25.関興、贋金づくりに励む
ちょっと真面目な考察をしてみた。
さて、先日の潘濬との議論で、オレは気づいたことがある。
それは、一地方豪族が水軍を養うには、金が掛かりすぎるということだ。
特に水軍を多く抱える孫呉の場合はどうなのか?
曹魏の軍制が曹操を頂点とする中央集権的な一元管理に対し、孫呉は私兵を有した独立性の高い地方豪族が孫権に主従を誓うことで成り立つ、言わば日本の「守護大名と国人領主」的な軍制を、孫策の時代から取っていたことが特徴であった。
すなわち孫呉の地方豪族出身の将軍は、常に敵と戦い手柄をあげて所属する私兵を食わせて行く必要があった。
おまけに孫呉の主力は歩兵ではなく、水軍つまり楼船・艨衝・走舸から成る船団を有している。そして、その船団の維持は各将軍の裁量に委ねられており、歩兵よりも莫大な費用がかかるのは必然であった。
そこで孫権は、忠誠を誓った将軍が私兵団を食わせて行けるように、続々と私鋳銭を発行する。
私鋳銭が増えれば贋金が増える。
贋金が増えれば貨幣の価値が下がる。
すなわちインフレが発生し、物価が上がる。
貨幣の価値が下がるとは、今まで三銭で買えていた品物が、翌年は五銭,翌々年は八銭……を支払わなければ手に入れることができない状態をいう。
今まで五銖銭を一枚単位で支払っていたものが、十枚を一単位として支払わなければ、お金の意味をなさないようになってしまう。
そこで孫権はどうしたか?
呉志で確認される改鋳された貨幣は、嘉禾五年(236)の「大泉五百」と赤烏元年(238)の「大泉当千」の銭だけだが、それが登場する前史として、#大泉当十や#大泉五十,#大泉当百なども存在したはずである。
その#大泉当十、一枚で五銖銭十枚分の価値を持つという新しい貨幣を、孫権が改鋳するにあたって、今まで流通していた五銖銭を二枚回収しそれを鋳潰して#大泉当十を一枚発行すれば、改鋳益は(銭を溶かす燃料費や鋳物師の労賃を考慮せず、単純に貨幣の銅の含有質量のみで比較すれば)、10銭-1銭×2枚=8銭。
貨幣を改鋳後の孫権の資産は、10銭÷2枚分=5倍に増えるのである。
だから孫権は貨幣の改鋳を次々と行なった。一種の麻薬と同じだ。一度手を染めてしまうと歯止めが利かない。
十倍,五十倍,百倍,五百倍,千倍。そして実際に通用したかどうかは不明だが、呉の遺跡から二千倍,五千倍の額面を持つ貨幣も出土しているそうだ。
もちろん、ちょっと考えれば分かるように、#大泉当十の銅の含有量が五銖銭2枚分と同じならば、#大泉当十の実質的な貨幣価値は五銖銭二枚分。
その結果、民衆が持つ五銖銭1枚の価値=0.2銭と五分の一に下がってしまう。
こうして孫権が手にした改鋳益のツケは、貨幣経済の大混乱・ハイパーインフレとなって民衆が払わされるのであった。
民衆は不満だ。不満はお上に対する反乱となって爆発する。史書に記される反乱の数が魏や蜀に比べて呉に多いのは、そういう事情なのだろう。
軍事力は最も精強だったにもかかわらず、最終的に孫呉が魏から代わった晋に敗北したのは、駄馬にも劣る晩年の孫権以降、暗愚な皇帝が続いたことが大きな理由ではあるが、ハイパーインフレと貨幣経済の混乱も一つの大きな要因であったことは否定できないと思う。
この世界における孫権も、現時点で私鋳銭を大量に発行しているに違いないし、おそらく#大泉当十などの貨幣発行も近いうちに実施しようとするだろう。
その時、オレも#大泉当十の贋金を鋳造すれば、孫権が手にするであろう貨幣改鋳益をオレも掠め盗ることができる!
