40.孫権、淮南江北に触手を伸ばす
語り手は、前半は関興。後半は孫呉にいる転生者・呉範です。
呉範って誰だっけ?という方は、第20話をご覧ください。
翌朝。
「ハアー、行きたくない。お腹痛い」
オレは医務室のベッドの上でわざとらしく大きな溜息をつく。仮病と分かっている医者は知らん顔。ひどいなあ。オレは昨日まで本当の病人だったのに。
今日はお見合いの日だ。
一応候補は、曹操閣下の娘の清河姫・麗様、閣下の姪(弟の娘)の海陽姫・寿様、曹洪の娘の鈴様、楊彪の娘の椿様、董氏の娘の桃様の計5人。
ひいいいっ!助けてくれ。やんごとない身分のお姫様と下賤なオレじゃ釣り合いが取れなさすぎる。恐れ多くて、オレは間違いなく貝になっちゃうぞ。
そもそも前世で生まれて24年間、俺には彼女がいたことがないんだ。
いや、ブサメンだったわけではない。
バレンタインデーに女の子からチョコレートをもらったことだってある。(その女の子にすれば、義理チョコだったかもしれないけど)
ただ前世の俺は、顔も身長も頭脳も性格もトークもいたって平凡。そう、平凡すぎて合コンでは印象に残らない一番損なタイプだったのだ。
「若は初体験なので、失敗したって恥ずかしくないですって。フヒヒ」
うるさい!鄧艾め、他人事だと思って。
「もう一度、雷が直撃しないかなあ。そしたらお見合いをパスできるのに」
あ、そうだ。女神様の推しの劉備の悪口を言って、女神様を激怒させて天罰を下してもらおう。
「劉備のバーカ!無能!戦下手!耳デカ星人!おまえなんか死んじゃえ!」
しーん。
「陰険!ケチ!人の手柄を横取りしやがって!最近、運動不足で腹がたるんで来たんじゃねーの?太腿に贅肉がついてるぜ」
……やめよう。なんか虚しくなって来た。
「何ブツブツ言ってるんだい、関興君?」
荀彧が医務室にやって来た。オレは慌てて取り繕って、
「いえ、べつに」
すると鄧艾が余計な状況説明をしやがる。
「若は現実逃避モードに入ってるんです」
「ふーん。そんなことよりちょっといいかな?取り急ぎ、君に確認したいことがあるんだ」
「なんでしょうか?」
昨夜遅く荀彧のもとに司隷校尉・鍾繇から早馬の伝令が来て、許昌から逃げ去った叛乱軍の参軍・范先を捕らえたと連絡があったらしい。
「その范先が奇妙なことを白状したそうなんだ。高幹は江東の孫権に唆されて謀叛に踏み切ったと」
「えっ、孫権?」
オレは予想外の話に素で驚いた。高幹は明智光秀の「敵は本能寺にあり!」のように、衝動的に謀叛を起こしてしまったと考えていたが、違ったのか?袁尚か袁譚とグルになって……なら、さもありなんと思うが、さすがに孫権が黒幕とは信じられんぞ。
「奇妙だろ。曹操閣下が攻撃目標と定めているのが華北の袁尚・袁譚。そして次に狙う敵は荊州の劉表であると公言している。
高幹は、一昨年袁紹が死んだと同時に閣下に帰順したんだ。もっとも、閣下は高幹を心から信用してはいなかったけどね。言うなれば、仮想敵の扱いだ。
一方、関西の馬騰・韓遂の勢力と江東の孫権については十分に慰撫し、現時点では中立だと認識していたんだけど……」
やはり荀彧もオレと同じ意見のようだ。
実際、史実でも、もともと曹操と孫権の関係は悪くなかった。曹操は、孫策の跡を継いだ孫権を討虜将軍に任命するとともに、弟の孫匡には親族の娘を娶らせた。逆に息子の曹彰には、孫策の妹が嫁いでいる。
それに、曹操の第一攻撃目標が袁尚・袁譚であるのに対して、孫権の第一攻撃目標は荊州の劉表であり、その目標を達成するまではお互い中立である方が戦略的に有利なのは、両者の共通認識じゃないかと思うのだが。
それなのに何故、孫権が裏で糸を引いて高幹を唆す?
捕らえられた范先が黒幕を明かさないための、苦しまぎれの偽装工作なんじゃないか?
うーむ。分からん。
「そこで関興君に聞きたいのですが、君の先読みの夢には、孫権に何かそれらしい兆候が見えませんでしたか?」
オレは首を振って否定する。前にも言ったけど、高幹が曹操に対して謀叛を起こしたのは史実だが、許都を攻めて漢の天子様を奪おうとした記述は正史『三国志』にはない。まして、孫権が高幹と手を組んでいたなんて……。
「そうですか。二年前に孫権の母親が亡くなったため、今は喪中で軍事行動を控えているはずですが、念のため、揚州刺史の劉馥には孫権を注視するように伝えましょう。
引き留めて悪かったね、関興君!せっかくのお見合いの前に」
と言って、荀彧はウインクした。
「ああ、今日のお見合いには、私の息子の荀粲も参加するらしいよ。仲良くしてやってくれ」
えっ、そうなの?オレ一人対五人の娘さんのお見合いじゃなかったんだ!
