04
せっかくの休暇で来ているのに、家の中に閉じ込めておくのも良くない。昨日は知らなかったとはいえ独りぼっちにさせてしまったわけだし、罪滅ぼしの意味もこめ、二人で外に出てみた。
しかし、中身は別人とはいえ、成長した妹とこうして並んで歩くのは恐らく初めてではないだろうか。心なしか緊張してしまう。そこまで考えはたと気づいたが、そう言えば、妹はおろか、女性とこうして並んで歩くのはお袋を除けば初めてではなかろうか。ううむ。緊張を通り越し情けなくなってきた。寂しい青春だったのだなあ。
ジェリーはあらかじめ買っておいたらしいガイドブックを握りしめている。
「どうしてもここには行きたいのです。」
そう言って広げてみせたページには『ティーンに大人気!【まるで飲み物! しゅわしゅわ・ふわふわカステラ 中央広場店】』と書かれていた。
……そこでの出来事は、早く忘れたいので触れずにいてくれると有難い。
しかし、外へ出てはみたものの、無職の俺が遊びに使う余分な金などあるはずがない。【しゅわふわカステラ以下略】は、本当に飲み物のように一瞬で口から消えたのに、ドブさらいの時給並の金を取られた。これ以上の出費は何としても抑えなければ。
仕方なく中央広場の近くのプリンセス・ビクトリア記念植物園へ行った。植物園と言っても広い森林公園で、温室や池があり、野外コンサートなどもやっている、我が街自慢の植物園だ。敷地内には図書館や美術館もあり、市民はすべてタダで入れるのだ。さすが、税金が高いだけのことはある。
野外ステージで管弦楽団が何か演奏していたので、ジェリーとふたり並んで座って鑑賞する。ジェリーは膝をきっちりと揃えて聴き入っている。普段なら居眠りしてしまいそうな音楽だが、妹の姿をした女の子が隣に座っているだけでいつもと違ったふうに聞こえて、俺も芸術がわかったような気分になる。
ジェリーの家では、毎晩こんな音楽を奏でながら夜会をしたりしているのだろうか。妹のステラは、今ごろ聖都の公爵家でジェリーのかわりに上流階級の暮らしを楽しんでいることだろう。
ステラと言えば、昨晩、ベルが聖都の魔導大学へ進むと言っていたっけ。魔導学院ばかりか大学なんて、我が妹とは思えないくらい本当に優秀な奴だ。しかし、大学へ行くとなるとまた色々と物入りなことだろう。魔導学院高等科の時だって、授業料や寮費は奨学金が貰えたが、教材費やこまごまとした雑費の捻出だけでも大変だった。早く仕事を探さなければ。本当にジェリーが仕官のクチを利いてくれたら助かるんだがなあ……。
拍手の音で我に帰った。
「兄さま、音楽が大好きなんですね。聴き入っていらっしゃったもの。」
「いや、その。音楽なんてよくわからないけど、幸せな気分になれたよ。」
金の事を考えて憂鬱になっていましたとも言えず、つい口から出まかせを言ってしまった。
「私もですわ。」
妹の姿を借りたジェリーがにっこりと微笑んだ。おっとり、ふんわりとした、優しく愛らしい笑顔。
見た目は同じでも、やはりこの子はステラではないな、と思った。
金の心配なんかしたこともない顔をしている。
ジェリーならば、ボディーガードに戦士を一人余計に雇うくらい、【しゅわふわカステラ以下略】を三十分以上並んで買うよりもずっと容易な事に違いない。何とか雇って貰えるように頑張ってみよう。
「あちらに池がありますね。」
ジェリーが池の方を指差した。
「行ってみようか、渡り鳥がいるかも知れないよ。」
就活の文字を胸に刻み俺も調子を合わせる。
「まあ、渡り鳥? 見たいわ。」
「ステラは鳥が好きなのかい?」
「はい。兄さまは?」
「好きだよ。野営した時によく狩ったもんさ。鴨がうまいんだ。」
「まあ……。」
しまった。間違えた。
こんな話題は女、子供には向かないんだっけ。残酷だとか、何とか。俺が妹から毛嫌いされるのも、こんな野蛮な話ばかりするからかもしれん。
しかし、ジェリーは弾んだ声で言った。
「そう言えば、兄さまはイグアナを食するんですってね。サボテンの実も。」
「うっ、よくご存知で……。」
「もちろん、知っていますわ。兄さまがお手紙に書いて下さったではないですか。」
「え?」
「私もそれを読んで……いえ、お友達にも見せてあげたんですのよ。サボテンの実は水分も栄養もあるから砂漠では貴重品なんですのよね。でも東南の地域では、どこの八百屋さんでも買えるありふれた果物なんでしょう?兄さまからのお手紙は、リボンで結んで大切にとってあって、繰り返し読み返していましたから、覚えてしまいましたわ。」
