70.劉表、病床に伏す
そして史実どおり荊州牧・劉表が病床に伏し、後嗣ぎ問題が浮上した。
劉表の後妻・蔡氏は重臣・蔡瑁の妹であった。嫡男の劉琦よりも、後妻の蔡氏が生んだ劉琮を推す声が強いのは言うまでもない。命の危険を感じた劉琦は、諸葛孔明の助言を受けて自ら身を引く決心を固めた。
「僕は江夏太守となって、荒廃した江夏をしっかり立て直してみせます」
「そうか……頼んだぞ」
弱弱しく答え、劉琦の手を握りしめる劉表。
これで後嗣ぎが劉琮に決まったと見た重臣の蔡瑁・蒯越はほくそ笑んだ。
一方、女神様扮する諸葛孔明の調教の甲斐あってか、“漢室の復興”を掲げ、嫌味ったらしい“仁者の振る舞い”が板について来た劉備の人気は、徐々に荊州内に広がり始めた。
重臣らが身内の劉琮を後嗣ぎにごり押ししたことに反発したせいか、あるいは劉備の人柄に惚れたせいかは知らないが、劉表の臣下だった若手の伊籍・馬良・霍峻が劉備の陣営に加わった。
おい、おまえら大丈夫か?騙されるなよ、特に馬良!おまえは将来、夷陵の戦いで劉備に使い捨てにされるんだからな。
しかし劉表が真に頼りとしているのは、蔡瑁・蒯越でもなく、もちろん荊州乗っ取りを企む劉備なんかでもなく、かわいい娘・舞ちゃんの舅でもある関羽のおっさんだった。
「わしの生きてるうちに、なんとか孫を抱いてみたかったが……叶わぬようじゃのう」
と劉表が息も絶え絶えに言葉を発した。
舞ちゃんと元服してめでたくその婿となった関平君は、初々しく顔を真っ赤にして、
「お父様。そんな悲しいこと言わずに、長生きしてください」
と励ます。だが劉表は首を振り、
「わしの命はもう長いことはない。自分の身体じゃ、自分がよう分かっとる。
関羽殿、死に行くわしの最期の頼みをどうか聞いてくれ。
わしの息子は歳若く、世間の厳しさを知らぬ坊育ちじゃ。琦・琮いずれが後を嗣ごうとも、北の曹操・東の孫権に囲まれた荊州は奴らの草刈り場となろう。
そこで、わしが死んだ後の荊州を娘婿の関平殿に嗣がせ、舅の貴殿は後見人となって、ここ荊州に攻め寄せる曹操・孫権の軍を防いで欲しいのじゃ」
「!」
関羽のおっさんは絶句した。もちろんオレも驚いた。
「貴殿が不安に思うのも無理はない。人口百万・兵十万を数える我が荊州は、二十年の平和を享受した代わりに、わしが軍事に疎く日和見だったせいで、兵の士気は緩み切り将は育っておらぬ。
だが永年の蓄積で兵糧は蔵に積み上がり武器も豊富に在庫がある。先日、江夏を孫呉に奪われたとはいえ、江陵にはまだ楼船数十隻,艨衝も数百隻は残っておる。
武勇の誉れ高い貴殿にこれら軍需物資を預けるゆえ、どうか曹操・孫権から領地と領民を守って欲しいのじゃ」
オレはこの時になってようやく劉表を見直した。
軍事に疎いと自嘲しながら、いやどうして、国の現状とその問題点をはっきりと認識し、己の息子の才覚に見切りをつけ、最も頼りになる関羽に国を預けて領地と領民の安全と幸せを願う姿は、善き刺史であり続けようとした劉表の最期のプライドの表れなのだろう。
関羽のおっさんは頭の整理が追い付いていないのか、
「わ…私が今日あるのは、劉荊州殿のおかげ。その恩を蔑ろにして国を奪うような真似はできませぬ」
「もちろんタダでとは申さん。わしの息子の琦・琮そして舞がこの乱世で生き長らえるよう、婿の関平殿ともども宜しく取り計らって欲しいのじゃ」
「今さら頼まれるまでもなく、それは当然のこと。この関羽、恩人のご子息は我が命に代えましても必ずや守ってみせます。ですから、私にそのような不純な駆け引きなど不要。後嗣ぎには安心してご子息を立てられますよう」
あーあ。向こうの方から譲ってくれると言うのに、断るなんてもったいないなあ。将来的に関羽のおっさんを擁立して荊州で割拠しようと天下三分の計(改)を画策していたオレの邪悪な下心は、木っ端みじんに砕け散りましたとさ、南無(苦笑)。
まあ、そういう無欲なところが関羽のおっさんらしいんだけどな。
劉表は皺が目立つ手で関羽のおっさんの手を取り、
「かたじけない。我が子をよろしく頼みまする」
と涙を流して礼を述べるのだった。
◇◆◇◆◇
「なあ興、あれで良かったと思うか?」
劉表を見舞った襄陽からの帰路、関羽のおっさんがオレに尋ねた。
「いいんじゃないですか。オレは父上らしいな、と思いましたよ」
「そうか……」
と言ったきり、黙ったまま馬を進める関羽のおっさん。どうしたんだろう?やっぱり受けときゃ良かった、とか後悔してるんだろうか?
