表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国志の関興に転生してしまった  作者: タツノスケ
第三部・荊州争乱編
73/271

65.関興、合肥防衛の策を劉馥に説く

曹操領に亡命した孫紹と沈友。早速、沈友に孫呉の軍事情報を聞き出しています。

「孫呉が割拠する江東は人口100万人、兵は10万を擁し、楼船100隻・艨衝(もうしょう)1,000隻を有します。気候は温暖で稲作に適した肥沃な土地、米は毎年120万石を収穫しています。ここ数年はひでりいなごの被害もなく、兵糧は優に三年分を確保していると思われます」


「うーむ。実に脅威だな」


沈友の語った孫呉の内情に、揚州刺史の劉馥りゅうふくうなる。オレも質問して、


「そのうち、激しく対立している江夏の黄祖に備える兵は5万と言ったところですか?」


「詳しい数字は私にも分かりませんが、大まかに言えば、東部戦線と西部戦線で半半といった感じで良いと思います」


「なら、孫呉の東部戦線(淮南)に展開できる兵は5万か……」


「俺が見た様子では、州都の秣陵にいる常備兵は約1万だぞ」


と甘寧が言う。徐晃が計算して、


「とすると、会稽・呉郡の守りにそれぞれ3千を駐屯させているとして、残り3万4千が淮南攻略に動員できる孫呉の兵の数だな」


「しかし、いざとなれば秣陵の兵もわずかばかりを残して、派兵する可能性もありますぞ」


劉馥の指摘にオレはうなずいて、


「いずれにしても、合肥の要塞とこの寿春を合わせて二万の兵しかいない。曹操閣下の華北平定が完了するまで、たったこれだけの兵で淮南を守らなければならないんだ」


「えー無理じゃね?守る領地の広さに比べて、明らかに兵が少なすぎるじゃん」


甘寧が率直に現状の問題点を述べる。


「そのとおりだ。孫呉の兵は多いのに、曹操軍は寡兵。この状態で兵力を分散させれば、我々の戦力の手薄さを見抜かれてしまう。

 まあ実際、広陵が占領されたのに奪回に動かない時点で、揚州に割かれる軍事力が不足していることは、【風気術】師の呉範に見透かされていると思うけどな。

 だからこそ、持てる兵力をすべて合肥要塞と寿春に集中させ、状況に応じて各城に兵と将軍を派遣する。奴らが守備兵をわずかしか配していない城に攻めて来たら、その時になって対処するしかないと思う。

 最悪、(じょ)城とかん城を奪われることも覚悟しなければなりません」


「「!!」」


徐晃・史渙(しかん)はオレの弱気な意見に納得せず、


「そこをなんとかするのが参謀のおまえの役目だろーが!」


などと無茶を言う。その対策を練るために今、軍議を開催しているんだけど。


「荀彧様の教えの受け売りで恐縮ですが、『荀子』王制篇には強者が弱体化する理屈が説明されており、敵に対して常に武力で決着をつけようとすることの不可が述べられています。

 すなわち、敵と戦えば敵の兵士は我々に激しい憎悪を抱く一方で、戦費と兵糧の調達のために税金が重くしかかるため、自国の民もまた激しい怨嗟えんさを抱く。

 たとえ戦いに勝って領土が増えても、民心が失われれば面倒ばかり増えて功績は少ない。()()()()()()()()()()|、()()()()()()()。これが強者が弱体化する原因だ、と。

 つまり、孫呉軍が広陵城の他に(じょ)城とかん城を奪い取れば、防衛範囲が広がり城の守りに兵を駐屯させる必要があるから、結果的に孫呉軍が合肥要塞と我が州都・寿春の攻撃に向かって来る兵の数が減るのです。


 曹操閣下はおっしゃいました。合肥の要塞は、占拠した方が戦いに有利となる土地、つまり孫子の兵法に言うところの「必争の地」だ、と。

 揚州に二万の兵しかいない現状、「必争の地」である合肥の要塞を死守するためには、これが最善の策だとオレは考えます」


と意図を説明すると、甘寧があくびをしながら眠たげに、


「チビちゃん、『荀子』?みたいな高尚な話をされても、教養のない俺には意味が分かんねえよ」


と文句を垂れる。並んで座っている徐晃も、


「なあ、秦朗よ。作戦はおまえに任せた。それより俺たち武人は身体を鍛えに行きたいのだが。筋肉がうずいて仕方ねえや」


と自慢の上腕二頭筋を披露する。


「おっ。カッコいいじゃないか、徐晃の旦那!」


「なあに、おまえさんの六つに割れたみごとな腹筋に比べれば、俺なんてまだまだよ」


と筋肉談議に花を咲かせる。オレは呆れて、


「やれやれ。じゃあ、今日の軍議はこれでいったん解散な。孫呉軍に動きがあれば緊急招集を掛けるから、ちゃんと準備しておけよ」


「「へーい」」


甘寧と徐晃・史渙(しかん)はいそいそとトレーニングに向かった。


 揚州刺史の劉馥は、ふうっと大きく息を吐き、


「やはり秦朗君でも、(じょ)城とかん城を維持するのは難しいか……」


「申し訳ありません」


「いや、君を責めているわけじゃないよ。ただ、私を慕ってくれる(じょ)城とかん城の民を見殺しにするのは気の毒でね。希望者は寿春で引き取って面倒を見てやりたいのだが」


