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三国志の関興に転生してしまった  作者: タツノスケ
第三部・荊州争乱編
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61.孫権、芝居公演の中止を命じる

「待てぃ。この芝居は不敬じゃ!今後、孫呉の領内では、『周武王(しゅうぶおう)冥土旅(めいどのたび)()一里塚(いちりづか)』の公演を禁止する!」


立ち上がり大声で叫ぶ孫権将軍。芝居小屋の客席が「何事だ?」「あれは孫権将軍ではないか!」とざわめいた。


まずい!

呉範()は孫権将軍を目立たせまいと慌てて諫めた。


「殿、お待ちください!殿みずから表に出られては、かえって騒ぎが大きくなりまする」


「ええい、うるさいっ!この芝居はわしを愚弄し、兄上の死を冒瀆ぼうとくするものじゃ!わしへの不敬の罪は明白。こやつら全員、即刻厳しく処罰してやるわ!」


孫権将軍の怒りは収まらない。

原因は察しが付く。


孫権将軍も気づいているように、この芝居は周武王を主人公に据えながら、時代背景は明らかに周の時代をかたどった物ではない。孫呉の人物を周の時代の人物に仮託して、風刺している政治劇なのだ。例えば、


 周武王 → 亡き孫策様

 周公旦 → 孫権将軍

 太子(しょう) → 孫策様の息子・(しょう)(名前の読みが同じ)

 蝶昭(ちょうしょう)  → 張昭 (そのまんま)

 于凶  → 孫策様に殺された于吉仙人


が対応する。周武王を襲った刺客が「主君のかたき!」と叫ぶ場面は、文字どおり孫策様が殺された史実そのものだ(周武王は殷の紂王を主君と仰ぐ刺客に襲われて死んだのではない)。


おまけに、「都に巣食う乱世の姦雄」とは曹操のことだし、周武王が「我が領土は()さきながら、()()を唱えたばかり」というセリフは明らかに、江東に割拠した亡き孫策様に付けられたあだ名・“小覇王”を意識しているに違いない。


「お気持ちは分かりますが、どうかここは冷静に……」


私は孫権将軍をともに止めようと茶坊主の薛綜せつそうを見るが、薛綜せつそうはオロオロするばかりで役に立たない。


「こんな猿芝居を見せられて、冷静になっておれるか!わ、わしは……わしは兄上から正式に社稷を譲られたのじゃ!

 兄上は死に際、わしに向かって、

――兵を率いて戦場を駆け天下の争いにくみするような事においては、おまえは俺には及ばない。しかし才能ある者を用い社稷を保っていく事については、おまえの方が上だ。

と遺命を残したのじゃ。こ、こんな茶番劇のやりとりなんかじゃなかった!」


そう。

芝居の中で蔡叔度のセリフにもあったように、兄から兄の子へと正統に後嗣あとつぎが為されなかったことが、孫権将軍のコンプレックスなのだ。


兄から弟へ皇統が派生するのは邪道。嫡子が幼少の場合ならやむを得ないが、史実の周公旦が兄・武王の嫡子の成王に皇統を返したように、孫権将軍も兄・孫策様の嫡子の孫紹(そんしょう)様が元服したら、皇統をお返しすべきだ。


――という正統論が世間に広まることを、孫権将軍は極度に恐れている。


そんな孫権将軍の動揺を見透かすように、舞台上の太子(しょう)役を演じた子供がポツリと、


「でもさ。兄上のそんなセリフじゃ単なる弟自慢で、おまえは我が息子の輔弼ほひつの任に向いてるね!って褒めただけにすぎなくない?

 亡き兄上が弟を後嗣あとつぎと定めたご遺命とは、とても思えないんだけど」


と独り言をつぶやいて、


「あっ、うっかり芝居と現実をごちゃ混ぜにしちゃった!

 今のオレのセリフは周武王と周公旦のことを言っただけで、孫策様はちゃんと孫権様に後をがれたんですよ!間違えたら大変、大変。テヘッ☆」


自分の頭をコツンと叩き、ペロッと舌を出した。


やめろ!イラッと来るわっ。

しかし、その子供のつぶやきは確実に観客たちの疑念を誘うものだった。


(確かに、兄の死後は幼い太子が後をいで、弟は輔弼ほひつの任に当たるべきだよな)


(仮に弟が後をぐとしても、兄の子の(しょう)が元服した暁には、弟は太子(しょう)に政権をお返しするのが筋ってもんだ)


(周公旦はどうするつもりなんだろう?)


