55.関興、曹沖に味方する
許都にたどり着いたオレは早速、曹沖のいる宮殿に向かった。
「やあ。待っていたよ、秦朗!到着そうそう悪いんだけど、孫権が広陵を占領した件について、これまでの経緯を簡単に説明するね」
建安九年(204)四月、突如として孫権軍の兵二万が長江を渡り、徐州の広陵郡に侵攻した。重病の床にあった太守の陳登は陳矯を派遣し、曹操に援軍を要請した。校尉の鴻章――秦朗の人生初の彼女・鴻杏の父上が、兵を率いて急ぎ広陵に向かったが、その途上で陳登が死に、広陵はやむなく孫権に降った。
荀彧はただちに、江東から許都に派遣されていた計吏の薛綜を呼びつけて詰問した。
「かつて孫策殿が身罷った折に、曹操閣下が江東に兵を向けようとした際、貴国は張紘殿を派遣し、
――人の喪中につけ込んで攻めるのは道義的に正しくありません。そんなことをすれば、江東の恨みを買い誼みを捨てることになりましょう。むしろこの機会に恩義を施し、友好関係を築いた方がよろしいかと。
と述べさせた。そこで曹操閣下は江東遠征を中止し、漢の主上に上奏して孫権殿を討虜将軍に任命することにしたのだ。
それなのに、孫策殿の喪が明けるや曹操閣下が華北の役にかかずらっている隙を突いて、貴国は徐州の広陵に兵を進めてこれを占領した。今日の孫権将軍のなさり様は、友好を無にし、恩を仇で返す振る舞いと言えまいか?」
薛綜は不遜な回答で応じた。
「あ、いや待たれよ。その恩義は、曹操閣下が任命した揚州刺史・厳象の仇の李術を我ら孫呉の軍が討ち滅ぼし、しかも李術に不当占拠されていた舒城を揚州刺史の劉馥殿に返還したことで、十分に報いたではありませぬか」
「これは異なことを!漢の朝廷が揚州刺史に任命した厳象を殺した李術は、もともとは孫呉の武将。反乱を起こして仇敵の間柄となった李術を討ち滅ぼしたい、舒城は曹操閣下にお返しするゆえ、李術を救援するのは控えてくれと頼んで来たのは孫権将軍だったはず。
今になって、すでに恩義に報いたから以前の友好関係はチャラにする。広陵城は新たに占領した孫呉の所有だと一方的に宣言するのは、虫がよすぎるのではないかね?」
「そうでしょうか?実を申せば、曹操閣下配下の広陵太守・陳登は亡き孫策殿の仇とも言うべき間柄。孫策殿を弑殺した許貢の食客を陰で雇っていたのが陳登であったことは、我らの調査ではっきりしておる」
「だからどうした?仮に陳登が孫策殿を殺した刺客を陰で雇っていたとして、それが曹操閣下に何の咎があるのだ?
たとえ話をしよう。我が曹魏に仕える諫議大夫・王朗はかつて会稽の太守であったが、その会稽の城を奪ったのは孫権将軍の叔父である孫静殿だ。薛綜殿の理屈によれば、我らは過去の経緯にさかのぼって孫静殿を、会稽を奪った仇と狙ってもよいのかね?
さらにその咎は、孫静殿の今の主君である孫権将軍に及ぶとでも?」
荀彧の理に適った反論に薛綜は狼狽して、
「た、たとえ話のような極論には返答できかねる」
「極論かね?薛綜殿の申されることは、貴国に都合のよい解釈ばかりではないか!
では、百歩譲って陳登が亡き孫策殿の仇だと認めるにしても、戦いの最中に陳登は病死したのだから、貴国の仇討ちは果たしたも同然だろう。
仇敵であった李術を滅ぼした後で舒城を返還した時と同じように、こたびも広陵城を我らに返還する気はないのかね?」
「……城というものは、徳のある者に帰するのであって、いつまでも同じ人物が所有するとは限らない」
と薛綜がとんでもない言い訳を口にする。
「ほう、それで?まさか我が曹魏よりも孫呉の方が“徳”があるとでも?」
「そのとおりでござる」
「笑止。孫策殿が亡くなって孫権将軍が新たに立つと李術の裏切りにあい、その孫策殿は殺害した許貢の食客の仇討にあって亡くなった事実を、薛綜殿はいま自らの口で述べられたではありませぬか。孫呉のどこに“徳”が高い根拠があるのやら」
言い逃れのできなくなった薛綜はついに、
「曹魏は弱いから我が孫呉に負けたのだ!大衆が強い者に従うのは当たり前であろう」
「……なるほど、よく分かり申した。それが孫権将軍の本音というわけですな。
ならば曹魏の強さを思い知るがいい。我ら精鋭二十万の軍勢で広陵の奪回を図るが、宜しいか?謝るなら今が最後のチャンスですぞ」
荀彧は軍事力をちらつかせて薛綜を脅す。薛綜は唇をゆがめてニヤリとほくそ笑み、
「ふふん。いま曹操軍の主力は華北の役に遠征しており、荀彧殿の脅し文句はただの空威張りにすぎないことは、我ら孫呉の誇る【風気術】師の呉範殿のお告げで把握済みだ。
