42.関興、許都から唐県に帰還する
史実によれば、秦朗は何晏と同じく妃の連れ子だったが、曹操はともに我が子のようにかわいがったという。何晏が気兼ねや遠慮をせず派手好きだったのに対し、秦朗は慎み深く慎重な性格だったらしい。曹丕は特に何晏を嫌っており、陰で「妾の子」と呼んでいたそうだ。
しかしこの世界ではオレ、秦朗こと関興の方が曹丕に嫌われ、あからさまに「妾の子」と蔑まれているようだ。
まずいなあ。将来、魏の皇帝となる曹丕に目をつけられちゃったよ。曹操軍にいつまでも留まるのは考え物かもしれん。
ま、いっか。そもそもオレは、関羽のおっさんと関平兄ちゃんが孫権の裏切りにあって殺されないように、たとえ曹操でも天子様でも利用できるものは利用してやろうと思って、曹操に近づいただけだし。
さて、曹丕が謹慎のため許都に戻ったのと入れ替わるように、オレは許都を離れようやく荊州の唐県に帰った。
やれやれ。二週間のつもりが二か月も許都に滞在させられてしまったよ。
「興ちゃんごめんね。僕は県令の仕事があるから」とか言って、一緒に計吏報告に上がった田豫はオレを見捨ててさっさと朗陵に戻っちゃうし、腐れ儒者との舌戦では董昭・華歆・桓楷のイヤミ三銃士を論破したら牢屋に入れられちゃうし、荀彧様には何度も謀られるし、実の母親の杜妃はかなりウザい人だし、双子の兄の曹林には嫌われるし。
女神様には【雷天大壮】の天罰を食らって危うく死にかけるし、曹沖様と麗様にはお見合いネタで遊ばれちゃったし。
いろいろヒドい目にあった二か月だった。
だけど。
杜妃に聞いたエピソードで、関羽のおっさんには感謝してもしきれないほどの恩を受けたことが分かったし、荀彧様は心から尊敬に値する人物だって思ったし、張遼や鄧艾との信頼関係も深まったし、鴻杏ちゃんという彼女ができたし♪
ある意味、充実した都での二か月だった……ような気がする。
そんなオレのステータスは、高幹の謀叛を防いだ計略や曹沖との弓術くらべのおかげで、順調に上昇している。
--関興--
生誕 建安五年(200) 5歳
統率力 64
武力 70
知力 89
政治力 65
魅力 68
スキル 弩弓術 先読 交渉 鑑定 雷天大壮
しかし、だ!なぜか魅力が4ポイントも下がっている。赤ん坊の頃は天使のような微笑みをしたかわいい子だったのに、今じゃすっかり前世の俺に似たモブ顔だからなあ。
いや、原因はそれだけじゃないと思う。董昭・華歆・桓楷の腐れ儒者トリオと将来の魏皇帝・曹丕に嫌われたことが大きいのだろう。くそっ、腹立たしい。
まあ、オレは正直ステータスの伸びに一喜一憂はしていないもんね。(←決して負け惜しみではないぞ!)
曹操や諸葛孔明のように超人的なステータスを持たないオレが、個人の力でできることなど限られているからだ。
そもそもオレの願いは、建安二十四年(219)に関羽のおっさんと関平兄ちゃんが麦城で味方に見捨てられ、同盟軍に裏切られて殺される悲劇を回避したい、ということだ。
そのためなら、仇敵の曹操と手を結んだり、悪に手を染めることだって厭わない。仁者なんて虫酸が走る――
以前のオレは、確かにそう思っていた。
だけど許都に行って、儒者の道を懸命に歩む荀彧に深く感銘したせいか、オレは、戦乱に巻き込まれ名もなき民や名もなき兵士が大勢死んでしまう地獄から、一人でも多くの味方の命も救ってやりたいと考えるようになった。
まして前世で史実を知るオレならば、春秋時代の儒者・子貢のように、群雄に説いて回り戦いをやめさせる外交努力をしたり、いっそ戦乱は避けられないと割り切って、先回りして戦場から一人でも多くの民や兵士を避難させることだってできるはずだ。
荀彧かぶれの猿真似だと笑われてもいい。偽善だと蔑まれてもいい。
――オレがそんな気持ちに改心したのは、菩薩のような仁者・荀彧のおかげだ。
「正道に従って主君に従わないのが、君子の踏むべき宿命だ。自らの志を曲げ、媚び諂うことなく、私は最期まで儒者の道を貫きたい」
この世界でも、おそらく曹操の帝位簒奪への野心は、史実どおり荀彧の徳に勝る。荀彧は伍子胥の運命を辿るだろう。呉王夫差が伍子胥に自殺を命じたように。
オレは荀彧を死なせたくない。でも、荀彧の覚悟を踏みにじる真似もしたくない。
どうすればいいか、妙案はまだ思い浮かばないけれど、オレの結論は決まっている。
荀彧も助けよう。
関興に転生したオレの行動目標は、三つに増えてしまった。
……って、無理ゲーじゃないか?!
