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三国志の関興に転生してしまった  作者: タツノスケ
第三部・荊州争乱編
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67.関興、贋金作りで大富豪になる

今回は、かなりご都合主義要素が強いです。

年が明けて建安十年(205)。


十五万の兵を率い鄴から出征した曹操は青州の袁譚を攻め、張遼の大活躍でこれを斬った。さすが張遼、カッコよすぎる。

まさかのナレ死かよ~手抜きじゃん!とは言わないでくれ。だって華北征伐はオレが直接関わったわけじゃないし、筋肉ダルマ2号の徐晃から聞いた噂話をそのまま書いただけなんだから。

ちなみに青州に散らばる残党の討伐は、徐州から出撃した臧覇ぞうはに任せ、曹操の本隊は南皮に駐屯、幽州侵攻の準備を整えているそうだ。


一方、広陵に淮南進出の橋頭堡を築いた孫権は予想どおり、将軍・呂範に命じて兵三万で廬江ろこう郡の(じょ)城と(かん)城に侵攻した。対する揚州刺史・劉馥りゅうふくは、寿春に籠ったまま救援を送らなかった。両城の県令は抵抗をあきらめ、やむを得ず孫呉に降った(オレの想定どおりだが)。これで淮南に残った曹操の領地は、寿春周辺と合肥要塞のみとなった。


この年、孫権は呉範に勧められるがまま#大泉当十を鋳造し、一戸あたり10枚をバラ撒いた。おかげで贋金作りのための鋳型となる、本物の#大泉当十を手に入れるのは簡単だった(笑)。なにしろ、秣陵に放っている斥候の家にも配られたんだからな。


オレは早速唐県の劉巴に送り届け、贋金作りに励んでもらうことにした。

贋金の元となる銅は、今回は五銖銭を鋳潰したものだ。五銖銭10銭で#大泉当十8枚が鋳造される。単純に額面上だけで比較すれば、オレの資産はざっと8倍に増えたことになる。10万銭が#大泉当十8万枚(額面では80万銭)になったのだ。

わはは。大金持ちだ!笑いが止まらねえ!


……と思いきや、劉巴は全額を孫呉領の豫章の商家支店に送り、南島産の一本#大泉当十1万枚もするピンク珊瑚樹を8本買い付けさせた。

やーめーろー!おい劉巴、なんてことをしやがる!オレは珊瑚樹のような実用性のないガラクタに興味はねえぞ!


「だって、孫呉でしか通用しない#大泉当十なんか大量に持ってても無用の長物でしょ?だから曹魏で売れそうな宝飾品を仕入れたんです」


そりゃそうだけど。贋金を作った張本人(劉巴)に無用の長物って言われてもなあ。


しかも劉巴は、なんとそのうち2本を漢の天子様と曹操閣下にプレゼントしやがった!

ぎゃああーっ!オレが汗水垂らして稼いだ#大泉当十8万枚が……。(泣)


……と思いきや、ピンク珊瑚樹は美しい宝飾品として、また漢の天子様と曹操閣下という二大セレブご愛玩とのステータスも(あい)()って、許都で一大流行品となり、ピンク珊瑚樹を求めるお貴族様が殺到した。


劉巴は#大泉当十1万枚を割り戻した適正価格の一本10万銭(1億円)で売り、瞬く間に残り六本が完売すると、さらにその五銖銭60万銭を元手に#大泉当十48万枚の贋金を鋳造した。


そして豫章の商家支店は48本のピンク珊瑚樹を買い付け、劉巴はそれを再び一本10万銭で許都のお貴族様に売り、オレには()()()()480万銭(48億円!)が手に入ることとなった。マネーロンダリングもバッチリだ。


わはははは。正真正銘の大富豪だ!笑いが止まらねえ!

