1章11 after school ①
「それではみなさん。今日のHRはこれで終わりです。気を付けて帰ってくださいね」
担任教師の木ノ下の言葉で本日の2年B組の学課は締め括られた。
学級委員である野崎さんの号令のもと生徒たちは「さようなら」と挨拶を揃える。
「くれぐれも寄り道はしないでくださいねー」
木ノ下がそう補足するがもう生徒たちは聞いていない。
そこかしこで既に始まっている雑談で教室内の音はガヤガヤと歪み、誰もがこれから始まる放課後の時間に夢中だ。
そんな話し声の雑踏を浴びながら水無瀬 愛苗はせかせかと自身のスクールバッグに荷物を詰め込んでいる。
急いで荷造りをしてはいるものの、それは彼女なりであり、のんびりした性格であまり器用ではないその手元は他から見ればモタモタとしたものであった。
希咲 七海はそんな自身の親友の元へ近づく。
「おつかれ、愛苗」
「あ、ななみちゃん!」
作業を完全に止めて身体ごとこちらへ向けながら「おつかれさまー」とにこやかに挨拶してくれる彼女へこちらも微笑みかけた。
「ゴメンね。あんまり時間なくって。出来れば昼休みに言ってたこととかも話したかったんだけど……」
「ううん。だいじょうぶだよ。他のお友達にも挨拶しなきゃなんだよね? 大変だと思うから私はあとで平気だよ」
それは言葉通りなのだろう。
彼女は気持ちが顔にでやすい。
今のにこやかに喋る様子からは言外の感情は感じ取れなかった。
それも少し寂しいなと内心で苦笑いを浮かべながら、表の表情は固定したまま話す。
「そか。ま、とはいっても休み時間で粗方お片付け出来たから、あとは正門前で何人か捕まえればお仕事完了ね」
「そうなんだ。よかったね」
にへらーと笑う彼女に、二っと笑い返す。
希咲の用事とは学園内のちょっと面倒そうな『友人』への挨拶まわりだ。
今月末からはG.Wの大型連休があるのにも関わらず、それよりも10日ほど早く極めて私的な事情で、明日から幼馴染たちと共に半月近くの日数をかけて旅行に行くことになっている。
別にそれだけなら、学園の許可がとれているのなら他の者には関係のない話であるのだが、希咲の所属するコミュニティがちょっと特殊な集団であるため、周囲との関係性に気を配る必要があった。
『紅月ハーレム』
希咲の幼馴染の一人である紅月 聖人を中心として集まったグループで、その名前のとおり彼の保有するハーレム、という風に周りには認知されている。
当然、この日本国においてそのような如何わしい集団が認められるわけがなく、実際にそのような事実もないのだが、件の紅月 聖人がちょっとどうかしてるくらいに異性におモテになるものだから、また幼馴染メンバーの男女比が女性側に傾いていることもあり、外から見るとそのように見えてしまうらしい。
周囲もそれを咎めるどころか、自分がスーパーなイケメンのただ一人の彼女の座に就くことは現実的に不可能であるとシビアに考えた女子たちが、『ハーレムメンバーの一人としてならイケるんじゃね?』と打算を働かせ、ハーレムというものを公然の事実とするために各所でそれぞれが好き勝手に盛って盛って盛りまくった結果、現在の誰もハーレムを否定できないような状況になってしまっていた。
男子たちも女子多数に袋叩きにされることを恐れ、表向きはハーレムなどというイカれたコミュニティに文句をつけづらくなっている。
希咲としては聖人と付き合っているわけでもなく、それどころか恋愛感情に類するものが何一つないため非常に心外なのだが、公的には自分は聖人の彼女として認識されており、それをどれだけ否定してもツンデレ芸として流されてしまうという憂き目にあっていた。
そういった状況から逃れるためにいっそ彼らから距離を置くという選択肢もあったのだが、それにもいくらかの事情があり選びづらい。
頭のおかしい幼馴染たちが色々な場所でトラブルを起こす問題もあるが、希咲が現在最も懸念しているのは嫉妬に狂った女どもの逆恨みだ。
何かと悪目立ちをするメンバーと集団なので、昔から周囲と摩擦を起こさないように人間関係を調整する役割を希咲が不本意ながら負っていたのだが、そのデメリットとして希咲にヘイトが集中するようになってしまった。
メンバーを悪目立ちさせないようにと、あちこちに顔を出して交渉・調整をした結果、自分が目立ってしまったのだ。
そうして今では、聖人との恋人関係を否定するどころか、ハーレムのボスだの正妻だの大奥だのと不名誉なレッテルを貼られ、嫉妬の的になっている。
