87.関興、(また)牢獄に入れられる
さて。オレがなぜ牢内に幽閉されているか……なのだが。
蟄居謹慎中の身でありながら屋敷を抜け出し、あまつさえ当陽で五銖銭の束を櫓の上からどんどん撒き散らして、「金銭欲につけ込み敵を惑乱させる計」で劉備追撃の邪魔をした、と腐れ儒者三銃士の一人・董昭が訴え出たからだった。
ところが調べてみると、儒者で名高い華歆が愛国心の証しとして二百万銭もの大金を“寄付”しろとオレに強要したこと、オレは目付け役の曹丕に許可をもらって外出したこと、華歆の命令どおり「曹魏軍の足しになるよう」曹純が率いる軽騎兵に五銖銭をバラ撒いて「寄付」したこと、劉備への追撃を邪魔したわけでなく、むしろ劉備が逃げて行った方向を曹純に教えたことなど、すべてオレの言い訳どおり事実であることが判明した。
「それに、徳治を目指す曹丞相が意味もなく荊州の領民を殺すはずがありません。先日、荊州の吏民に布令を下し、過去を清算し更始を与にせんと宣言したではありませんか!
にもかかわらず、儒者の董昭殿は、
『ええい、このままでは埒があかん。邪魔な難民どもは斬り捨てい!』
と劉備に付き従った荊州の十万の難民に対して、無差別殺戮を命令したのです。
オレはマズい、これでは董昭殿が布令違反になって罰せられると心配し、唐県へ運ぶ途中の五銖銭をやむを得ずバラ撒いて、曹純殿が率いる軽騎兵の気を逸らせたのです」
と神妙に告げた。
これで完全に攻守逆転した。
秦朗は董昭の布令違反を懸念しこれを未然に防いでやったのに、董昭は恩義に感じるどころか逆に秦朗が任務の邪魔をしたと告発するとは、儒者の風上にも置けぬ不義理な行為と世間の非難を浴び、董昭は渋々オレへの訴えを取り下げざるを得なかった。フン、ざまぁ。
それ以上に厳しく糾弾されたのは、昔オレとの舌戦で負けた仕返しに二百万銭もの“寄付”を強要した華歆だった。降将に対して絶対にあってはならない行為として、曹魏の政府から正式に謝罪され、寄付金二百万銭の返却を約束された。
べつにオレの金じゃないからいいのに。くれるならもらうけど(笑)。なんてね。
その煽りを食らって、オレが当陽でバラ撒いた金を拾った軽騎兵は、可哀想に返還を求められ、集まったお金は全部で八十万銭。残り百二十万銭は流民が拾ったか、櫓の周辺に落ちたままなのか、オレの配下の盗っ人どもがポケットにくすねたのか、よく分からん。
「一度寄付した物を受け取るわけにはいきません。官庫にお納め下さいますよう」
と辞退したことで、オレの評判は高まり(魅力のステータスが+3くらい上がったかな 笑)華歆の名声は地に墜ちた。ニヤニヤ。
これで晴れて牢獄からおさらば……と行かないところが、やらかし体質のオレ。
腐れ儒者イヤミ三銃士の桓楷・華歆・董昭を返り討ちにしてやったぜ☆ざまーみろ!と調子に乗ったのがまずかった。オレは彼らが曹丕の寵臣なのを軽視していた。
謀臣の程昱が曹丕にそっと囁く。
「丕殿下。これで秦朗の思惑がお分かりになったでしょう?桓楷・華歆・董昭はいずれも殿下の腹心。彼らの評判を下げて、丕殿下を貶めようという卑しい魂胆は明白。殿下はこれでもまだ秦朗を庇うつもりですか?」
曹丕の心がぐらつく。追い討ちをかけるように、程昱は荊州の降将で関内侯となった張允を連れて来た。オレはまったく覚えていなかったが、昔オレと潘濬がオンボロ楼船を褒美として劉表にもらいに行った帰り、河賊に襲われて人質になった情けない役人のことらしい。その張允が、
「かつて関興が某とともにオンボロ楼船に乗船中に、
――唐県は許都に近い。譲り受けた楼船を使って許都を攻め、天子様を擁して天下に号令を掛ける。オレが覇者となるのは目前だ!
と豪語したのを、しかとこの耳で聞きました!」
と証言した。
はぁ?馬鹿馬鹿しい!五年も前の話だぞ。オレが本気で攻めるなら、当時まだ不仲であった荊州牧・劉表の居城である襄陽の方だろ。おまけに堅物の潘濬を相手に、そんな際どい話を人前でするかよ?!
だが、疑心暗鬼に陥った曹丕は張允の証言を信じた。
「そうだったのか!そのために秦朗は桐柏ダムを造り、唐県と朗陵県を船で行き来できるよう繋いだのだな?!」
……あ、シマッタ。
妙に整合性のある“もっともらしい”話を程昱にでっち上げられてしまった。「そうじゃないんですぅ、義兄上」と可愛げのないオレが目をウルウルさせながら言い訳しても、ぜんぜん説得力がない。やっぱり怒っちゃう…よね?
