64.関興、江東から寿春に帰還する
「関興君は追っ手を撒くって簡単に言いますけど、いったいどうするんですか?」
と沈友が尋ねた。
そうだなあ、とオレは考えてみる。
今は建安九年(204)の暮れ。たしか史実では翌年にかけて、孫呉にとっては不倶戴天の敵、荊州江夏太守である黄祖の息子・黄射が孫呉の柴桑県にいる徐盛を攻めるんじゃなかったっけ?
他には、賀斉が山越族の起こした大規模な反乱を鎮圧するのがこの時期だったと記憶してるけど、こっちは利用できそうにないな。
よし。
「沈友さんは呉郡に実家があるって言いましたよね?じゃあ、文を書いて実家に届けてもらいましょうか。宛て先は豫章郡にいる建昌都尉の太史慈。内容は、
――孫紹様を連れて黄祖の元に亡命する。一週間後に建昌に到着する故、以前打合せしたとおり手引きを頼む。
でお願いします」
孫紹は驚いて、
「ちょっと待って。僕は、祖父の孫破虜将軍(孫堅)を殺した憎き黄祖の所に行くつもりなんかないよ!」
だろうね。オレも黄祖を頼るつもりなんか全くない。
沈友が若様の孫紹を諭すように、
「若、これは関興君の立てる計略です。我々が西の建昌に逃げると見せかけて追っ手の目をそちらに誘導し、手薄になった東の鎮江辺りからまんまと長江を渡って劉馥殿の元に逃げる作戦なのです。そうですよね、関興君?」
「はい。声東撃西という兵法です」
説明しよう。
オレの芝居に端を発する孫権の後嗣ぎ正邪問題により、地方豪族に不穏な動きが頻発する孫呉政権。オレはターゲットに建昌県の太史慈を選んだ。
もちろん、太史慈を唆して実際に反乱を起こさせるわけではない。そもそもオレは太史慈とは一面識もないし。
ただ、太史慈は亡き孫策には捕虜となった身を救われたという恩義があるから、猜疑心の強い孫権に「太史慈なら孫策の息子・孫紹の頼みを聞くだろう」と思わせることは容易なのだ。
そのために用意する小道具が、沈友に書かせた文。
賈詡の離間の計に倣って、孫紹の従者である沈友と太史慈が、さも繋がってるように匂わせる。しかも沈友本人の筆跡で、わざと実家に届けさせる。沈友の実家を見張る手の者に、その文が奪われるのを見越して。
一方、オレは江夏に放つ斥候の蝙蝠を使って、孫紹が黄祖の元に亡命するという噂を流させる。当然、江夏に潜む孫呉の斥候もその噂をキャッチし、ただちに孫権に知らせるだろう。
異なるルートから同じ情報が送られて来るんだ。十中八九、孫権は孫紹が江夏に亡命するつもりだと信じるに違いない。
それに、オレが動かなくても史実では、江夏の黄射が柴桑県の徐盛を攻めることになっている。江夏に亡命したがっている孫紹が建昌県にいると仄めかせば、必ずや黄射は江夏から援軍を出すはずだ。荊州VS孫呉の争いが孫呉領の西部戦線で勃発。秣陵の兵もそちらに動員されるだろう。
すると、孫呉領の東部では国境の警備が手薄になる。
秣陵を追われて江北に帰る旅役者・臥龍座一団の中に、沈友と孫紹がこっそり混じっていても、見咎められる可能性は限りなく低い。
――こうして、声東撃西の計略がまんまと成功したオレたちは、無事に孫紹と沈友を連れて孫呉領を脱出し、寿春に戻ることができたのであった。
◇◆◇◆◇
「やあ、秦朗君。無事に江東から帰って来たね。ご苦労さん」
寿春に戻ったオレたちは、さっそく揚州刺史の劉馥の屋敷に帰還の挨拶に伺った。人の好い劉馥はニコニコしながらお茶を入れてもてなしてくれる。
「はっ、おかげ様で。孫権の本拠地・秣陵の様子を見て参りました。例の噂も探りを入れることができたし、曹操閣下と荀彧様に良い報告ができそうです」
「首尾は上々だったんだね。大したもんだ、さすが曹操閣下に見込まれるだけのことはある」
と感心した劉馥は、
「ところで、秦朗君が連れて来たそちらの方々は?」
「亡き孫策殿の忘れ形見・孫紹殿と従者の沈友殿です。オレが孫権を煽ったとばっちりを受けて、追っ手に命を狙われている二人を偶然助け、こうして劉馥殿の元にお連れしたんです」
ブフッとお茶を吹き出す劉馥。
「そ、そうか。きっと期待以上のおみやげを持ち帰って来てくれるよって荀彧様は言われてたけど、まさか本当になるとはね。おみやげが敵さんの甥っ子だなんて」
