06
「魔道士団の元幹部アースラがこの近くのオーランド山に隠れてるってさ。」
朝飯の支度をしている横で、ベルがブリオッシュをつまみ食いしながら言った。
「アースラって、あの、公爵家の会計士と結託して金を横領していた奴か?」
「そうそう。逃げられる前にご主人様に相当痛めつけられたみたいだから、かなり弱ってるみたいだよ。おっさんでも何とか捕まえられんじゃない? かなりの額の賞金がかかってるし、しょぼい勲章なんか売らなくても済むかもよ。」
しょぼい、は一言多いが、ベルの話は実に魅力的だ。一瞬、心が踊ったが、すぐに思い直した。
「オーランド山なんて、ここから往復三日はかかるじゃないか。ドブさらいの仕事は休めないから行けないよ。」
「いいじゃんそんなのサボれば。」
「ばかもの。急に休んだらみんなが困るだろ。お前は本当にベルゼブブか? ぽっと出の若蔵みたいな不真面目なこと言いやがって。ったく。」
「めんどくさ。なら転送魔法を使えば?」
「簡単に言うな。何で俺が魔法を使えるんだ。」
「だから、使うのはおっさんじゃないって。」
ベルは呆れ顔で言った。
「じゃ、誰が……。」
「おはようございます、兄さま。良い朝でございますね。」
ジェリーが相変わらずのヨレヨレの身なりで居間に現れた。
「転送魔法? もちろんできますわ。必須科目ですもの。……あんまり上手ではありませんけど。」
「ほう。」
最後の方は声が小さすぎてよく聞こえなかったが、ジェリーに転送魔法が使えるとは少し意外だった。使役動物ベルの存在にも気づかない上に、先日のシチュー鍋にかけた魔法といい、てっきり貴族枠の裏口入学組だと思っていたが、一応、ひととおりのことは履修しているらしい。
とは言え、輿入れ前の公爵令嬢を危ない目に合わせる訳にはいかない。オーランド山より少し離れた場所に転送してもらい、ジェリーには安全な場所で弁当でも食ってもらっている間にちゃっちゃと片付けてしまおう。
「るるる〜♪ 兄さまとお山へピクニック〜♪ お弁当は〜♪ 朝の残りのブリオッシュ〜♪ レモネードと卵焼き〜♪」
ジェリーには余計な事は言わず、たまには郊外へ出かけようと持ちかけた。上機嫌のジェリーは調子の外れた残念な鼻歌を唄いながら出かける準備を整えた。弁当を詰めた籠を手に下げ、エプロンをつけ、三角に折ったスカーフを頭に被り顎のところで結んだ姿は童話に出てくる女の子のようで、我が妹の姿ながら、可愛らしくて思わず顔がほころんでしまう。
「まあ、兄さま、勇ましゅうございますこと!」
そして、俺がおんぼろの甲冑を着け、錆びついた剣を携えた姿を見て、そんなご愛嬌を言ってくれる。外見は妹だが、中身は大違いだ。
ジェリーは裏庭の一角に魔法陣を描いた。弁当を詰めた籠を下げたジェリーがサークルの中心に立ち、その後ろに肩にベルを乗せた俺が立った。
「では、参ります。オーランド山付近の安全な場所ですね。」
ジェリーが杖を掲げ、何かを唱えると、魔法陣から青白い光が発せられ、俺達は光の中に消えた。
⁂⁂⁂⁂⁂
聖都に総本山を置く魔道士団と言えば、聖女様に忠誠を誓う誇り高きエリート集団ではあるが、トップの奴らはあながちそうとも言えない。さすがに団長、副団長ともなると多少はまともなんだろうが、何の為にいるのかわからない幹部連中は、能無し貴族どもの名誉職になっている。
ずらかったアースラとか言う奴も、悪知恵に長けているかも知れんが実際には大した魔道士ではないのだろう。でなければ、いくらステラが魔道学院の秀才とは言え、まだ大学に入学すらしていない駆け出しの魔道士に簡単に追い詰められる訳がない。
相手がモンスターなら話は別だが、俺達戦士が同じ戦士を相手にする時は、互いの剣と志に敬意を払い、どれほど実力が離れていようとも勝利どころか誇りまで奪うような無惨な事はしない。
反面、魔道士同士のケンカは戦士のそれと比べるとえげつない。互いの魔力を奪い合い再起不能に追い込むのだ。普通はそうなる前に実力の差を見せつけられた方が相手に服従の意を示して終わるのだが、アースラはステラを見くびっていたのだろう、向こう見ずにもステラに挑み、結果、魔力をごっそり奪い取られてしまったようだ。
這々の体で逃れたアースラは残された僅かな魔力でオーランド山に結界を張り、体力の回復と再起を計っていたのに違いない。奴の悪事が露見すれば困った立場になるお偉いさんも大勢いるだろうから、そいつらを味方につけようと企んでいたのだろう。