すると関羽のおっさんはふと思い出したように、
「曹操閣下が不在の今、我らが許都に攻め込んだとしたら勝てるだろうか?」
ん?以前、漢の天子様を奉じて天下に号令をかける覇者になる野望を持っていないのか聞いた時、関羽のおっさんは明確に否定したはずだが……気が変わったのかな。
だがタイミングが悪い。一年、いや二年は遅すぎた。
「やめた方がいいと思いますよ。高幹が失敗し、劉備将軍も博望坡で返り討ちにされました。今となっては許都の守りは厳重に警戒されていると思います。
それにオレが掴んだ情報によれば、曹操閣下がついに袁軍閥を滅ぼし近々許都に凱旋するそうです。早ければ来年にも、逆に荊州に侵攻して来るのではないでしょうか?」
「いや、曹操閣下は荊州よりも先に孫権を攻めるのではないか?自分が留守の間に盗人猛々しく領土を奪うような、恩を仇で返す輩を閣下は嫌うはずだ」
「さあ、どうでしょう?天下統一を目指すならば、攻めやすい所から攻撃するのが定石。オレは間違いなく、曹操閣下は二十万の大軍を率いて荊州に侵攻すると思います」
史実どおりならば、な。
「二十万……唐県の三万じゃ手も足も出ない、か。興、おまえはどうするつもりだ?」
関羽のおっさんは真剣な眼差しでオレに尋ねた。
「? 逃げるんでしょ、劉備将軍とともに孫権の所に。オレも一緒について行きますよ」
オレは即答した。
だって四年前、西平の戦いで曹操と初めて対戦した時に、関羽のおっさんは曹操が仕掛けた“埋伏の毒”となって、劉備の孫呉撹乱を後押しするように約定を結んだじゃないか!
――関羽よ、おまえは劉備のそばに付いておれ。あの兎野郎に搭載された自動乗っ取り機能が発動するのを、ただ黙って見守っておればよい。荊州乗っ取りが失敗すれば、次にあいつは必ず孫権の元に逃れようとする。おまえも付いて行け!
その代わり、曹操の天下統一が成った暁には、褒賞として鎮南将軍の号と荊州の刺史を授けてもらうんだって。
ま、女神様の諸葛孔明が神通力を発動するせいで、どう足掻いても赤壁の戦いで曹操が負けるのは確定らしいから、曹操が天下統一を果たすことはなさそうだが。
そこでオレは、曹操・孫権・劉備が繰り広げる死闘から荊州の領地と領民を守るために、関羽のおっさんを立てて荊州に割拠し、曹操と劉備の両方に面従腹背して孫権に対抗する「天下三分の計(改)」を秘かに計画してたんだけど……。
「興、おまえは連れて行かぬ」
「!」
関羽のおっさんの衝撃の一言に、オレは驚き慌てた。
「ち、父上!オレが邪魔ですか?確かにオレはまだ幼いですが、武力のステータスは76で十分戦えるレベルだし、あのムカつく女神様の諸葛孔明には劣りますが、知力だって89とそれなりに……」
「ステータス?武力が76?……いったい何の話だ?
興、よく聞け。おまえが邪魔なわけじゃない、むしろ逆だ。
曹操閣下が本当に二十万の大軍で侵攻して来るのであれば、これから荊州は激しい動乱に巻き込まれるだろう。おまえだけでも生き残れるように、曹操閣下の庇護下に置いてもらえ。
唐県侯だったか、おまえが爵位を授けられたのは?
幸い、おまえは閣下だけでなく荀彧殿にも気に入られておるし、喜んで応じてもらえるだろう」
「そ、そんなの嫌です!オレだって父上とともに……」
オレは必死に拒む。関羽は厳しい表情で、
「ならぬ!これは乱世を生き抜くための知恵なのだ。
見ろ。荀彧殿だって彼自身は曹操閣下の軍師だが、兄の荀諶は袁紹に仕えていた。鄴が陥落した時、荀彧は兄・諶の命乞いをして救っている。仮に官渡の戦いで袁紹が勝利していれば、逆に兄・諶が荀彧の命を助けたであろう。
諸葛孔明だってそうだ。兄の諸葛瑾は孫呉に仕官し、従兄の諸葛誕は曹魏で将軍となっておる。
先見の明のある者はそうやって一族の者を分散させ、敗れた時は命乞いをして助けてもらえるよう、仮にそれが叶わぬ場合でも一族の血を絶やさぬよう計っているのだ。
俺は平と蘭玉を連れて劉備将軍について行く。興は曹操閣下に従え。おそらく爵位どおり唐県に封地を安堵されるだろう。念のため、鄧艾を護衛に付けてやる」
「そんな!父上はやっぱりオレが本当の子じゃないと疑ってるから……」
オレを捨てて曹操の側に追いやる気なのですか?
そう口答えしようと思って伏せた顔を上げると、関羽のおっさんの目から涙がこぼれているのに気づいた。
「……分かり、ました。父上の言うとおりに、します」
くそっ!父上のそんな顔を見たら、そう言うしかないじゃないか!
「けど、蘭玉と平兄ちゃんのお嫁さんの舞ちゃんは、許都にいる母上に預かってもらえるよう手配します。それだけは譲れません」
曹操軍に猛追されると、劉備のクソ野郎は自分が逃げ切るために、無辜の荊州の民だけでなく、嫁と息子ですら馬車から捨てて囮にするんだ。かわいい蘭玉と舞ちゃんをそんな危険な目に遭わせられるか!
関羽のおっさんはオレをぎゅっと抱きしめながら頭を撫でて、
「いい子だ。絶対に生き残るんだぞ、興」
「大丈夫です。父上と平兄ちゃんがピンチに陥った時は、オレがこの手で救ってみせます!」
オレの決意に関羽のおっさんは「ハハ、頼もしいな」とようやく笑みを見せた。
劉表の死の前夜まで書いた時点でストックが尽きました。現在、赤壁の戦いを執筆中です。次回投稿まで、少々お時間をいただきたいと思います。申し訳ありません。
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