31.関興、殺人事件の謎を解く
殺人事件の解決編です。
真犯人は簡単にお分かりだと思いますけどね。
「つまり、被害者の趙忠が死因となった毒を盛られた経路は、パーティー会場ではないと考えた方がつじつまが合う」
と述べたオレの推理に、荀彧は困惑気味に反論し、
「いや、しかし現にパーティー会場では、被害者の趙忠と同様の症状が見られた五人の患者が出ている。いくら共通項がないとはいえ、毒を盛られた経路がパーティー会場ではないというのは無鉄砲すぎます」
だが、趙忠殺害事件の大まかな筋書きがつかめたオレはニッコリ笑って、
「ああ、そういう意味ではありません。
パーティー会場で五人の患者が出る原因となった“毒”は、あくまでもパーティー会場で盛られた。
ただし、致死性のない薄められた毒で、あの場で騒ぎが起これば被害者は誰でもよかった。だから五人の患者が出ても、趙忠との間にはなんら共通性も接点も見当たらない。
そして翌日、自宅で死体となって発見された趙忠の死因は毒殺。同じ“毒”だが濃度が濃く致死性があったために、それを口にした趙忠は死んだ。
この致死性の“毒”を盛られた場所がパーティー会場ではなく、別の場所なのだろうという意味です」
「なるほど。私としては、郗慮殿が無実の可能性が高まるのは喜ばしいことですが、しかし……」
「荀彧様、考えてもみて下さい!仮に被害者の趙忠が、死ぬ前日のパーティーで毒を盛られたと騒いだ事件がなければ、容疑者は趙忠が死んで得をする人間が真っ先に疑われるはず。あるいは第一発見者も捜査の対象になってしかるべき」
「得をする人間には、郗慮殿も当てはまりますが……」
「怨恨も含めて、他に動機を持つ人間がいるかもしれないじゃないですか!
そちらの捜査はどうなっています?
それに、第一発見者のちょっとかわいらしいメイド。趙忠と男女の仲になってる線も捨てきれませんよね?」
「分かりました。すぐに調べさせましょう」
荀彧は警察に号令して趙忠周辺を当たらせた。
すると、出るわ出るわ。
趙忠は女たらしで、オレの読みどおり、第一発見者のメイドと最近いい仲になっていた。その他にも某貴族の奥方だったり、子供の乳母だったりと数名の愛人を抱えていたらしい。
一方、被害者の妻にも愛人がいた。それが被害者・趙忠の従者だ。
ある夜、二人きりの情事が終わった後、被害者の妻が従者の逞しい裸を指で弄びながら、そっとささやいた。
「旦那が死ねば、遺産はすべて私に手に入る。そしたらあなたと結婚して、二人で楽しく暮らしましょう」
従者は考えた。
趙忠には敵が多い。もし彼が殺害されても、動機は絞り込めないはずだ。ならば、自分より疑わしい容疑者を仕立てれば、警察の目はそちらに向くに違いない。
従者はターゲットを漢の侍中・郗慮に決めた。
そして、主人の趙忠にこうつぶやく。
「郗慮殿が主催のパーティー会場で毒物騒ぎを起こせば、きっと彼がライバルの趙忠様を狙った犯行と噂されて、司空のポスト争いから脱落させることができると思いますよ」
その謀略にまんまと乗った趙忠は、パーティー会場にセッティングされた取り皿に無作為に軽めの毒を仕込ませるよう従者に指示する。
その皿を使った趙忠本人と、趙忠とは関係のない被害者A~Eの五人が嘔吐と下痢に襲われ、歓迎会は台無し、筋書きどおり郗慮の面目は丸つぶれになる。
従者に連れられ、痛む腹を押さえながら、だが内心ほくそ笑んで家に帰る趙忠。
しかし、従者が描いた謀略の本番はここから始まるのだった。
「周りの者には毒に当たって具合が悪いと思わせるため、今夜は自室で一人で引き籠って下さい」
と忠告された趙忠は、
「分かった。だが退屈じゃ。酒を持って参れ」
と従者に命じる。酒好きの趙忠ならきっとそう言うに違いない。
従者の読みどおりだった。そして彼は大のウイスキー好きだ。大抵ロックで飲む。従者は氷に毒を仕込んだ。
そして、主人がお気に入りのメイドにウイスキーと氷を自室に運ばせ、彼女にその場で作らせる。彼女の尻を撫でながら、チビチビとウイスキーを嗜む趙忠。
メイドが下がり、やがて氷が溶け始めると、中から毒が沁み出す。
そうとは知らず、毒の沁み出したウイスキーを口にした趙忠は、従者の想定どおり誰もいない自室で死んだ。
翌朝、趙忠を起こしに行ったメイドは、主人の死体に気づく。傍らには、昨夜彼女が作った飲みかけのウイスキー。
あたしが絶対に疑われる!