そんな画策をしているところへ、地表から青白い光が起こったと思ったら、一人の少女と一人のおっさん、そして一匹の便所バエが光の中から突然姿を現したので、アースラは腰を抜かした。
「うわあああっ!! 何だお前ら!?」
「あら、ごめんください。座標を間違えてしまいました。」
ジェリーがおっとりと言った。
どうやら、アースラの張った結界の内側に転送されてしまったらしい。そんな事ができるとは、いくら間違いとは言え恐れ入る。
「ずいぶんと派手に間違えたもんだ。」
「だから、貴族の魔法は派手なんですってば。」
俺の肩の上であぐらをかいているベルが言った。すっかり定位置になってしまったようだ。
「そう言う問題か?」
ジェリーの実力に底が知れず恐ろしくなってくる。
「おのれ!」
アースラが再び結界を張り壁を作った。
「とっとと仕留めるか。」
何が起こっているかよくわからずキョロキョロしているジェリーを後ろに引き寄せ、俺は剣の柄に手をかけ前に進み出た。
「悪いけど、私は力は貸せないよ。使役動物は主人以外の命令は聞けないから。」
「そうなの!? お前の主人の為にこんなに苦労してるんだぞ。仕方ないなあ。」
俺は錆びついた長剣を抜いた。金に困って売らなくて本当に良かった。
「う、うそでしょ……!! 」
抜いた剣を見たベルが息を飲んだ。この剣を知っているとは、やはりコイツもただの便所バエではなさそうだ。
剣が黄金の光を放ち、光が炎となり、立ち昇る炎がうねりを描いたと思うと、黄金のドラゴンを形作り、ドラゴンが結界を突き抜けアースラを襲った。
「うわぁーーーっ!! 」
アースラは絶叫とともに倒れた。むろん殺しはしない。ドラゴンの炎に魔力を奪われ失神したのだ。コイツは聖都へ連れ戻し余罪をことごとく追求せねばならぬ。
「悪く思うなよ。」
アースラに縄を打ちながら俺は言った。
僅かな魔力をも奪い取られたアースラは、もはや魔道士ではなく、ただのおっさんだ。かわいそうだが、下手に攻撃でもされてジェリーが怪我でもしたら俺の就活にも影響が出てくるので、こうするより他は無かった。
「まあ、この方がイーゼル氏のお友達の悪い魔道士さんですの? 奇遇ですこと。」
ジェリーがおっとりと言った。
⁂⁂⁂⁂⁂
オーランド山の麓の小さな農村に冒険者ギルドの事務所の出張所があったので、アースラを引き渡した。賞金の額を見ると、ステラの大学進学の支度金には十分な額だ。俺はホッと一息ついた。
「やったね、おっさん。」
と言うベルに、
「どうせ、ステラが手柄を譲ってくれたんだろ。ジェリーの姿をしたあいつがアースラを仕留めても、金はこっちに入ってこないからな。」
俺はそう返した。
「なんだ、わかってたんだ。」
「何にしても助かったよ。勲章の報奨金は親の老後に蓄えておきたかったしな。」
「おっさん、辺境のドラゴンを土下座させたって噂、ホントだったんだ。」
俺の腰にある長剣を見ながらベルが呟いた。
「調子に乗ってる奴がいたからな、ちょっと大人しくしてくれるように丁寧にお願いしただけだ。まあ、あん時は俺も若かったしちょっとやり過ぎたと反省してるよ。」
ちなみに、その昔俺が辺境のドラゴンとモメた時、襲い来るドラゴンの炎に奪われる魔力など持たなかった俺は髪の毛を奪われたのだが、魔力と髪の毛、どっちがマシだろうか。
俺は鞘に収まっている長剣を軽く叩いた。
「困った時はいつでも呼んでくれって言われてるんだけど、社交辞令かなあ。呼んだら来てくれると思う? 友達ヅラしてるみたいで迷惑かな?」
「そりゃ来るよ。ドラゴンの剣をやるなんて、服従の証だもの。」
ベルは少しだけ顔を引きつらせた。
それは良いことを聞いた。ドラゴンはドブさらいには何の役にも立たないが、今後の就活には有利に働くかもしれん。
「ふええ、兄さまー! お助けください、兄さまー!」
ギルドの事務所を出ると、外で待っていたジェリーが羊に囲まれて動けなくなっていた。弁当を取られまいと籠を頭に乗せてオロオロしている。
「これ、しっ、しっ。あっちへ行って下さい。これは兄さまと私のお弁当ですからあげませんよ。きゃっ、くすぐったいですう。やめて下さい、いやん、あんっ、きゃーっ。」
「あ、転んだ。」
ジェリーの姿はモコモコの中に消えてしまった。