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三国志の関興に転生してしまった  作者: タツノスケ
第二部・許都青雲編
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39.秦朗、唐県侯の爵位と封地を授かる

目を覚ますと、オレは知らないベッドで寝ていた。


「若!よかった、生き返ったんだ」


「……ここは?」


「宮殿内の医務室。張遼様が運んでくれた」


起き上がろうとすると、鄧艾は慌ててオレを寝かしつける。


「駄目ですよ!雷が若に直撃して、丸一日意識を失ってたんだから」


くそっ、たった一日か。どうせなら三日間オレが意識不明のあいだに、お見合いが終わっていればよかったのに。

鄧艾は苦笑して、


「若、あいかわらずの減らず口。今、荀彧様を呼んで来る」


と言って部屋を出て行った。



「良かった!心配したんですよ、関興君」


執務室から駆けつけた荀彧は、ほっとした表情を見せた。


「ご心配をおかけしました」


「とんでもない!君にもしものことがあったらと、気が気じゃなかったよ。本当にもう大丈夫?」


「はい、おかげ様で」


「本当に本当?」


「ええ、もう大丈夫です」


「なら良かった。明日、予定どおりお見合いを決行するから」


……え?そっちの心配?!


「いやぁ、やんごとない身分の人たちに合わせて別の日にスケジュールを組むのって大変なんだよ。曹操閣下のご下命だし、もし君が「無理」とか言ったらどうしようかと思い悩んでたんだ。本当によかった、よかった!」


「荀彧様……オレ、人間不信になっちゃいそうです」


荀彧は笑って、


「あはは、冗談ですよ。都の危機を救ってくれた関興君に、ぞんざいな扱いをするはずがないでしょ。閣下にも君の英雄的な活躍を知らせておきました。すぐにお褒めの言葉をいただきましたよ。なんなりと褒美を取らせよ、希望の官職に仕官させてやれ、と」


「それは困ります。オレは荊州の客分となっている関羽の息子です。曹操閣下に仕えるつもりはありません」


オレはきっぱりと断った。


「うん、君の意志は分かっています。ただ、前にも言ったとおり、能力のある人物が在野のままでは、権力者の不信を招きかねません。古今東西、それで死刑に処せられた賢者がどれほど多いことか」


「でも……」


曹操のために、劉備への埋伏の毒として働くことを承知しただけでは不足なのかな?


「言ったでしょう?敵であるはずの関興君がどうして曹操軍を利する行動を取るのか、行動原理が分からない、と。君の【先読み】スキルの話を聞いた私や張遼殿は、一応、君を信じてもいいかなとは思っています。

が、権力者である曹操閣下はそれを知らない。どうします?閣下に【先読み】スキルの話を伝えますか?」


ひいぃっ、それはマズい!

曹操はフェイクを見破る動物的な嗅覚に優れている。先読みの五つの夢なんてオレの作り話は見破られ、オレが転生者だとバレて、正史『三国志』に語られる今後の歴史を洗いざらい吐かされるに違いない。

観念したオレは、


「荀彧様、オレはどうしたらいいんですか?」


「まあ、そんなに落ち込まないで。悪いようにはしないよ。

まず一つ目。関興君を、近衛兵を管轄する虎賁中郎将へ任命する。ただし任官は、5歳ということで非常勤に」


「!」


そんな裏技が?!やった、万事解決だ!


「二つ目。関興君に「唐県侯」の爵位と封地を授ける。ただし唐県はまだ荊州が所有しているので、封地については名目的なものにすぎない」


「全然かまいません」


唐県は関羽のおっさんが領有しているし。この先、荊州が曹操に降伏したら、その所有権が唐県侯のオレに移るってことだろ。実質、関羽の領地を安堵する、という約束手形のようなものだ。受けるに決まっている。


「三つ目。今回の勲功の褒美として、金十万銭を授ける」


わーい!お金大好き~!


