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三国志の関興に転生してしまった  作者: タツノスケ
第三部・荊州争乱編
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59.孫権、周武王の芝居を観覧する

語り手は、【風気術】を操る転生者・呉範です。

呉範は実在の人物で、呉志巻十八に呉範伝が立てられています。第20話のあとがきを再掲します。


呉範は会稽の上虞の人なり。暦数を治め、風氣を知るを以て、郡中に聞こゆ。災祥ある毎に、輒ち数を推して言状せり。其の術効多し、遂に以て名を顕はす。

【訳:呉範は会稽郡の上虞の人である。暦法を修め風気の術を知っていることで、会稽郡中に彼の名前が知られた。災厄や吉祥があるごとに、その兆しを推測して予言を上聞したが、その術がしばしば効験を表したので、有名になった】


彼は江夏郡の黄祖の敗亡、荊州牧・劉表の死、劉備の巴蜀奪取、関羽を捕らえた樊城の戦い、夷陵の戦いが起こる年と結果を的中させ、孫呉を戦勝に導く上で大いに貢献したらしく、孫権の軍師を自称したそうです。


(孫呉の秣陵(後の建業)城にて)


「……と、高慢な荀彧が抜かしやがったので、(それがし)は毅然と、


『あ、いや待たれい。我ら孫呉の軍こそが、曹公が任命した揚州刺史・厳象のかたきの李術を討ち滅ぼしてやったのだ!

しかも李術に不当占拠されていた(じょ)城を無償で揚州刺史の劉馥りゅうふく殿に返還した。これこそ漢の帝室をお守りし、曹公の恩義に報いる孫権将軍の忠誠の(あかし)。どこに疑う余地がある!』


と説明すれば、荀彧は反論の言葉も見つからなかったのでござる」


「わはは。薛綜せつそうよ、わしの見込んだとおり、弁舌に優れた男じゃ」


「恐れ入ります」


建安九年(204)四月、我が孫呉軍が長江を渡って曹操領の徐州に侵攻し、みごと広陵城を占領した。今の状況は、上機嫌の孫権将軍とその側に控えるご意見番・張昭それに呉範()に向かって、薛綜せつそうという茶坊主が敵軍師の荀彧との舌戦を再現して見せているのである。


「それからどうした?」


「はい。涙目となった荀彧は(それがし)に、


『李術を滅ぼした後で(じょ)城を返還した時と同じように、こたびも広陵城を我らに返還してくださらんか?』


と哀願して来ました。いくら荀彧が美男とはいえ、泣き落としとはみっともない。(それがし)は冷笑しながら、


『城というものは、徳のある者に帰するのであって、いつまでも同じ人物が所有するとは限らない』


と答えたのでござる」


「ほほう。漢朝一の知恵者と名高い荀彧がぶざまじゃのう。

 それにしても薛綜せつそうよ。わしが「徳のある者」とは、ちと褒めすぎではないか?」


薛綜せつそうは大いに驚いたふりをして、


「これは異なことを!孫権将軍ほど文武に優れ仁義にあふれる名君を、(それがし)、見たことがござらぬ!」


「わーはっは!愉快じゃ。これ、薛綜せつそうに褒美を取らせよ」


孫権将軍は左右の者に命じて、薛綜せつそうに金銭を取らせる。


(この茶坊主め!ちゃっかりしておるわ)

