1章07 lunch break ②
「断る」
『はぁ――っ⁉』
素っ頓狂な声が耳元で鳴った。
『――いやいや…………はぁ? 兄弟オメー何言ってんだ……? 今の完全に引き受ける流れだったろ?』
「そうか?」
何でもないことのようにすっ呆けてみせる。
『おいおい、そりゃあねえよ兄弟。情報抜くだけ抜いといてそんなモン通るわけ――』
「――知ったことか」
『あ?』
通話相手の声に剣呑な色がのる。
「いいか? 俺はお前らの横でも下でもない」
『…………』
「勘違いをするなよ? 俺はヤクザでもマフィアでもギャングでも不良でもない。当然正義の味方でもない。この街で誰がどんな商売をしていくら儲けようが知ったことではない。そしてその結果誰が何人死のうがどうでもいい」
『テメェ……』
「お前らのナワバリ争いに俺を利用するな。それは俺の役割ではない。というわけで依頼は断る」
『おい兄弟、そいつは――』
「――だが、」
弥堂は足元に荷物を下ろすと角を曲がり歩き出す。
視界の奥側には地べたにガニ股でしゃがみこんだ4名の男子生徒が居る。
その彼らへ向かって歩きながら電話口へと告げる。
「だが、俺は風紀委員だ。この学園の――延いてはその支配者たる生徒会長閣下、並びに司令官たる風紀委員長殿にとっての正常で優秀な犬だ。彼女らにやれと言われたことを実行する為の装置であり、それが俺の役割だ」
弥堂はそこでスマホを持った腕を下ろす。
今まで通話していた相手の声が遠くなり、代わりに数歩先であがる下品な笑い声が近くなる。
「――ギャハハハハっ! やっぱモっちゃんはサイコーだぜ! あの中坊ども完全にブルってたべ!」
「へッ、ナマイキなガキはよぉ、コーコーセーのオレらでキョーイク? してやんねーといけねーからなぁ!」
「さすがだぜモっちゃん! オレぁよ、サイシューテキにこのガッコシメんのはモっちゃんだって信じてっからよ!」
「ったりめーだろ? オレぁよ天上天下唯我独尊だからな! 誰だろうと上等だぜ!」
「……そういやモっちゃんよぉ。D組の猿渡のヤローがよ、モっちゃんに上等クレてんらしいんだよ。あの野郎、モっちゃんがヤるってんならいつでもヤってやるとかハシャイでたらしいぜ……」
「…………へっ、あのサル野郎そろそろシメてやんねーといけねーみてえだな……」
「モっちゃん! それじゃあ……?」
「まぁ、待てよ。こういうのはよ、先に喧嘩売った方がダセーんだ。カク? が下がるってゆーかよ」
「おぉ! さすがモっちゃんだぜ! よくわかんねーけどイカシてんぜ!」
「だろ? まぁよ。あのサル野郎がどうしても俺とヤるってんならよ、そん時はオレもテッテーテキに? ヤってやっからよ」
「頼むぜモっちゃん! オレよ! あのヤローのチャリからチリンチリンパクってやったからよ!」
「え……?」
「おいおい、サトル。オメーマジかよ。チリンチリンパクるなんてオメー相当ワルだな!」
「気合入ってんじゃねーかサトル!」
「あたぼーよ! オレぁモっちゃんの一番の舎弟だべ? オレも全員上等よ! ギャハハハハっ」
「……そういやモっちゃんよぉ。B組のヒルコのヤローどうするよ? あの野郎勝手に学園最強とかフカシやがってよぉ……オレぁガマンなんねーよ」
「おぉ! そうだぜ! あいつ新学期早々にテーガクとか目立ちやがってよ!」
「えっ? あっ、あぁ…………ヒルコか……そろそろヤツとはどっちが上かハッキシさせとくか……」
「モっちゃん! それじゃあ……⁉」
「まぁ、待て。こういうのはよ、先に喧嘩売る方がダセーからよ? まぁ、ヒルコのヤローが? どうしてもこのオレとヤるってんならオレぁいつでもタイマンはってやっけどよ」
「さすがだぜモっちゃん! シビィぜ!」
「頼むぜモっちゃん! オレよ! ヤローのジャージのズボン切って半ズボンにしてやったからよ!」
「えっ……⁉」
「マジかよサトル! オメー超ワルだな!」
「気合入ってんじゃねーかよサトル!」
「……サトル君……? どうしてそんなことを……?」