「おのれっ、秦朗め!俺を裏切るとは許せん!」
ぷぎゃー。
というわけで、オレは再び牢獄に逆戻りしてしまったのだった。
◇◆◇◆◇
そんなある日、曹操が供を連れて、三たび牢獄に幽閉されているオレを訪ねて来た。出してくれるのかな、と淡い期待を抱いたのだが……。
「秦朗、おまえの【先読みの夢】はまずまずの的中じゃったの。趙雲に救われたものの、危うく董昭の告発で死刑に処されるところだったようだな」
「ははーっ、恐れ入ります」
「フン、つまらん。あいかわらずのヘ理屈で命拾いしおって」
「曹丞相のお慈悲で命を救われました。寛大なご処置、ありがとうございます」
と跪いて大仰に感謝の念を述べる。
「おだてても牢からは出さんぞ。わしではなく丕の沙汰だからな」
「ちぇっ。見破られたか」
とおどけるオレに、曹操は乗って来ない。
「徳治を目指す曹丞相、とな。世辞がミエミエで虫酸が走るわい。おまえも荀彧の同類か?」
オレは苦笑いして、
「……丞相、ご機嫌ななめですね。江陵を陥として荊州水軍の軍船数千隻を手に入れた、おめでたい戦果を上げたばかりというのに。何か気に食わぬ出来事でもありましたか?」
「これよ」
と言って、曹操は孫権から届いた返書の文を差し出した。
――獲物が自ら死地に飛び込んで来るとは愉快なことよ。我が孫呉は正道に従い、罪深き獣に鉄槌を下す。会猟するなら十万の軍勢でお迎えしよう。
「わしは荀彧の献策に従い、徳によって孫呉を降伏させる“王者”の道――戦わずして勝ち、攻めずして領地を得、武器を使わずして天下を帰服させる――を採用した。降伏した劉琮を青州刺史に任命し、また荊州の腐れ重臣どもを関内侯の地位に上げてやり、孫呉の者たちが降伏しても、こうして手厚く遇してやるぞと示したつもりだ。
その結果がこのザマだ!
孫権の奴め、わしを罪深き獣と愚弄しおった。自ら死地に飛び込んで来たわしを迎撃してやる、とな」
つまり曹操は、荀子の唱える“王者の道”を取れば、戦わずして孫呉は降ると期待していた。ところがその期待は裏切られた。徳によって孫呉を降伏させるなど机上の空論ではないか!荀彧の言なんぞ信じた自分が馬鹿だった、とこう言いたいのだろう。
しかし、だ。オレは曹操が孫権に送った文の内容を知っている。
――近頃、天子の辞を奉じて荊州の罪を数え上げ、我が軍旗が南に向かったところ、劉琮は州を挙げて降伏した。今、水陸八十万の軍勢を整えて、まさに孫権将軍とともに呉の地で会猟いたそうではないか。
こんな挑発的な文、誰が書いたんだ?陳琳か、王粲か?
まあ、荊州を無傷で手に入れ意気軒昂の曹操は、降伏勧告のつもりで書いたのであろうが(そして、学識のある孫呉の文官たちも正確に曹操の真意を読み取った)、周瑜や魯粛ら決戦派の武将は敢えて宣戦布告の文と曲解した。
そこで彼らは、孫権を焚きつけて曹操との対決に舵を切らせ、“会猟”という単語にかこつけて曹操を罪深き獣と弾劾し、戦いを受けて立つ返書を送ったのだ。
「丞相。ならば孫権めに、己の立場を分からせてやればよろしいのではありませんか?」
とオレは煽った。曹操はこめかみをピクッと動かし、
「……ほう。秦朗が開戦派であったとは意外だのう」
「そうですか?オレは昔から“孫権憎し”で動いていますからね」
「ふん、孫呉に放つ斥候から連絡があった。劉備と孫権が同盟を結んだそうだぞ。秦朗、劉備の仲間であったおまえはどうするのだ?」
「劉備の仲間とは心外ですね。もちろん、オレは丞相が過ちを犯さないように手助けするつもりですよ」
と真顔で答えた。すると供をしていた程昱が、
「秦朗、黙れっ!不敬であるぞ!」
と怒りを露わにして、
「丞相は、江陵で手に入れた荊州水軍の軍船数千隻を率いて孫呉に攻め込む。
北方の兵は水戦に不馴れで、長江で生まれ育った呉越の兵と水上で互角に渡り合えるはずがないと荀彧殿が懸念を示されるが、我々は荊州で数万の水軍兵を手に入れた。
荊州出身の蔡瑁と、おまえが寿春で訓練した徐晃・史渙の二人を将軍として彼らを指揮させるのだ。
そのような懸念など、数の力で払拭できるだろう」