と劉馥が提案する。


「劉馥殿、オレは彼らを見殺しにするつもりはありませんよ!(じょ)城とかん城は無傷で敵に預けるので、三年間辛抱してもらいたいのです」


「どういうことかね?」


首をかしげる劉馥をよそに、オレは沈友の方を向いて改めて尋ね、


「オレが探った情報によると、孫権は会稽で採掘される銅を精錬して、五銖銭ごしゅせんを大量に私鋳しているそうですね」


「ええ、恥ずかしながら事実です」


「やっぱりね。そのため江東では銭がジャブジャブとあふれ、一銭あたりの貨幣価値が下がってしまい、米一石の値段が五百銭を下らないと聞きましたが」


沈友はうなずき、


「はい。関興君の言うとおりです」


「なんと!米の値段が高いと言われる曹魏の二倍もするのか?!」


劉馥が驚く。オレは解説して、


「劉馥殿。米の値段が高いのは、曹魏と孫呉では事情が違います。

 曹魏の場合は、華北の戦役で大量の兵糧米が必要となったため、需要が増した結果インフレとなったもの。対して孫呉の場合は、お金を刷りすぎて一銭あたりの貨幣価値が下がった結果、相対的に物価高となったもの。俗に言う悪いインフレという状態です。

 ですから、仮に(じょ)城と(かん)城が孫呉に降っても、孫呉の物価高にあえぐ住民たちは、劉馥殿の統治を慕って再び帰順したいと思うはずです」


そこで、名刺史とうたわれ人望の厚い劉馥の手腕が生きて来る。


 オレの考えはこうだ。

 孫呉に攻められれば、守備兵の少ない(じょ)城と(かん)城は籠城するしかない。たとえ耐え抜いたとしても、民は疲弊し城は破壊される。

 そうなるくらいなら、孫呉の攻撃にさらされる(じょ)城と(かん)城に対し、劉馥はあらかじめ彼らが曹魏と孫呉に両属することを許してやる。

 つまり、孫呉が攻めて来たら、無駄な抵抗はせずいったん孫呉に降るフリをしろと勧めるのだ。


 もちろん孫呉は両城に進駐するだろうし、税を徴取するだろう。

 ここで劉馥も税を取ると、二重に搾取されることになって彼らが困窮するのは目に見えているから、我々は我慢して税は一切取らない。

 その上で、(じょ)城と(かん)城の奪回を掲げてたまに両城を形式的に攻めるようにし、彼らの降伏を孫呉が疑わないように偽装する。


――これは、東晋の名将・祖逖そてきが後趙の攻撃にさらされた黄河以南の県令(塢主)に対して採った作戦を下敷きにしたものだ。


 その後、東晋と後趙の戦いはどうなったか?

 黄河以南の県令は祖逖そてきに恩義を感じ、後趙軍の機密を密告するようになった。やがて軍備を整えた祖逖そてきがひとたび黄河以南に進出すると、県令はみな喜んで祖逖そてきを迎え入れ、東晋軍は後趙軍に連戦連勝し、黄河以南の領地はことごとく東晋が奪回したという。


 名刺史とうたわれ人望の厚い劉馥ならば、祖逖そてきと同じ作戦がきっと通用するはずだ。

まして、曹操が袁譚・袁尚を滅ぼすまでの三年間の辛抱だ。華北に遠征していた十五万の兵が戻って来れば、それまで専守防衛に徹していた寿春の劉馥も、攻勢に転じることができる。

(じょ)城・(かん)城はもちろん、広陵城だって奪回できるに違いない。


劉馥はオレの迂遠な作戦に納得し、


「なるほど。まもなく新年を迎えます。正月には年賀の挨拶で(じょ)城と(かん)城の県令も寿春にやって来ます。その時に、二人によく言い含めておきましょう」


と賛成してくれた。


>曹操閣下は言った。合肥の要塞は孫子の兵法に言うところの「必争の地」だ、と。


実際に合肥を「必争の地」だと指摘したのは、魏の明帝(曹叡)です。だから朕自ら救援に行く、と。

西部戦線で諸葛亮と対峙して負けなかった司馬懿の知略が持て囃されますが、この当時、戦略眼に最も秀でていたのは魏の明帝だと筆者は思います。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