できるものならやってみればいい。我ら孫呉の総力を挙げて受けて立ちましょうぞ!」
と言い放ち席を立った。その後ろ姿に向かって荀彧は、
「薛綜殿、後悔せねばよいですな」
と告げた。
◇◆◇◆◇
「……というわけなんだ。秦朗、どう思う?」
いや、部外者のオレにどうと聞かれても。
「由由しき事態ですね。どう対応すべきか判断がとても難しい」
とありきたりな感想を述べて、オレは曹沖の出方を探ってみる。
「そうなんだよ。と言っても、選択肢は決まっている。
(1)このまま予定どおり袁譚・袁尚を討つか
(2)華北の役は一時中断して先に孫権を懲らしめるか
(3)軍を二つに分けて袁家・孫呉と同時並行で戦うか
の三択」
「まあ、(3)案はあり得ないでしょうね。短期決戦でうまく片付けばいいけど、二勢力とも持久戦に持ち込まれたらリスクが大きすぎますので」
「うん、僕もそう思う。それでね、謹慎中の曹丕兄さんはいち早く(2)案を推してるんだ……」
「?」
どうしたんだろう?いつもの闊達な曹沖らしくない、奥歯にものが挟まったような言い回しだ。
「……だから僕は、どうしても(1)案を選ばざるを得ない」
「ああ、そういうことですか」
要は、袁家・孫呉のどちらを先にやっつけるべきかという単純な問題にとどまらず、曹丕VS曹沖という曹操の後継者争いにまで飛び火してしまったのだ。おまけに、曹操に有益な進言をしてすぐに謹慎を解いてもらおうと考える曹丕と、それを阻止したい曹沖の側近の思惑が、バチバチと火花を散らせている状態なのだろう。
「参謀たちの意見も割れているんだ。
父上とともに華北遠征に同行している荀攸殿は、このまま袁家討伐の継続を望んでいるみたいだけど、曹丕兄さんシンパの程昱・賈詡殿をはじめ名士層の御大らは、友好関係を破棄した孫権を懲らしめるべきだと勇ましい論調を並べている」
まあ、実際(2)案の方が訴えやすいもんな。やられたらやり返す。目には目を、歯には歯をだ。
「曹沖様はどう考えているんですか?」
「……正直言うと、僕も(2)案が良いと思う。(1)案だと、我が領土を奪った孫権を放ったらかしにする理屈が成り立たないから」
なるほど、常識的だな。
「でも曹沖様は、曹丕様に対抗すべく(1)案を選ばざるを得ない。だから悩んでオレに相談した、というわけですね?」
「うん。面倒ごとを持ち込んでごめんよ」
「いえ、ちょうど良かった。オレなら(1)案を推しますから!」
申し訳なさそうに謝る曹沖に向かって、オレは明るく振る舞った。
「えっ?!どうして?」
「得難くして失いやすいのが時というもの。曹操閣下が孫権との戦いを優先して袁譚・袁尚と一時休戦した結果、彼らが幽州・青州で息を吹き返したならば、華北統一という天が与えた千載一遇の機会を逃すことになるからです。
たぶん、荀彧様や張遼将軍もオレと同じ意見だと思いますよ」
かつて高幹が謀叛を起こした時に二人を説得した言葉の繰り返しだ。
「それに(2)案では袁譚・袁尚と一時休戦すると簡単に言っていますが、閣下の攻勢によって父親の袁紹が憤死し不倶戴天の敵となった袁譚・袁尚が、現状維持の国境線で許してくれるかどうか?
曹操閣下がようやく奪った鄴の返還は、必ずや講和の条件として要求して来るでしょう」
「うん。袁家の旧根拠地だしね」
「そして仮に袁譚・袁尚と休戦が成立したとしても、閣下が孫権との争いに苦戦すれば、そのチャンスを彼らが黙って見過ごすはずがありません。間違いなく冀州・并州の奪回を目指して動くでしょう」
「うーん。秦朗の考えは分かったけど、同じ理屈は(1)案で袁譚・袁尚の戦いを優先させた場合にも当てはまっちゃうよ。
広陵を奪った孫権を放置したままだと、孫呉の奴らに『今なら曹操軍は華北の役にかまけて孫呉にまで手が回らないぞ』と舐められるんじゃないのかな?
そして味を占めた孫呉の奴らに、廬江郡の舒城や皖城に攻め込まれたら、最悪の場合、淮南を失陥してしまうかもしれない」
と曹沖が心配する。
「はい。曹沖様のご懸念どおり、孫権は舒城や皖城にも侵略を仕掛けて来るでしょう」
「ほら、やっぱり駄目じゃないか!」
「そうですねえ、困りました。オレの力ではどうすることもできません」
正直に答えたオレにご立腹中の曹沖に向かって言った。
「なので、揚州刺史の劉馥殿の力に頼りましょう」
次回。曹沖の説得に成功し、(1)案で納得させた関興(=秦朗)。曹沖と共に鄴に向かい、曹操に対面する。曹操の腹案は(1)案か(2)案かどっちだ?お楽しみに!