「おぉ! あいつ今テーガクでガッコいねーべ? 何かパクッてやっかってんでロッカー開けたらよージャージ入っててよー! オレよーヒラメいちまってよー! あのヤローがテーガク明けたら一人だけ半ズボンで体育だぜ! ギャハハハハっ」
「……そうか、閃いちまったか……しゃあねえな…………」
「それよりモっちゃん! B組といやービトーのヤローだべ? あのヤローマジでチョーシ――」
ノリノリで上等コいていたサトル君だったが突然固まる。
仲間たちが怪訝な目を向けるが、サトル君は向かい合う彼らの肩越しに何かを見上げ表情を引き攣らせるばかりだ。
埒が明かないと、彼らはその視線を辿って振り返る。
そこには――
「よう、クズども。随分と景気がよさそうだな」
「――ビッ、ビトーっ⁉」
「ヒッ、ヒィ…………⁉」
今しがた名前を挙げた者がスマホを持った手をぶら提げて立っていた。
「テッ、テメェ……ここになにしに――」
反射的に尻もちをついて後退ったモっちゃんはハッとして、仲間たちの顔を窺う。
誰もが突然現れた弥堂への驚きへと恐怖で自分には意識を向けていなかった。
彼は何かを堪えるようにしてグッと歯を噛み締めると視線に力をこめて顔を上げる。
「――ビトーっ! テメーこの野郎っ! こないだはよくも゙っ――⁉」
弥堂へと掴みかかろうとしたが、立ち上がるよりも先に弥堂の爪先が鳩尾へと突き刺さった。
「お゙っべぇぇぇぇぇぇっ――⁉」
「モっちゃーーーーん⁉」
「うわあーーー! モっちゃんがゲロ吐いたあーーーっ⁉」
腹を抑え、自らが撒き散らした吐瀉物の上をのたうち回るリーダーの姿に彼らは周章狼狽した。
そんな中でも勇猛果敢にも弥堂へ立ち向かう者もいる。
サトル君だ。
「ッベーな。ッメー死んだぞ? ッべーことしてくれやがって。ひき肉カクテーな?」
全員上等な男であるサトル君は懐から自転車のチェーンと思われる物を取り出しヒュンヒュンする。
「テメー上等だべ? オレも上等な? あんまチョーシくれてっとマジやって――」
「――なに言ってんのかわかんねえよ」
まるで鎖分銅のようにチャリチェーンをヒュンヒュンするサトル君の手首を足で蹴ってズラしてやる。
「あべしっ――⁉」
すると振り回していたチェーンが彼の顔面を強かに打つ。
「いでぇぇぇ……っ! いでえよお……オデのガンベンがビギニグになっぢまっだあ…………」
「そうか、痛いか。可哀想にな。今、楽にしてやる」
「べっ? ぶぼっ――‼‼」
弥堂は悶絶するサトル君に近づくと彼の腹に拳を突き刺した。
ズンッと重い衝撃に身体を貫かれたサトル君は腹を抑えて前かがみになり泡を吹く。狂牛病の牛のように内股になった足をガクガク震わせると、両目をぐりんっと裏返してそのまま前に倒れた。
「サッ、サトルーーーーーーっ⁉」
「う、うわあーーー! サトルがカニみてえになっちまったあーーーーっ⁉」
慌てふためく残りの二人を無視して弥堂はモっちゃんに近づいた。
横倒しになって苦しみ藻掻く彼の鳩尾を、わざと威力を弱めて爪先で何度も蹴り続けて胃と横隔膜に負担を与える。
手加減されているとはいえ、鳩尾の同じ箇所を何度も打たれて嘔吐くモっちゃんは呼吸ができなくなっていく。
茫然とそれを見ていた生き残り二人はハッとなると弥堂に取り縋る。
「ビッ、ビトー! テメーやめろ! モっちゃんが紫色になってんじゃねーか!」
「ビトーっ…………いや、ビトーくん……もうカンベンしてくれよ。モっちゃんが死んじまう……っ、頼むよ……っ!」
弥堂はモっちゃんを蹴る足を止め、自分を制止する者たちの一人へ顔を向ける。
「やめて欲しいのか?」
「えっ……⁉」
「許して欲しいのか、と訊いている」
「あっ――あぁ! もうカンベンしてくれ! たのむ! このとおりだ!」
勢いよく頭を下げる二人のその後頭部をつまらなそうに見下し、弥堂は鼻を鳴らした。
「フン、いいだろう」
「え?」
「許してやると言ったんだ」
「マジか⁉」
「あぁ。もちろんマジだとも……」
喜び顔を見合わせる彼らを尻目に弥堂は内心ほくそ笑む。