なーんだ。ほっと一安心。他の男性陣にお嬢様方のエスコートをお任せしよう。
オレは鄧艾が注いでくれたお茶を口にした。
「他のメンツはね、閣下の秘蔵っ子の曹沖様、御年10歳。それから夏侯惇殿の嫡子・夏侯楙、夏侯淵殿の次男・夏侯覇、閣下の義理の息子である何晏だよ」
オレは飲んでいたお茶を口からマーライオンみたいにダーッと吐き出した。
なんだよ、高級お貴族様どうしのお見合いって!完全に場違いだ。
詰んだ、オレ。
◇◆◇◆◇
(孫呉の秣陵城にて)
ここまで長かった。
曹操が留守の隙を突いて許都を攻め、漢の天子様を奉じて江東に割拠するという亡き孫策様の悲願を果たすというのに、孫呉の重臣たちの間には思いがけず反対の声が根強かった。
古参の張昭曰く、
「曹操は狡猾にも、漢の丞相として天子様をお守りするという名分を掲げている以上、彼を攻めるということは天子様に鋒を向けることと同義であります。自ら朝敵になる道を選ぶべきではありません」
新参の魯粛曰く、
「漢の皇室を復興するなんて古臭い、今さら不可能なことは明らかでしょう。意味のない大義名分を掲げるより、足場となる江東の地をしっかりと固め、いずれ訪れる曹操の侵略に備えた方がいいんじゃないんですか?」
私の意見に賛同してくれたのは、呂範・蒋欽・董襲・虞翻ら孫策様恩顧の家臣だった。
「先年、我々は孫権様に背いた廬江太守の李術を攻撃しました。郡治所の舒城を陥として李術を殺し、舒の住民を長江の南に強制移住させましたが、城じたいは曹操を憚って揚州刺史の劉馥に返還しました。
悔しいではありませんか!
我々が血を流して獲得した土地をむざむざと曹操に奪われるなど、これ以上認めたくもありません」
そんな彼らの訴えに、孫権様はふうっと溜息をついて、
「気持ちは分かる。だが舒は、曹操が任じた元の揚州刺史・厳象が治めていたものを、李術が厳象を殺して不当占拠した城だからな。
わしが李術を攻めた名分も、舒城を占領するためではなく、わしに背いた李術を討ち果たすため。李術は曹操に援助を求めたが、わしは曹操に「李術は貴殿が任命した揚州刺史・厳象の仇でもあるのですぞ!」と説いて手出しさせなかった。
やつに舒城を返せと言われれば、応じざるを得ない」
「しかしそれでは今後、我が孫呉は江北に領地を得ることが……」
「おぬしはどう思う?【風気術】を操る呉範よ」
ようやく私に孫権様のご下問があった。
「確かに張昭殿や魯粛殿がおっしゃるとおり、一足飛びに許都を狙うのはいささかやりすぎのようですな。しかし広陵は、我が孫呉の喉元に突き付けられた匕首。太守の陳登が病に臥せっておるとの極秘情報も耳にしております。
曹操の目が華北に向いている今、まずは広陵を奪い取るのが上策かと」
「ほう。なれど、広陵を攻める理由はなんとする?」
「いかようにでも。亡き孫策様を暗殺した許貢の食客を、裏で操っていたのが広陵の陳登だったことは、我々の調べで明らかではありませぬか!兄の仇を弟が討つのは孝の教え。
広陵を攻め取ることは、足場となる江東の地をしっかりと固めることに繋がりまする。されば、魯粛殿も敢えて反対なさいますまい?」
突然、私に意見を振られた魯粛は困惑して、
「んーそれならまあ……反対はしない。積極的に賛成もしないが」
よし。反対派の一角が崩れた。
「呉範よ、勝算はあるのか?」
「はい。曹操の目が我が孫呉に向かぬよう、秘かに群雄と連携を図っております。冀州の袁尚は曹操を鄴に引き付け、青州の袁譚には武器を授けて徐州を攻める手筈を、また并州の高幹には、鄴への援軍の名目で兵を集め、先行して許都を襲撃させております。
さすがの曹操も一歩も動けず、陳登は広陵に籠城するほかありますまい。援軍の来ない城など、我が孫呉の精兵ならば陥とすのは容易かと」
「分かった。呂範・董襲、おまえたちに兵2万を預ける。速やかに広陵を陥として参れ」
「ははっ!」
こうして建安九年(204)四月、私の描いた孫権様による天下統一計画が、偉大なる一歩を踏み出したのであった。
「第2部・許都青雲篇」はこれにて完です。「第3部・荊州争乱篇」は現在執筆中により、少々お時間をいただきたいと思います。
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