私は呆れて薛綜せつそうを睨みつける。そんな私の視線に気づかず薛綜せつそうは話を続け、


「ありがたき幸せ。その後、荀彧は言うに事欠いて、


『我ら精鋭二十万の軍勢で広陵の奪回を図るが、宜しいか?謝るなら今が最後のチャンスですぞ!』


と負け犬の遠吠え的な言葉をほざくので、(それがし)は呉範殿の【風気術】のお告げを述べて、


『おしなされ。曹公は華北の役に遠征しており、貴殿の脅し文句がただの(から)()()りにすぎぬことはお見通しじゃ。

 できるものならやってみるがよい。我ら孫呉の総力を挙げて受けて立ちましょうぞ!』


と宣戦を布告したのです!」


「善き哉!よくぞ申した、薛綜せつそう!孫呉の名誉と尊厳を守り抜いたおぬしの役目、十分果たしてくれた。ご苦労であった」


「ははーっ。もったいなきお言葉、末代までの宝と致す」


薛綜せつそうは平伏して孫権将軍に謝辞を述べた。


(チッ。おしゃべり茶坊主・薛綜せつそうのせいで、呉範()の名前が曹魏に伝わったか……まあ、よい。曹操に宣戦布告するまでは想定どおり。この後、敵がどう出るか?おそらく徐州本隊の兵は動けまいが、問題は寿春の劉馥りゅうふくだな……)


と私が苦々しく思案にふけっていると、茶坊主・薛綜せつそうのおしゃべりはいつの間にか別の話題に飛んでいて、


「ところで殿。ちまたで大衆に評判となっておる芝居をご存じですか?

 臥龍座という荊州の旅役者が公演する芝居『周武王(しゅうぶおう)冥土旅(めいどのたび)之一里塚』が、それはもう大変な人気でして」


「そんなに面白いのか。呉範よ、おぬしは知っておるか?」


「は?まあ、噂くらいは耳にしておりますが……」


芝居だと?【風気術】を操り未来を予言する呉範()が、そんな卑近のことを「知らぬ」とは言えまい。私はあいまいに返事した。荊州の臥龍座?気になるネーミングだ。天才軍師・諸葛亮が絡んでおるのだろうか。

――いや、考えすぎだろう。たかが大衆芝居ごときに。


「芝居『周武王(しゅうぶおう)冥土旅(めいどのたび)之一里塚』は、許都では満員御礼、観客総立ちでアンコールが鳴りやまないほどの人気公演だったとか。

 その成功を受けて、臥龍座は中州全国ツアー公演を実施しているらしく、ここ秣陵でも絶賛公演中なのです!

 実は(それがし)、たまたま本日のチケットを3枚手に入れておりまして……殿、ご覧になりませんか?」


「たまには気晴らしに出かけるのも良かろう。のう、張昭?」


「ご随意に」


サボり癖のある孫権将軍に対し、不快そうに答える張昭。


「では参るぞ。呉範、おぬしも来い!」


と私も共犯に誘われてしまった。やれやれだ。


◇◆◇◆◇


周武王(しゅうぶおう)冥土旅(めいどのたび)之一里塚』。

 題名からして、殷の紂王を倒して周の王朝を開いた武王が、弟の周公旦しゅうこうたんに我が息子の成王を託す臨終の場面を描いた芝居だろうという予想はつく。きっとお涙頂戴の大衆演劇のようなものであろう。


さて幕が上がった。


ワーワーという喊声と共に上手ソデからヨロヨロと現れたのは、矢が突き刺さった甲冑をまとう劉備。

なぜ劉備?


劉備 “む、無念……斯くも孫権将軍の軍勢が強いとは。”

(劉備、舞台中央で倒れ伏す)


兵士 “殿!”


劉備 “頼む……こ、孔明を呼んでくれ。”


「ほほう。わしとの戦いに敗れて、劉備が臨終を迎える場面のようじゃのう」

と孫権将軍が満更でもない顔をする。


(孔明、劉備の手を握りしめながら)


孔明 “劉備将軍、お気を確かに!”


