05
そんなこんなで、妹、ステラの身体を借りたジェリーこと公爵家令嬢のレディ・ジェラルダインと俺が暮らすようになり、一週間ほどが過ぎた。
何をする訳でもない。日中はガイドブックに載っている話題の店で甘いものを買い、例の植物園でぶらぶらと時間を潰す。
一度、日用品の買い出しに市場へ連れて行ったら興奮してしまって目も当てられなかった。
「兄さま、カボチャは一つ買うよりも二つ買った方がお得ですよ。」
「兄さま、今日はチーズがポイント二倍ですよ。」
「兄さま、このパンをたくさん買うとお皿がおまけに貰えますよ。」
という具合に、ひとつひとつの店の前で立ち止まっては何かしら言葉を発するまで動かない。ちょっとでも目を離すと店のおばさんから果物や惣菜の試食をもらってしまい、結局買わざるを得なくなってしまう。
しかし、ジェリーにとっては中央広場へ続く目抜き通りに並んでいる最新流行の物を売っている店よりも、下町の雑多な店の方が面白いようだ。俺にとっても、レモネード一杯買うにしても下町の市場で買う方が新鮮なのに五分の一の値段で済むからありがたい。
とは言え、ジェリーの面倒だけ見ている訳にもいかないから、ジェリーが眠っている間に早朝のドブさらいとか、深夜の採掘場の吸血コウモリ退治とか、冒険者ギルドが斡旋してくれる仕事の中では最低賃金の仕事を細々とこなしていた。
もう少し街から離れた仕事を請けることができれば、ドブさらいひと月分の金くらい三日もあれば稼げるのだが、ジェリーを置いて家を空けるわけにはいかず、辛いところだ。
しかし、全ては就活の為。ジェリーが晴れて輿入れとなった時、花嫁に付き従う戦士に名を連ねているのを夢見て俺は今日もドブさらいに励むのだ。
そんな折、俺とステラ宛に郵便が届いた。俺には田舎の両親から、ステラには、聖都の公爵家からだ。
「ステ、いいえ、親友のジェラルダインからだわ!」
ジェリーは手紙に飛びついた。どうやら聖都でジェリーになりすましているステラからの近況報告らしい。ジェリーは食い入るように手紙を読んだ。
「お友達からは何て言ってきてるの?」
俺は知らないのを装って何気なく聞いた。疎遠になっている妹は公爵家でどんな生活をしているのやら。
手紙に目を通していたジェリーは、まあ、と口を押さえた。
「ミセス・イーゼルが解雇されたんですって。」
「ミセス、え? 誰?」
「友人の家のメイド達を取り仕切っている家政婦長です。色々な商人からたくさんお金をもらって公爵家で何か購入する時に便宜を計っていたそうです。模様替えの時に高い調度品をたくさん買ってあげたり。ちっとも知らなかったわ、いえ、えーっと、どうして露見したのかしら?」
ジェリーは目を丸くして便箋を見つめているが、俺とテーブルに座ってジャムパンを食べているベルは互いに目配せをした。
「もち、ご主人様が暴いたに決まってます。」
ベルはジャムだらけの顎を得意気に反らした。
ジェリーはさらに続ける。
「まあ、ミセス・イーゼルの旦那さまで、公爵家の会計士、イーゼル氏も捕まったんですって。どうらやイーゼル氏が知り合いの魔道士と組んで複雑な魔法をかけて帳簿を誤魔化していたみたいですわ。驚いたわ、あのイーゼル氏が。でも魔道士は雲隠れしてしまったそうですわ。あらまあ、魔道士団の幹部のアースラ様ですって! いろいろなところで同じように悪い事をしていたのですって。」
この街ではお転婆娘で通っていた妹ステラだが、ジェリーの姿を借りた公爵家でも無双状態のようだ。おっとりしたレディ・ジェラルダインの豹変ぶりに家の者はさぞかし困惑していることだろう。そう思うと何だか愉快だ。
ジェリーは手紙の返事を書くと言って自室へ篭もってしまった。こちらの様子も報告したいことが山ほどあるのだろう。
俺はと言えば、両親からの手紙を読んでも、とてもステラが寄越した手紙のように愉快な気分にはなれなかった。
正確には、ステラが新学期から通うことになっている魔道大学から両親宛に送付された書類が転送されてきただけだ。両親は字が読めないからこっちで処理しろと言うことだろう。
"保護者の皆さま、御子息、御息女のご入学おめでとうございます。魔導大学入学のご案内。入学金、年間授業料および施設費のご案内(特待生につき免除)。学生寮のご案内(特待生につき免除・ご希望者のみ)。教材ご購入のご案内。後援会のご案内。寄附金のお願い。別途積立金のご案内。"
ううう。本格的に困った。授業料や寮費がタダなのは本当に助かるが、それだけではとても済まない。杖だってローブだって、弘法筆を選ばずとはいえ、中古の安物という訳にはいかないだろう。
冒険者ギルドに預けてある蓄えだけで足りるだろうか。俺は頭を抱えたが、ふと、居間の飾り棚に目がとまった。
「そうだ、勲章をもらった時についてきた褒賞金を取り崩そう。」
「褒賞金?」
肩に乗っかって一緒に書類を眺めていたベルが聞いた。
「勲章ひとつにつき、決まった額の褒賞金が年金に上乗せされるんだ。早期給付にして税金を引いてもかなり残るはずだ。そうだ、何なら勲章も売ってしまおう。純度は低いが金には違いない。」
勲章でも貰えば妹も俺を見直してくれるかと期待してこんなとこに飾っておいたが、妹は存在すら気がづいていないようだった。
俺にしたって、こんな勲章を持っているせいで自尊心ばかりが高くなり、ドブさらいや屠殺場の仕事に抵抗を感じてしまうのは良くない。昔の栄光にすがっていないで、現実を受け入れて地道にやる為にも手放してしまった方が良い。