焦ったメイドは、昨夜ウイスキーを振る舞った痕跡をなかったものにした。ウイスキーの瓶をキッチンの戸棚に戻し、残った飲みかけのウイスキーと氷を庭に捨て、コップを洗い枕元にセットし直した。
そして、彼女の方から従者に頼み込んで、昨夜、主人にウイスキーを運んだ行為はなかったと証言してくれと泣き落とした。今夜あなたに抱かれるから、と。
しぶしぶ承知する従者。しかし、内心では「うまく行った」とほくそ笑む。
前日のパーティー会場での毒物騒ぎのおかげで、警察の捜査の目は被害者の趙忠と犬猿の仲であった主催者の郗慮に向かっていた。
そのため、警察の現場検証も事情聴取もあっさり終わった。第一発見者のメイドも、被害者の妻も、そして従者自身も、警察に疑われた様子はなかった。
その後、パーティーの料理を出した料理人が毒を混入したと自白したため、警察は郗慮を殺人教唆の罪で逮捕、事件は速やかに解決した……かに思えた。
風向きが変わったのは、その日の午後。
主犯と目された郗慮も、実行犯と疑われた料理人も、警察から釈放された。
そして再び警察が趙忠の自宅を捜査する。
今回は死体発見現場の自室だけではなく、庭とキッチンが徹底的に調べられた。
その結果、庭の一角で不自然に枯れた草を発見、それが趙忠の死因と同じ“毒”の影響だと判明した。これで、趙忠が死因となる“毒”を盛られた場所はパーティー会場ではなく、自宅であると特定された。
こうなると犯人の目星は自ずと絞られる。なにしろ昨夜は、趙忠の帰宅後に屋敷を訪れた者はいないのだ。当然、内部犯が疑われた。
追及に耐えられなくなった第一発見者のメイドが自供する。
「本当は昨夜、ご主人様に命じられて、ウイスキーを自室に運びました。痕跡を消したのは、最後にご主人様に会ったあたしが疑われると思ったので……」
「ほう。つまり君は毒入りのウイスキーを被害者に飲ませた、と認めるんだね?」
「でも!あたしは、氷を入れたコップにウイスキーを注いでお渡ししただけで、ご主人様を殺してなんかいません!」
そうして警察は、ウイスキーの瓶と氷室にある氷を調べる。
ウイスキーの中身には毒が含まれていなかった。消去法で、毒が入っていたのは氷の方だったと考えられる。そして氷室の管理は趙忠の従者が行なっていた。
しかし警察の厳しい追及にもかかわらず、従者は頑として犯行を認めない。実際、状況証拠しか揃っていないのだ。
オレは一計を案じた。
「氷の入った飲み物を従者に勧めなさい」
飲み物を飲めば“毒”にあたって死ぬ。飲み物に手を付けなければ、氷に毒が入っていることを従者が知っている証拠となる。
従者は観念して、犯行を自供した。
◇◆◇◆◇
「いや、お見事だったよ。関興君のおかげで、私の友人が救われた」
荀彧が礼を言う。
「よして下さいよォ。たまたま犯人が閃いただけなんですから!」
実際、前世のミステリー小説ではありがちな展開だもんな。犯人が死んで得をする人間を疑えという鉄則どおりだし。
「君には何か御礼をしないといけないね」
「あ、それならさっさと唐県に帰らせて下さい!」
「それは駄目。却下!」
なんでだよ?!曹操は出征中なんだから、オレが都にいる意味ないだろ。
「ところで、曹操閣下の遠征はどんな具合ですか?」
「順調だよ。袁譚の守る青州に攻め込んだ袁尚に対し、閣下は防備が手薄となった本拠地の鄴城を騎兵で急襲した。
驚いた袁尚が引き返した所を、途中の西山の麓で伏兵を使って大破。散々に打ち破られた袁尚軍は、命からがら鄴城に逃げ込んだ。
今は袁尚が籠城する鄴を、閣下率いる十五万の大軍で包囲している状態。もう一月になるかな」
それを聞いた鄧艾は満足そうに微笑んだ。あいつが予想したとおり、曹操は囲魏救趙の計略でまんまと敵を仕留めたんだもんな。
「このまま鄴を包囲して絞め上げるんですか?逃げ場を失った窮鼠は、死に物狂いで牙を剥く恐れもあります。包囲の一角を崩しておいた方が……」
と鄧艾が献策すると、荀彧は微笑みながら、
「鄧艾君の策はもっともだけどね、今は時期尚早だ。腐っても鄴は袁尚の本拠地、兵糧はまだ残っている。つまり敵はまだ窮鼠となっていない。
この状態では包囲を続け、外部との連絡を徹底的にシャットアウトして、城内の兵を絶望に追い込み敵を弱らせるのが、兵法の常道だよ」
鄧艾は目をキラキラさせ、尊敬の眼差しで荀彧を見つめる。キモいな。
「となると、曹操軍の兵糧の補給が問題ですね。十五万の大軍でしょ」
オレの指摘に荀彧は頷くと、
「それも織り込み済だ。追加一月分の兵糧は、まもなく夏侯惇殿に任せて許昌から運搬する。ああ、護衛には兵三千を付けるよ。敵の烏巣での失敗を見習って、ね」
荀彧が分かってるさ、とばかりにウインクする。まあ、歴戦の将軍・夏侯惇なら、兵三千を率いておれば、敵に兵糧を奪われる心配はないだろう。
あれっ?でも……そしたら、許昌の守りはどうなるの?
「大丈夫。都には二千の近衛兵が残る。強弩も用意しているし。万が一反乱が起こっても、城門を閉めればなんなく対応できるだろう。
それに荊州の劉表は、留守中に攻め込まないようこの前しっかりお灸を据えたし、洛陽では司隷校尉の鍾繇が睨みを利かせている。
その他には近隣に敵は存在せず、我が軍に隙はない」
あっそ。隙はない、ね。
オレがいるじゃん!隙。いま、関羽のおっさんを焚き付けて許昌に攻め込ませたら、簡単に天子様を奪還して奉じることができそうだな。
……まあ、やるつもりはないけどさ。
次回。荀彧とちょっぴり打ち解けた関興は、次第に考えを改める。荀彧は本物の忠臣だった。やがて訪れるであろう曹操と荀彧の破綻を垣間見た関興は……お楽しみに!