劉備 “わしはもう駄目だ。孔明、おまえに遺言を託す。おまえの才能は曹丕の十倍だ。我が国を安定させ、最終的に我が悲願を達成させることなど容易だろう。

 わしには不肖の息子の禅がおる。

 もし補佐するに足る人物ならば、これを支えてやって欲しい。

 もし取るに足らない才能ならば、孔明よ、おまえが取って代われ。”


(孔明、涙を流しながら)

孔明 “私は殿への御恩に感じて死力を尽くし、忠節を全うし、最後には命を捨てる所存でございます。”


劉備 “かたじけない。これがわしの息子じゃ。きっと頼んだぞ、孔明。あの世で再会した時に恨みを抱かぬようにのう……。”

(劉備、静かに息を引き取る。舞台暗転)



幕が開いて、舞台中央にセットされた宮殿の玉座に座る曹操。


(孫権より届いた書状を読む)

孫権 “図讖(としん)に明るい我が占術師の見立てでは、火徳は尽き果て、土徳を持つ新しき王朝が勃興する時との。天命は漢から魏へと移ろうてござる。

 いかがですかな、天子の座を狙ってみては?わしはとがめだてしませぬぞ(笑)”


曹操 “ぐぬぬ……孫権の奴、わしを炉の火の上に座らせるつもりか?!小賢しい。誰がそのような謀略に乗るか!”



「なんと!わしが曹操めに帝位簒奪を勧めるのか。くだらんな」

と孫権将軍がつぶやく。薛綜せつそうが青ざめて、

「ご不快でしょうか?なんなら、芝居をめさせましょうか?」

「フン、そうではない。ただ、この芝居の作者がわしの胸の内をよく知っておることが気に入らんだけじゃ」



程昱 “しかし殿。天下が大いに乱れ、上下が秩序を失いました折、殿には武を用いて撃ちはらい、天下の八割を平定されました。誠に輝かしきご武運、並ぶ者はおりませぬ。”


夏侯惇 “孫権の申すとおり、天下の人々が、漢の世が終わり新しい時代の到来を予感しておることは事実でござる。”


董昭 “そのために、殿は荀彧を犠牲にして魏公に爵位を進められ、ついに魏王となられた。天子の座まであと一歩ではありませぬか。”


曹操 “その一歩が難しいのじゃ。”


桓楷 “古来、災厄を除き人民の帰服を受ける人物こそが、天下を治めるべきなのです。功業恩徳は人民にも明らかで、天下の士大夫も皆待ち望んでおります。”


華歆 “天意に応え、民心に従うのに、どうして躊躇ためらう必要がありましょうや?”


(曹操、苦笑いで)

曹操 “そなたらの気持ちはよう分かった。じゃが、もし天命がわしにあろうとも、わしは周の文王になろう。曹丕よ、あとは分かるな?!”


曹丕 “ははっ、お任せあれ。”



「なんだ。結局曹操は帝位を簒奪せぬのか?つまらんの」


孫権将軍は拍子抜けしたように感想を述べる。私は解説して、


「いえ。曹操が「あとは分かるな?!」と述べたのは、周の文王の死後、後をいだ武王が殷の紂王を放伐したように、曹操の死後、後嗣あとつぎの曹丕が帝位を奪え、と遺命を残したものと思います」


「なるほど。芝居とは奥が深いのう」


と孫権将軍が感心する。


しかし……なんだこの芝居は?

まるで三国志の歴史を知っているかのようなストーリー展開ではないか?劉備の死も曹操の死も、すべて今現在よりも後の時代の出来事だ。そして微妙に脚色はされているものの、内容はほぼ史実どおり。

まさか私のほかに史実を知っている者が、この世界に紛れ込んでいる?


臥龍座。荊州。――やはり諸葛亮の差し金なのか?!


周の武王が主人公の話のはずなのに、いまだに登場しない。

それどころか、芝居の幕が上がると唐突に劉備と諸葛亮の遺詔の場面からストーリーが始まる。遺命に沿って後嗣あとつぎを据えるのが当然だと言わんばかりのように。


私はイヤな胸騒ぎがした。


※史実の薛綜せつそうは孫権にも毅然として諫言できる、孫呉の部将の中では好きなキャラクターなんですけどね。


次回。『周武王冥土旅之一里塚』の芝居はようやく佳境に入る。しかし、史実では周の武王の死後、弟の周公旦が成王の輔弼の任にあたったのに、この芝居では様子が異なっており……それは今の孫呉と似ている気が。お楽しみに!


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