さすが、ずる賢くて性格の悪い劉巴。よくやった!褒めてつかわす(笑)。


その劉巴には儲けの1割の48万銭を報酬として与え、贋金を作った鋳物師にも24万銭を口止め料に渡し、唐県のおバカ屯田兵どもには10万銭をボーナスにくれてやって、どんちゃん騒ぎさせた。


ついでに寿春の兵たちに美味い物をご馳走してやると、奴らのオレを見る目が変わった。ま、確かに端目には、抵抗らしい抵抗もせず(じょ)城と(かん)城を敵にくれてやるような参謀は、裏切者にしか映らないだろうしな。


じゃあ、そろそろ汚名返上と行きますか。


◇◆◇◆◇


建安十一年(206)。

幽州に逃れた袁尚と袁煕は、曹操に対して徹底抗戦を叫ぶが、彼らを見限った配下武将の焦触・張南が叛いて州都・けいを開城、袁尚と袁煕は長城を超えて烏桓の領土に逃亡する。


華北の平定は成ったと見た荀攸・程昱は、曹操に許都に帰還することを勧めた。

しかし郭嘉は袁尚兄弟の抹殺を強硬に主張、徹底的に滅ぼすべしと進言した。この時、郭嘉はすでに病魔に侵されて治る見込みがないことを自覚しており、曹王朝樹立のために将来の禍根を残さぬよう、郭嘉が生きているうちに最期の奉公をする決意だった。

曹操は郭嘉の悲壮感に打たれたのか、烏桓に遠征して袁尚兄弟の首を獲ると決断した。


オレは曹沖とともに、過ぎたるは及ばざるがごとし、それよりも淮南の奪回を図った方がよいと進言したが、曹操はがえんぜず、


「今わしが軍を引き返せば、淮南の平定は誰でも実現できる。なにしろ、帰還した15万の大軍を淮南に投入すれば数の力で孫権を圧倒するのだからな。

だがおまえは、わしが袁譚・袁尚を討伐する三年の間、淮南の統治はおまえと劉馥りゅうふくに任せれば、孫権が奪い取った領地をことごとく取り戻せる策を献じると言ったではないか!

それに、だ。わしが失った領土を回復しただけで満足するような男だと思うか、秦朗よ?」


と挑発しやがった。そしてニヤリと笑い、


「華北平定の三年の期限まであと一年あるぞ。わしの期待を裏切るなよ!」


だとさ。やべえな、信長みたいにハードルを上げて来る奴だ。いや、なろう戦記で読んでオレが勝手にイメージした信長像なのだが。


時を同じくして荀彧からもふみが送られて来た。


「曹操閣下がついに儒家の私に牙を剥いて来たよ。


――荀子の言う“仁”だの“徳”だの小賢しいのう。わしを“王者”に仕立て上げたいのなら、おまえが信奉する“徳”とやらで孫権を屈服させて見ろ!もしも実現できたら考えてやろう


だってさ。頼むよ、関興君!私の悲願のために孫権の野望をくじいてくれ!」


おい!荀彧め、孫呉との戦はオレに丸投げかよっ?!

オレは荀彧と違って、漢の復興は悲願でも目的でもないぞ。頼むなら、改心したらしい劉備と女神様に頼め(失笑)。


それはさておき、孫呉に偽装降伏した(じょ)城と(かん)城の県令が、密かに揚州刺史の劉馥のもとに使いを差し出して来た。


「我らが降った最初の年こそ年貢を免除されましたが、秦朗殿が言われたとおり、今年は合肥要塞を攻めると称して、劉刺史様に課されていた年貢の3割増も徴取されました。それに加えて庶民の暮らしを苦しめるのが物価高。あまりの値段に鶏肉すら口にできませぬ。刺史様、なにとぞ一日でも早くこの試練から解放してください!」


「すまんの。もうしばらくの辛抱じゃと県令に伝えてくれ」


劉馥は使いの者に金須を持たせて送り帰した。そして劉馥は、


「秦朗、聞いたか?孫呉は今年中にここ合肥要塞にも攻めて来るそうじゃ」


「分かっております。抜かりなく迎撃の手筈を整えましょう」


「うむ。頼んだぞ、秦朗」


……劉馥もオレにまさかの丸投げだった。


「わしは戦が不得手やけんの。なーに、戦支度はわしがバッチリ整えてやったのじゃ。それに荀彧様も、秦朗に頼めばうまく行くって言っておるぞ」


いいのかよ?尚書令とか揚州刺史とか国の中枢にいるような偉い人が、オレみたいな外様のよそ者(←オレは荊州牧劉表の客分・関羽の息子だ!)を簡単に信用しちゃって?


「大丈夫、関興君は孫権が嫌いなはずだから。対孫呉戦に関しては、関興君は絶対に曹操閣下を裏切らないよ!」


……チッ、見透かされてる。でも荀彧の掌の上でいいように転がされるのはしゃくさわるな。いつかギャフンと言わせてやる(苦笑)。


明日の更新は野暮用でお休みします。すみません。

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