荀彧め、劉馥にあることないこと吹き込みやがったな!孫紹を連れ帰ったのはただの偶然なのに。
「孫紹殿、沈友殿。二人とも苦労したのう。この劉馥の元に逃げ込めば、もう安心じゃ。今後のことは荀彧様と相談のうえ決めるとして、暫らくはゆるりと滞在されよ」
「ありがたき幸せ」
孫紹と沈友は鄭重に礼を述べた。
宿舎に下がり、慣れぬ旅で疲れの見える孫紹をベッドに寝かしつけた沈友は、オレと甘寧の部屋を訪れ、
「お二人ともかたじけない。まさか本当に揚州刺史の劉馥殿に紹介していただけるとは……この御恩は一生忘れぬ」
と感謝する。甘寧が照れながら、
「べつにいいって。元はと言えば、チビちゃんがやらかしたことだし」
いや、そうなんだけどさ。甘寧に言われると無性に腹が立つ。
実のところ沈友は、孫権に金を積まれれば自分たちは売り渡されるんじゃないかと、オレたちのことを疑っていたんだそうだ。
「でも、安心するのはまだ早いかもしれませんよ。孫紹様は江東の小覇王と言われた亡き孫策様の遺児。曹操閣下にとっては利用価値が高い。間違いなく、江東の分裂を誘うために謀略の手駒として利用されると思います」
と心配するオレに沈友は、
「分かっております。劉馥殿の元に亡命すると決めた時に、すでに覚悟いたしておりますゆえ。それでも、供の私にとっては孫紹様の御命が救われたことが、何より喜ばしいのです」
どうよ、清清しいほどのこの忠義っぷり。
鄧艾「若のせいで遅れて飯を食い損なったら、俺は一生若を恨む」
甘寧「あーあ。しかたがないからチビちゃんで我慢するか。ほら、花郎。俺様の頬っぺたにキッスしやがれ!」
……オレに敬意のかけらもない、こんなひねくれた奴らがオレの従者だもんなあ。
孫紹が羨ましいよ。
「あーあ、沈友殿が羨ましいよ。ピンチの時に「僕の首は君たちに差し出すから、沈友の命は助けてやってくれないか?」とか主君が言ってくれるなんてよォ。俺は一生あなたに付いて行きます!って気になるよなぁ」
おのれ、甘寧!誰がおまえなんかに。
「ま、分相応ってやつかな。やっぱり汚れの俺には孫紹様みたいなまぶしい御方は似合わねえや。たぶんチビちゃんも同じことを思ってるんだろーよ。爽やかイケメンの沈友殿は三日で飽きるが、俺のような変態イケメン筋肉ダルマに毎日「チビちゃん」って可愛がられる方が性に合ってるんだよ、きっと」
いや性に合ってるんだけどさ……嬉しいような嬉しくないような。なんか微妙。
沈友はふうっと溜息をついて、
「私の方こそあなた達の関係が羨ましい。
私は亡き孫策様旗揚げの時分からもう十年近く仕えていますが、いまだに孫紹様と冗談を言い合い、思い切り喧嘩ができるような打ち解けた仲には至っておりません。孫紹様は私に対してどこか遠慮がちと言うか、ぎこちないでしょ?
甘寧殿は、関興君の従者になってどれくらい経つのですか?」
「えーと、河賊だった俺がチビちゃんを脅して関羽殿に仕官したのが去年の冬だろ。俺の愛しい関平君が婚約して、しかたなくチビちゃんを花郎に担いだのが秋だから、まだ三か月か?」
「うん、そのくらいだな」
オレが五歳になった頃から物語の進行スピードが遅いので、ずいぶん長く一緒にいるような気がしていたが。
沈友は驚いて、
「関興君って何者なんですか?劉馥殿からは“秦朗”と別の名前で呼ばれているし。旅役者が仮の姿なのは薄々分かっていましたが、その正体はまさか曹操閣下の可愛い……」
あ、ヤバい。甘寧にはまだ教えていないのに。
オレは慌てて沈友の口を手で塞ぎ、その耳元で、
「しーっ!オレが曹操閣下の(義理の)息子だってことは、甘寧はまだ知らないんです。沈友さんにバレちゃったのは仕方ないけど、まだ黙っててもらえますか?」
とささやいた。沈友は眼を大きく見開いてコクコクと頷くと、
「まさかそんなご立派な御方だったとは……。私は、関興君の正体は曹操閣下が可愛がっている斥候ですかって聞こうと思ってただけなのに」
しまったぁー!早とちりしてしまった!!
※亡き孫策の遺児・孫紹は、孫呉を裏切った史実はありません。それは別の人物です。ただし孫紹の息子の孫奉は、後年、「孫晧が死んで皇帝に即位するだろう」との妖言を信じた呉の第4代・孫晧(帰命侯)に殺されてしまいます。