◇◆◇◆◇
許都のお土産には、関羽のおっさんには酒を、関平兄ちゃんには少年心をくすぐる七星剣の模造刀を、妹の蘭玉には七宝焼のかわいい髪飾りを買って帰った。喜んでくれるといいな。
「ただいま戻りました」
屋敷の玄関を開けると、美少年の平兄ちゃんと美少女の妹・蘭玉が「お帰りー」と言って、満面の笑みでオレを出迎えてくれる。眼福だ。しかし二人の間に挟まれたオレだけがパッとしないモブ顔というのは解せんぞ。
(まあ、美形の二人と違い、オレはおそらく関羽のおっさんのDNAを受け継いでいないからな。 汗)
その後ろからゆっくりと現れた関羽のおっさんは、眼に涙を浮かべて、
「興……」
と言葉を詰まらせオレを抱き締めた。髯が頬にあたってチクチクする。久しぶりの好き好き大好きー攻撃だ。懐かしいぜ。それからオレの前髪をくしゃっと撫でて、
「よく帰って来たな。だが、おまえはこれで良かったのか?」
と分かり切った質問をオレに投げかける。
「当たり前じゃないですか!オレは父上の子です」
「馬鹿が!将来性のない俺よりも曹操閣下の息子として暮らした方が、おまえの才能を生かせるだろうに」
「仕方ないでしょう。オレが馬鹿なのは、父上に似たんですよ」
と言ってやった。苦笑いする関羽のおっさん。オレは居住まいを正して礼を述べる。
「父上。殺される運命だったオレを連れて逃げてくれて、ありがとうございました」
オレが出生の秘密を知ったと気づいた関羽のおっさんは、
「母さんに会ったのか?」
と尋ねた。
「はい。母上からいろいろ聞きました」
「……そうか。母さんは幸せそうだったか?」
「はい、とても。父上に「ありがとう」と伝えてくれって」
関羽のおっさんは淋しげに微笑んで「幸せなら良かった」と頷いた。まだ杜妃に未練があるのだろうか?
「興。おまえが都に行って不在の間に、これからの乱世の身の振り方を俺なりに考えてみた。俺は昔、劉和様という天子様に仕える忠臣に仕えていてな」
そう言って、関羽のおっさんは過去の身の上を話し始めた。
董卓の乱で洛陽が灰燼に帰し、長安に連行された天子様。ある日劉和様は「朕はここから逃げ出したい」という密勅を授かった。董卓の追っ手からのがれるために、塩賊の抜け道を使って南陽郡に逃げた二人。そこで劉和様は皇帝の座を狙う袁術に捕まって殺され、俺は密勅を託された。そして独り幽州の劉虞の元に向かったが、劉虞は密勅の受取りを拒絶する。
そんな事態を見越していたのか、劉和様は俺に遺書を残していた。
密勅のことはきれいさっぱり忘れて、この先は自由に生きよ。
私が落命しても、決して仇を討とうと考えてはならぬ。
私の希望を叶えるために、命を賭けて主上を救おうとしてもならぬ。
私の跡を追って殉死しようなど、もってのほかだ。
「劉和様の仇討ちも天子様の長安脱出も、結局曹操閣下が成し遂げてくれた。閣下には感謝の念でいっぱいだ。だが、劉和様の理想をこの手でなし得なかった俺には、一片の悔いと慚愧に耐えない気持ちが残ったままなのも確かだ。
独り生き残った俺はこの先、劉和様の御恩に報いるために何ができるだろう?
『私は、今の世の塗炭の苦しみから民を救い出し、中州を慰撫したいと願っている。関羽よ、私に力を貸してくれないか?』
出会った頃に劉和様がそう告げていたのを思い出し、俺は決意した。
そうだ、民が塗炭の苦しみに喘いでいるのは、乱世のせいだ。乱世が終わらなければ、民の苦しみは永遠に続いてしまう。戦いに勝ち続けて乱世を終わらせ、民を救い出そう!と。
劉和様は常に、どうすれば乱世を終わらせることができるのか、俺に何ができるのかを考えながら行動せよ!と投げかけられた」
「温かく、そして厳しい方ですね」
「ああ。志を同じくする者と協力し敵を倒す、と答えた俺に、劉和様はどうやって同志を探すつもりか?力か、利か、法か?と尋ねられた。
興、おまえならどうだ?」
次回。関羽も荊州の民も荀彧も救いたい。そんな願いは無理ゲーかも?だが、どれも諦めたくない関興は、魯粛や諸葛亮の立てた天下三分の計にヒントを得て、あまり面白味のない構想を練る。お楽しみに!