プロローグ
その夜は静寂に包まれていた。
5畳ほどの部屋には、真新しい勉強机の横にまだ使ったことのないだろうランドセルが置かれていた。銀色の長い髪をした少女が、ベッドの上で小さな寝息を立てている。
ヴォーン、と。
急に虚空に黒い穴が空き、中から少女と同じく銀髪の、しかし短く切り揃えた高校生くらいの男が、赤黒く染まった胸を押さえながら姿を現した。
苦しい息を立てながら、それでも自らの胸に向かって小さく呟く。「ヒール・メ・チェスタ」
すると、緑色の淡い光が胸を包み、男の顔色はみるみる和らいでいった。
気配を感じたのか、少女がゆっくりと目を開ける。
「お兄…ちゃん...?お兄ちゃん!どうしてお兄ちゃんが…それに服が真っ赤じゃない!なんでこんなことに」
「未希」
男は、少女に向かって微笑みかける。
「お兄ちゃんは大丈夫だ。でもな、ちょっとしばらく会えなくなりそうだから未希の顔を見に来たんだ。」
少女はきょとんとした顔をする。
「どうして?来週真界から帰ってくるって、また一緒に暮らせるって言ってたじゃん!」
その言葉に、男の顔が一瞬とても辛そうになったような、そんな気がして少女は何も言えなくなった。
「・・・ごめんな、でもどんなに時間がかかっても、絶対また未希と会えるように頑張るから。それと」
男は周りを見回した後、さらに真剣な表情になって言った。
「AWFEPは絶対に信用するな。これだけはどうか覚えておいてくれ。お兄ちゃんとの約束だ。」
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「ふう、やっと寝てくれたな」
少女がまたベッドの上で寝息を立てている。よほど不安なのだろう、男の手を握り続けていた。
「未希…」
男はそっと握り返すと、目を薄く閉じて、先ほどと同じようにぶつぶつと何かを唱えた。
「カシェ・ハ・フォーセ」
紫色の光が少女を包み、次の瞬間、少女の髪の毛は黒色に変わっていた。
「これで、あいつらの目を誤魔化せるだろう。どれくらい持つかは分からないが…どうかお前だけでも平穏にな…」
少女の手をそっと離し、名残り惜しそうに男はベッドの横にしばらくしゃがんでいたが、やがて決意を決めたように立ち上がった。
「じゃあ、行ってくるとしますか!」
男が右手を前に突き出すと、彼が現れた時と同じような黒い穴が虚空に出現し、男を飲み込んでいく。
そして後には、何も起きていなかったかのような静寂の中で、少女の寝息だけが響いていた。