「とまあ、こんな感じで曹操閣下を説得したいですね。そのためには……」


「そのためには?」


荀彧はチラリとオレの顔を見て、


「関興君が()妃様の息子、つまり曹操閣下の義理の息子になることを承知してもらいましょうか」


いーやーだーっ!オレは血の繋がりはないかもしれないけど、関羽の息子で……

あれ?ちょっと待って。


よく考えたら、()妃がオレの生物学上の母親であることは事実だし、()妃の今の夫が曹操なのだから、当然オレは曹操の義理の息子に該当するのだ。

承知もなにも、感情的にはともかく法律的には、曹操の義理の息子だと言われれば、拒否なんてできない。

そうだ!オレはひらめいた!


「オレ、()妃様には何故か“秦朗(しんろう)”という名前で呼ばれています。

荀彧様、だからオレは“秦朗(しんろう)”の名前で曹操閣下の義理の息子になって、「唐県侯」の爵位と封地をありがたく頂戴します。なんなら、虎賁中郎将への任官を承諾したっていい。ただし“秦朗(しんろう)”の名前で、ね」


中郎将なんて所詮お飾りだ。非常勤だしな。近衛兵を実際に指揮する隊長は別にいるのだから、オレの代わりに双子の兄の曹林を座らせればいい。どうせ同じ顔なんだし分かりゃしない。

荀彧はニッコリ笑ってうなずいた。


あれ?もしかして荀彧は、オレがひらめいた条件など想定の範囲内?

あ、そっか。オレはただ荀彧のてのひらの上で踊らされていただけなんだ。

やはり天下に名高い軍師だな。みごとに難問を解決してくれた。


「高幹の謀叛を未然に防いだ君の勲功が、関興の名前で記録に残らないことは非常に残念ですが、これで勘弁して下さい」


「荀彧様、ありがとうございます。よろしくお願いします」


オレは荀彧に最敬礼した。


◇◆◇◆◇


さて、天下の情勢はどうなっているだろうか?


曹操は、十五万の大軍で袁尚の本拠地・鄴を二か月間包囲する一方、軍の一部を割いて冀州の各城を着々と平定させた。邯鄲・安陽・中山などは攻撃するまでもなく、城門を開いて曹操軍を迎え入れた。


謀叛を起こした高幹亡き後、并州は各地に弱小の残党が割拠していたが、司隷校尉の鍾繇は関西の馬騰らを率いて一つ一つ潰して行った。并州と司隷を曹操が制したため、三方を囲まれた匈奴はなすすべなく帰順し、首領の呼廚泉(こちゅうせん)単于(ぜんう)は曹操のもとに入朝した。


うーむ。曹操の華北平定が、史実よりも一年早まるかもしれない。

ということは、荊州侵攻も一年早まるのかな?


一方、鄴を囲まれた袁尚の苦境に乗じて、袁譚が青州から冀州の平原・南皮を侵し始めた。

馬鹿め。目先の利益に乗じてどうする?ここは弟の袁尚と結託して曹操にあたる一択だろうと前世の俺は思っていたのだが、この世界でも袁譚(バカ)はやっぱりバカだった。


曹操に冀州を奪われてしまっては、あとは各個撃破が待っている。袁譚の本拠・青州へは冀州と徐州からの挟み撃ち、そして次兄・袁熙の幽州へは、冀州と并州からの挟み撃ち。

二方面からの攻撃に耐えられるほどの戦上手は、袁軍閥にはもう残っていない。これでジ・エンド確定だ。


そうなると、北方の騎馬民族である烏桓・鮮卑の動向が気になる。


史実では、袁熙・袁尚と結んだ烏桓は曹操に追い詰められ、首領の蹋頓(とうとん)単于(ぜんう)が白狼山の戦いで戦死したため、これ以後烏桓は曹操に服属し、馬と騎兵を提供することになったらしいが、武勇に優れ人望のあった蹋頓(とうとん)単于(ぜんう)を殺したのは、長期的に見て重大な失敗だったとオレは思う。