(そりゃ、最後のセリフが「これで邪魔者は消えた。わしが天下に覇を唱えるのじゃ!」なんだから、政権を返す気なんてさらさらないよ)


(いや、待て。実際の歴史では周公旦はちゃんと成王にお返ししているぞ)


(やあね、芝居の話よ!)


(あ、そっか。でも現実問題として、若くして亡くなった兄君の後をいだウチの殿様は……)


とひそひそ話が聞こえて来る。孫権将軍の耳にも届いているはずだ。


「孫権将軍に怒られちゃう前に退散しよ。

 太子(しょう)役のオレは、台本どおり会稽郡に逃げちゃおうかな~♪

 あっ、そう言えば。亡き孫策様の息子・孫紹(そんしょう)様は、いま芝居と同じ会稽郡の上虞(じょうぐ)県侯に任命されてるんだっけ?

 今後のお芝居の参考に、「父上の後をげなくて、ねぇどんな気持ち?」ってインタビューしてみようっと☆」


……こいつめ。わざとあおってるのか?それともただの天然ボケか?


いずれにしても、本来孫呉の社稷をぐべき孫紹(そんしょう)様が、州都から遠く離れた上虞(じょうぐ)県の封地に、てい良く追い払われたのは事実だ。


正史『三国志』孫討逆伝の中でも、「孫策の遺児・孫紹(そんしょう)の処遇がないがしろだったのは、孫権の孫策に対する尊崇が十分ではなく道義に欠けるもの」として厳しく批判されている。本人もそれが分かっているから、孫権将軍は太子(しょう)役の子供の冗談につい過敏に反応した。


「おのれ、小僧!不敬罪で手討ちにしてくれるわっ!」


孫権将軍が刀を抜き放ち、舞台上に向かって走り出す。


「きゃあぁーっ!」「やべえっ、逃げろ!」「うわぁーっ!」


観客たちが逃げ惑い、悲鳴と怒声が交錯して芝居小屋が大混乱に陥る中、太子(しょう)役の子供とその他の旅役者どもは、悠然と舞台ソデに引っ込む。


駄目だ!なんとか孫権将軍を静めなければ。

 これでは芝居『周武王(しゅうぶおう)冥土旅(めいどのたび)()一里塚(いちりづか)』の台本が、孫策様がお亡くなりになった時の死の真相を語っているため、孫権将軍の逆鱗に触れて舞台公演が中止に追い込まれた、という噂が独り歩きしてしまう!


「殿!おやめください!お怒りはごもっともですが、このクソガキは殿に向かって直接不敬を口にしたわけではありませぬ。それに、芝居の中の一セリフごときに腹を立てて手討ちにしたとあっては、殿の恥を世間にさらすことになります。

 たかが子供の戯れ言、本気にしてはなりませぬ!」


私は必死になって孫権将軍の乱暴狼藉を押さえようとする。


「殿のお怒りが激しければ激しいほど、大衆は(図星だったからこそ、孫権将軍はあんなに激怒したんだ)と憶測し、かえって事態を悪化させます!

 このままでは、まるっきりフィクションの周公旦が于凶に化けて周武王を呪い殺した話まで、殿が孫策様にやった真実なんだと大衆に誤解されてしまいます」


「馬鹿馬鹿しい!誰がそんな嘘八百を信じ……」


「大衆はスキャンダルが大好きな生き物です。面白ければ、嘘か本当かなんてどうでもいい。今日のドタバタ劇は、たちまち世間に拡散されるでしょう。

 芝居を見た孫権将軍が激怒したこと、そして芝居が公演中止になったこと。これは事実なので、今さら無かったことにはできません。

 問題は、この二つの事実を結びつける理由として、根も葉もない噂話にすぎない「芝居の台本が、孫策様がお亡くなりになった時の死の真相をあばいたため」というフェイクを信じる者が増えるのではないか?ということです。

 この騒ぎを仕掛けた者の術中にはまってはいけません」


「うぐぐ……」

と歯噛みした孫権将軍は、やがて「帰るっ!」と言って宮殿に戻った。


翌日、芝居小屋があった場所に貼り紙がされた。


  - 告 -

周武王(しゅうぶおう)冥土旅(めいどのたび)()一里塚(いちりづか)』の公演を禁じる。

 劇中、孫権将軍が曹操に帝位簒奪を勧める場面があるが、これは漢の天子様に対して不敬の罪に当たる。漢室を尊ぶ者として許容し難い。

 よって、領内での公演を認めない。


しかし、分かりきったことではあるが、こんな言い訳がましい公演中止の理由を信じる大衆は誰もいなかった。


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