になっても、私だけは“ふーきいん”の敵でいる」
「いや、それはダメだろうよ。お嬢様に怒られるぞ」
「怒られるのは“まきえ”」
「だからなんでだよ!」
“うきこ”は冷めた表情で淡々と説明をする。
「“まきえ”は言った。お嬢様の持ち物を壊すのはお嬢様をナメていると」
「あぁ? そんなのアタリメーだろ?」
「そう。当たり前。だけど“まきえ”は“ふーきいん”をぶっとばすと言った」
「おぉ! 今日はトクベツに許してやっけど、あんまお嬢様をナメたらぶっとばしてやんぜ!」
「でも、“まきえ”。よく考えて。“ふーきいん”はこの学園の生徒」
「それがどうしたんだよ?」
「生徒は学園の所有物。つまり“ふーきいん”はお嬢様の所有物」
「は? え?」
「その“ふーきいん”をぶっとばそうとする“まきえ”はお嬢様をナメてることになる」
「なんだって⁉」
理路整然とイチャモンをつけられた“まきえ”はびっくり仰天して、頭上のメイドカチューシャがポンっと跳び上がった。
「なんでそうなんだよ! おかしいだろ!」
「おかしくない。いい? “まきえ”。よく考えて。頭の悪いやつには考えてもわからない。でも頭のいい“まきえ”なら、よく考えればわかるはず」
「え? よく?」
“まきえ”は混乱しつつも腕を組み、「うんうん」唸りながらよく考えた。
「――あっ⁉ ほ、ホントだ! オレお嬢様をナメてた!」
ややすると、彼女の中で何が何にどう繋がったのかは不明だが、“まきえ”はハッとなって“うきこ”の主張を認めた。
ああいう言い方をすれば、わからないと言えば頭が悪いことになり、逆にわかると言えば頭がいいことになる。
そのような状況に追い込めば、頭の悪い彼女は考えたフリをしてわかったフリをする。
思った通りの反応を得られた“うきこ”は「ふふっ」と満足げに笑みを漏らした。
「どっ、どどどどどうしようっ⁉ オレお嬢様をナメちまったよ! どうしたらいい⁉ “うきこ”!」
「本当なら薄汚い裏切者の“まきえ”は今すぐそこの窓から身を投げて自害するべき。でも今日は特別に『罰』を受けるだけで許してあげる」
「おぉ! ホントか⁉ どうすればいい? なんでも言ってくれ!」
ドンと威勢よく胸を叩く“まきえ”を見る、“うきこ”のジト目に嗜虐的な光が灯る。
「仕えるべき主に無意識に反抗的になるのは“まきえ”の魂が不健全だから」
「そんなことねーよ! オレは元気だぜ!」
「そんなことある。健全な肉体には健全な魂が宿るとネットで見た。つまり“まきえ”の魂が不健全なのは肉体が不健全だから」
「まだるっこしいぜ! 何をすればいいかさっさと言えよ! “うきこ”!」
「スクワット」
「よしきた!」
快諾するや否や、“まきえ”はその場でスクワットを開始した。
やたらとキレイなフォームで反復運動をする女児と、それに対して厳しくコーチングをする女児。
二人のちびメイドを見ながら弥堂は、自分は今、何故ここでこうしているのだろうと考えそうになったが、そういえば昨日も同じようなことを考えたなと思い出し、ならば考える必要などないと気を持ち直す。
昨日わからなかったことはどうせ今日もわからない。
「遅い。もっと速く」
「うおおぉぉぉぉぉっ!」
「口先だけ。“まきえ”は嘘つき。違うと言うならもっと気合を見せるべき」
「オレはうそつきじゃねえぇぇぇぇっ!」
トレーナーの煽りに反発し、スクワットの速度が上がる。
「腿が! これ腿がやべぇ!」
「泣き言なんか聞きたくない。なに? その筋肉インフルエンサーみたいなそれっぽいカッコいいフォームは? “まきえ”のくせに生意気」
「どうすりゃいいんだよ!」
「両手を頭の後ろで組んで。足を開いて。もっと無様にガニ股になって。カッコつけようとしないで」
「こうか⁉」
「そう。フフッ…………お似合い。“まきえ”、すごくいい」
「よっしゃああああぁぁっ!」
二人は子供らしく元気いっぱいで楽しそうな様子だが、弥堂にとっては他人に見られたら説明が難しい状況になってきた。