というのも烏桓が急速に衰退したために、対立するもう一つの騎馬民族・鮮卑が強大化しすぎて手に負えなくなってしまったのだ。


正史『三国志』によれば、鮮卑の軻比能かひのうという王のもとで領土を広げ、長城の北は、西は五原から東は遼東までの万里に渡る範囲を支配下に置いたらしい。その結果、明帝の時代に蜀の諸葛亮は軻比能かひのうと結び、北伐の際には長城を超えて魏の領地を荒らし回ることを約したといわれる。


それでも魏の建国当初は、田豫・梁習りょうしゅう裴潜はいせん牽紹けんしょう・王雄ら名刺史・名太守のおかげで、長城北辺は比較的安定していたが、やがて晋の時代になると、匈奴・鮮卑の侵略を抑えきれず、ついに中国の北半分を彼らに奪われることになった(五胡十六国時代)。

その遠因が、曹操が烏桓の蹋頓(とうとん)単于(ぜんう)を殺したことにあるとオレはにらんでいる。



では、オレならどうするか?


冀・并・青の三州は袁軍閥から奪うが、長城北辺の騎馬民族と長い国境線を接する幽州は、敢えてしばらく袁熙に領有させたままにする。いずれ袁熙は滅ぼすがそれは南方を退治した後だ。

すなわち、宋を興した趙匡胤(ちょうきょういん)の取った戦略に倣い、


「幽州は騎馬民族に対する軍事拠点だ。一挙に陥れると、烏桓・鮮卑という外敵を我々が一手に引き受けなければならなくなる。しばらくこのまま割拠させておき、荊州の劉表・揚州の孫権・益州の劉璋を先に平定すれば、最終的に幽州は逃げ場がなくなり、袁熙は降伏せざるを得ないだろう」


と進言するだろうな。


袁紹が四州を領有した覇者だったからこそ、烏桓の強力な騎兵部隊は袁紹に従っていたのであって、一州しか持たぬ袁熙が相手では、いずれ烏桓は離反するだろう。


とすれば、袁熙は長城地帯を守るので精いっぱいだ。とても南の冀州に進出する余裕などあるはずがない。また蹋頓(とうとん)単于(ぜんう)が健在であれば、烏桓と鮮卑は相争い、鮮卑の軻比能かひのうの勢力拡大も抑えられる。


その上で、最も信頼のある武将(たとえば夏侯惇)を使持節都督諸軍事の権限を持たせて并州刺史に任命し、袁熙を牽制しつつ、騎馬民族の動向を并州からコントロールする。


こうすれば、曹操は国境を守備する兵士を削減できて軍事力に余裕が生じ、孫権・劉備の同時二方面侵攻にも容易に対処できるようになり、赤壁の大敗以後の専守防衛地獄に陥ることもなかっただろう。


>宋を興した趙匡胤の取った戦略

『宋名臣言行録』によれば、宋が興った当時、周辺には群雄十国が割拠していました。太原の北漢と揚州の南唐のどちらを攻めるか迷った趙匡胤は、

――太原は北方騎馬民族に対する軍事拠点だ。一挙に陥れると、契丹・西夏タングートという外敵を我々が一手に引き受けなければならなくなる。しばらくこのまま北漢を割拠させておき、南唐や後蜀を先に平定すれば、最終的に北漢は逃げ場がなくなり、劉崇(北漢の僭称者)は降伏せざるを得ないだろう。

と述べた宰相・趙普の戦略を採用しました。


>赤壁の大敗以後の専守防衛地獄

『荀子』が「強者が弱体化する原因」と述べる、

――たとえ領土が増えても民心が失われれば、面倒ばかり増えて功績は少ない。防衛範囲が広がる反面、守備力は落ちる。(第32話)

曹操が陥ったのは、まさにこの現象に当てはまると思います。


次回。高幹に従って謀叛を起こし、許昌から逃亡した范先が捕まった。司隷校尉・鍾繇の取り調べで、高幹は江東の孫権に唆されて謀叛に踏み切ったと自白したらしい。なぜ孫権が?関興の疑問をよそに、孫権がついに広陵奪還に向けて挙兵する!お楽しみに!


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