つい半分独り言のようになってしまい、俺はぎくりとして書類を閉じた。
「ばかやろう。人の手紙を覗く奴があるか。言っておくが、ステラに余計な事言うなよ。」
「はいはい。」
ベルは興味の無さそうな声でそう言うと、翅をわーんとさせてどこかへ行ってしまった。
ジェリーがベッドに入ったのを見届け、俺はいつものように水晶採掘場の吸血コウモリの駆除に出かけた。
ここ数日金策で気が重かったが久しぶりにスッキリしていつも以上に体が動き、コウモリ駆除数自己ベストを更新して帰路についた。
夜も更けているが、街の城壁の外側の歓楽街は人が多く行き交っている。
「ちょいとお兄さん、ひとつ買っておくれよ。」
人混みをかき分け歩いてると、小間物の行商人にそんなふうに声をかけられた。見ると、二十歳そこそこの娘だ。
娘は、貝殻を花のように組み合わせたアクセサリーをいくつも並べてみせた。
「ごらんよ、こんな細工はちょっとこの辺にはないよ。本当なら、貴族さまやお金持ちの奥様しかお目にかかれない代物だよ。」
「へえ、貴族さまが? 公爵家なんかも?」
俺は思わず身を乗り出す。
「そうそう、そうだよ、これなんか、貴族の御令嬢に人気があるよ。助けておくれよ、今日はてんで上がったりでさ、このままじゃ親方のところへ帰れないよ。お兄さんにだって、いるだろ?こんなのを贈るような、いい人の一人や二人。」
「ひとつ、いや、ふたつもらうよ。」
考えるより先に口から出てしまった。金は何とかなりそうだし、このくらいは構わないだろう。ジェリーと、公爵家にいるステラにひとつずつ。ジェリーからのプレゼントなら、ステラも受け取ってくれるだろう。
「毎度。」
娘は金を受け取ると、にやっと笑った。
家に戻ると居間に明かりが灯っていた。見ると、自室で寝ていたはずのジェリーが深夜にも関わらずテーブルで大学の書類を憂鬱そうに眺めている。
妙なことに、ベルがジェリーの頭の上に座っていた。ジェリーがやって来てからというもの、ベルがジェリーの近くにいるのを見るのは初めてだった。
ジェリーは俺が居間に入って来たのを見て、はっと顔を上げたが、すぐに書類に目を戻した。
「起きていたの? 眠れない?」
「別に。」
ジェリーにしては珍しく不機嫌でぶっきらぼうな返事だ。ステラの大学の書類と関係があるのだろうか? ジェリーには全く関係の無い書類だが、ステラになりきっているのだから、見るなと言う訳にはいかない。ええい、ややこしい。
「ミルクでも温めようか?」
「いらないし。」
ジェリーは書類から目を離さずに答える。
何かあったのか? と言う面持ちでジェリーの頭のに座っているベルを見るが、ベルは肩をすくめるような仕草をしたまま何も言わない。
「そうだ、土産があるよ。」
ふと、先程買った髪飾りを取り出した。
「ほら、ふたつあるから、手紙を書いてくれた親友のお嬢さんにも送ってやりなさい。貴族の娘さんの間で流行っているそうだよ。」
俺はジェリーの髪に髪飾りをつけてやる。
「はあっ!? バカ? こんなの貴族が持ってるわけないし!」
ジェリーは俺の手を払い除け、勢いよく席を立ち、居間を出ようとした。
「そ、そうか。」
考えてみれば、貴族が使うような装飾品をあんな路上の小間物屋が扱うはずがない。市場で何でも買わされるジェリーを笑う資格もない愚か者だ、俺は。
「けど、まあ。」
ジェリーは俺に背を向けたまま立ち止まり
「もらってやっても良いけど! べ、べ、別に気に入ったわけじゃないけど! 捨てるのももったいないし! 別に嬉しくないけどね! 全然! 嬉しくないけどね! 勘違いしないでよね!」
早口で捲し立て、部屋に引っ込んでしまった。
「一体、どうしたんだ……?」
俺は呆然とジェリーを見送った。
「おはようございます、兄さま。」
あれからほんの少し仮眠を取り、早朝のドブさらいの仕事も終えいつものように朝飯の支度をしていると、いつものようにジェリーが部屋から現れた。
相変わらずボタンは掛け違え、スカートもまっすぐはけていない。ボサボサの赤褐色の髪には例の髪飾りが絡まるように留まっていた。
「兄さま、素敵なお土産をありがとうございます。それも、親友とお揃いだなんて嬉しいわ。早速、ステ、いえジェリーにも送ってあげます。」
ふんわりとした邪気の無い顔で言う様子は、本心からそう思ってくれているように見える。昨日のアレは何だったんだろう?もしや、この御令嬢は昼夜で性格が変わるのだろうか。あの性格と口の悪さはまるで本物の…………。
「あ!」
俺はつい声を上げた。
「どうなさいました? 兄さま?」
ジェリーが首を傾げこちらを見た。
「いや、何でもないよ。」
俺は慌てて言った。
昨日のステラは、いや、ステラと入れ替わっているジェリーは、ジェリーではなく本物のステラだったのだ。
ええい、ややこしい! とにかく。
ステラが帰っていたのか。
そうか。ステラが帰って来てくれていたのか。
「おっさん、鈍すぎだよ。」
俺の肩に座っているベルが言った。
「ぬかせ。」
そう言いつつ、俺は台所の人形用の食器にフレンチトーストとレモネードを入れてやった。
……お前のご主人様は、まったく可愛くないな。
「何? おっさん。」
「何でもない、早く食え。」
俺は言った。
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