自分が参加するためにハーレムを認めはするものの、それとこれとは別、とばかりに嫉妬はしっかりとする。
女のメンドくさい部分の受け皿となることを希咲は余儀なくされていた。
人としての道を踏み外しかけている他のメンバーと衝突されるよりはマシと、ある程度現状を受け入れてはいたものの、2年生となった現在では、希咲には恐れるものが出来た。
それが今目の前に居る自身の親友の存在だ。
嫉妬をされて的にされる、とはいっても、希咲自身がケンカが出来ると周知されており、ギャルちっくな見た目も威嚇の効果を発揮していて、正面からケンカを売ってくるような者は少ない。
恐いのは自分の周囲に手を出されることだ。
憂いをこめて水無瀬を見つめると彼女はにっこりと笑う。
希咲自身をどうこうしたくても出来ない連中が、自分が不在の時に水無瀬に手を出すのでは、と不安になる。
彼女とは1年生の途中から当時所属していた委員会で出会って仲良くなり、それから友達を続けている。
2年生になってからは同じクラスになり、それはとても嬉しいことでもあったのだが、その分一緒に過ごす時間も増え、自分と彼女は親しい間柄にあるとかなり知れ渡っていることだろう。
希咲が普通はしないような挨拶まわりをして、「旅行に行く」「二人きりではない」「家族ぐるみでの昔からのイベント」「恋愛イベントではない」などと事前に言って回るのは、事実誤認を防ぐため、ではない。
いくら言っても信じない奴には何を言っても無駄なのだ。
それよりも重要なのは、『自分はあなたに気を遣っています』『下手に出て顔色を窺っています』『こうして許可をもらいに来るほどあなたを重要視しています』というポーズをしてみせることだ。
これをするだけで、好かれはしなくても決定的な攻撃行動に出られるような事態はかなり防げる。
そうはいってもその可能性はゼロには出来ない。
だからそれをよりゼロに近づけるために――
「大丈夫だよ、希咲さん」
「あ、野崎さんだー」
「ののかもいるぞー? まなぴー!」
いつの間に近づいてきていたのか、昼休みを共に過ごした彼女らが傍に寄ってきていた。
――より可能性の穴を狭めるためにこの彼女たちに、自分の留守中のことをお願いしたのだ。
「お昼休みにも言ったけど、水無瀬さんのことは私たちに任せて?」
「そうそう。悪い虫は近付けないから」
「むしろののかのモノにしちまうかもだぜ?」
「もしかしたら私の妹になっている可能性もあるわね」
口々にそう言葉をかけてくれる彼女らに希咲は「あはは」と苦笑いを返す。
当事者のはずの水無瀬だけが目をぱちぱちとさせた。
そして、自分もみんなとおしゃべりしたいと愛苗ちゃんはコテンと首を傾げたまま疑問を口にする。
「なんのお話?」
「ふっふっふ……まなぴーを七海ちゃんからNTRしてやるぜって話だよー」
「えぬてぃーあーる?」
「ののかの方が七海ちゃんより、まなぴーと仲良くなっちゃうよーってことだよー」
「えっ⁉ こまるよ!」
「えー? まなぴーはののかと仲良しになりたくないのー?」
「なりたい、けど…………でも、ななみちゃんは一番のおともだちだし……」
「…………まなぴー、ちょっとチューしようぜ?」
「えっ⁉ ダメだよ! チューは好きな人としかしちゃいけないんだよ⁉」
「えー? まなぴーはののかのこと嫌いなのー?」
「そんなことないよ! 好きだよ!」
「じゃあよくない?」
「あっ! ホントだ! …………じゃあ、いいの、かな……?」
「…………七海ちゃんごめん。ののかぶっちゃけ内心で『過保護じゃね?』って思ってたけどこの子アブナイわ。全力で保護します!」
「私あぶなくないよ?」
「甘いよ、まなぴー! もしもののかがNTRおじさんだったら、まなぴーなんか30分後にはダブルピースだよ! 全力で保護します!」
こちらへ向けて凛々しい顏で敬礼をしてくる早乙女と、「だぶるぴーす?」と首を傾げながら顏の横で左右それぞれの手で作ったピースをチョキチョキと動かす水無瀬の会話へのリアクションに困り、希咲は「あははー……」と苦笑いで濁す。
そうすると、「余計な知識を教えるなと言ったでしょう?」と低音ボイスで静かに怒る舞鶴に顔面を鷲掴みにされ早乙女は退場した。
希咲は感謝をしたい気持ちはあるものの、内心で二人に白い目を向ける。
「なるべく一人にさせないようにするから」
「私もたくさん話しかけるようにするし」
「二人とも本当にお願い。ありがとう」
希咲は野崎さんと日下部さんに心から頭を下げた。