ジェリーの思いがけない言葉にまたもや戸惑ってしまう。昨日かからこんな事ばかりだ。
他にすることもないので辺境から家族に手紙を書いたこともある。しかし、ステラからもらう返事は読み書きのできない両親のかわりに仕方なく代筆したであろう事務的なものばかりだった。俺からの手紙も、両親の為に一度くらいは読み上げることはあっただろうが、その後は当然かまどの火を起こすのに使うかして捨てられているのだろうと思っていた。
「読み辛かったろう、俺は読み書きが下手だから。」
俺はそれしか言えなかった。
「いいえ、辺境の人々の生活が手に取るようにわかり、とても面白うございました。」
ジェリーはいつものように、おっとりとした優しい笑顔を向けたが、何だか寂しそうなのは気のせいだろうか。
「何でも、数年前の領地替えでジェリー様の二番目の兄君が辺境伯におなりになったそうですよ。」
ひょっこり現れたベルが言う。
「トロくさいジェリー様を何かと庇って下さる優しい兄君が遠くへ行ってしまい、お寂しいんでしょうね。」
なるほど、兄君が。お上の沙汰とはいえ、慣れぬ土地を統べるとはさぞかしご苦労な事だろう。辺境に詳しい戦士が一人いれば調法するのではなかろうか。ヨシこの辺りからアピールしてみよう。
しかし、公爵家は兄妹仲が良いのだな。それで俺のようなおっさんも兄と慕ってくれるのか。羨ましいことだ。
ベルは翅をわんわんさせながら面白くなさそうにぼやいた。
「あーあ、このままずっとご主人様とジェリー様が入れ替わったままならなあ。ご主人様なら公爵家ばかりか他国の輿入れ先を乗っとるくらい朝飯前ですよ。そしたらおっさんだって……ひっ!」
「おい便所バエ。」
ベルは俺の唸り声に蒼ざめ言葉を切った。
「言葉に気をつけろ。妹はやんちゃ者だがそんな汚い奴じゃねえ。その程度の地位なんざ自分の腕ひとつで昇り詰める子だ。今度そんな口を叩きやがったら、お前の舌を引っこ抜いて、翅をむしって、串刺しにしてモズのエサにしてやるからな。」
「あわ、あわわ、す、すいません、おっさ、いえ、お兄さま……。」
ベルは真っ青になって震えている。弱い者いじめなんか面白くもないからこの辺で許してやるか。ったく、これのどこがベルゼブブだよ。
その時、
「きゃあっ。」
と、悲鳴のした先を見ると、水鳥を触ろうとして柵を乗り出していたジェリーがぽちゃんと池に落ちたところだった。
⁂
「うええ。兄しゃま、べちょべちょして気持ちが悪うごじゃいましゅ……。」
ヘソを曲げて「もうやだ。おうちに帰る。」などと言われてしまったらせっかくの仕官の道が閉ざされてしまう。俺は全身濡れ鼠になり、頭に水草までひっつけ、残念さに磨きがかかってベソををかいているジェリーを早々に家に連れ帰り、身を清めてくれる『石鹸のお香』を焚き、身体を温める『とうがらしドロップ甘口』を与えて寝かしつけた。慣れない家での昨日からの緊張もあって、ジェリーは夕飯も食べずに眠ってしまった。
今朝がたジェリーに氷漬けにされたシチュー鍋も、その頃には良い感じに溶けていたので、温めなおして一人夕飯を食べていると、どこからともなく耳障りなわーんという不快音が聞こえてくるが、姿が見えない。
「もう怒ってないから出てこいよ。」
仕方なく俺がそう言うと、ベルはバツの悪そうな顔をして現れたが、用意されている夕飯を見て目を丸くした。
「これは?」
「人形用のティーセットだよ。昔、ステラに買ってやったものの、ずっと物置きに眠ってたのを思い出したんだ。あいつは人形遊びなんかしないからな。」
ベルはそろそろと人形用の食器に盛り付けた夕飯が並べてあるテーブルに降りた。
「ありがとうございます、お兄さま。」
「気持ち悪いな。おっさんでいいよ。」
「さんきゅー、おっさん。」
ベルは少しはにかんだような笑顔で、テーブルのへりに腰掛け夕飯を食い始めたが、ちらっと俺を見て眉をひそめた。
「おっさん、何か今日匂いがへん。」
「ああ、石鹸のお香だろ?ミント&スパイスオレンジの香りだったかな。」
「ふーん……私はいつものおっさん臭の方が好きだな。」
ベルは、もそもそパンを食べながらぽつりと言った。
「便所バエに好かれる匂いって何だよ。」
俺は溜め息をつく。
「便所バエじゃないもん。ベルゼブブだもん。」
「はいはい。」
便所バエだろうが蠅の王だろうがこの場合はどっちだって同じだ、と俺は思ったが、少し間をおいて、
「まあ、ありがとな。」
と言っておいた。