史実で滅亡した280年を待たずに、もっと早くハイパーインフレを起こして孫呉の貨幣経済をズタズタに破壊してやる。
そういう構想を、オレの家庭教師をしている劉巴に話してみると、
「なるほど。軍事力でも知略でもなく金の力で戦いに勝とうとは、なかなか面白そうなアイデアですね」
と悪い笑みを見せた。
劉巴。
正史『三国志』によれば、劉巴は荊州牧の劉表に仕えることを拒み、赤壁の戦いの後に長沙を押さえた劉備をも嫌って交州に逃げた。劉備も諸葛亮も彼の能力を高く買い、なんとか下臣にしようと手を尽くしたという。
後に益州の成都を陥した時、劉備は劉璋の宝物蔵を略奪することを許したため、兵は争って宝物・金銭をすべて奪って行った。劉備は城内が混乱し、また金銭が不足して軍需品を賄うことができなくなると恐れたが、劉巴はひとり落ち着いた様子で、
「慌てなさんな。百銭の貨幣を鋳造し、役人に命じて速やかに市を立てて品物を流通させれば、貴殿の懸念は解消されますぞ」
と進言した。まあ、益州乗っ取り時にどうせインフレが起こることを見越した上で、混乱のどさくさに紛れて、劉巴は貨幣改鋳益を狙った政策を提言したのだろう。
劉備がそのとおり実行すると、果たして半年も経たぬうちに金が集まったそうだ。
この世界の劉巴は、どういうわけか荊州の客分である関羽のおっさんに従い、その学識を重んじられて、関平君とオレの家庭教師をしている。そこでオレは贋金づくりと経済戦争の指揮を、適任の劉巴に任せることにした。
彼なら、麦城の戦いで関羽が殺される建安二十四年(219)より前に、孫呉を経済的に大混乱に陥れることができるかもしれない。
あ、そうだ。
介入する準備として、以前オレが潰した孫呉と裏で繋がっていた襄陽の大店を再興しよう。店の暖簾というよりも、孫呉と取引をしていた支店そして番頭・手代が大事だな。
早速、斥候の蝙蝠に指示して、散らばった番頭・手代の行方を探させよう。
◇◆◇◆◇
そんなある日、屯田兵の陳京とその仲間たちが荒れ地を開墾していると、鍬に硬い感触が当たった。不思議に思って掘り進めると、土の中に異様な金属の塊が埋まっていた。
「これなんですけど……」
あーたぶん殷か周の時代の、鼎とか鐘とか呼ばれる類の大型青銅器だ。現代なら重要文化財とかに指定されるかもな。
「三人がかりで持ち上げようとしたんですけど、あまりに重くてちょっと無理なので、力持ちの隊長にお願いしようかと」
関羽のおっさんは任せろとばかり、ぬおおーっと雄叫びを上げて、青銅器を地面に引っ張り出した。
「隊長、ありがとうございまーす。これで予定どおり畑仕事が進められるぜ」
そっちかよ!やれやれ、価値の分からん奴め。
「しかし邪魔だな。もっと小さければ、花でも活けて部屋に飾ってもいいんだが」
……おっさん、あんたもか。
まあ、この世界には文化財なんて概念は存在しないからな。
「父上。この鼎が邪魔なら、オレがもらってもいいですか?」
「べつにかまわんが……それ、どうするんだ?」
フッフッフ。新たに銭を作るんだよ!つまり、手に入れた青銅器をいったん溶かして五銖銭を鋳造するんだ。
そのために、オレはあらかじめ鋳物師と陶工を雇っておいたのさ!
実は、山奥に陶工用の窯を築いて、すでに実用的な陶器は製造している。坩堝は作れるし、粘土で作った小型の銭の鋳型は使い捨て。窯を少し改良すれば溶融炉ができる。あとは原料となる金属の調達のみ。
それがようやく無料で手に入ったのだ!殷周時代の青銅器という形でな。
唐県は、殷もしくはその前の夏の時代に遡ると言われる二里崗文化圏の中にあるから、きっと出土するとは思っていたが。
今回、陳京が掘り上げた青銅鼎は約150kgくらい。五銖銭の重さは約3gだから、単純計算で五万銭の贋金を作ることができる。
あ、いかん。贋金とかつい口が滑ってしまった!
その時、急に空に黒雲が覆ったかと思うと稲妻が光り、ゴロゴロドドーンと雷が落ちてすぐそばに立つ木が黒焦げになった。
キャーと逃げ惑う屯田兵の陳京とその仲間たち。
やべっ、女神様の天罰【雷天大壮】だ!
「違うんです、女神様の誤解です。オレがやろうとしているのは、ちゃんと正史『三国志』にも記される正当な行為なんです!」
「はあ?どういうことよ?」
「董卓は悪銭を勝手に私鋳して、後漢の経済を破壊したんですよ。
奴に比べればオレなんて、本物と同じ銅の含有量の五銖銭を鋳造するだけ善良ですって!この時代、私鋳銭はどの群雄も後漢皇帝の許可を得ずに勝手に行なっていたんですから。
それに曹操だって、發丘中郎将(墓荒らし中郎将)や模金校尉(贋金作り)校尉を任命し、古代の王侯貴族の墓を暴いてお宝を略奪し、贋金作りを奨励していると陳琳に告発されてるくらいだし」
「ムムム……」
「史実の孔明だって直百五銖を鋳銭したじゃないですか!自分はやってるくせに、他人がやるのは駄目だなんて、そんなの女神様の横暴だと思いますけど」
もうすぐ孔明としてこの世界に登場する予定の女神様は、ふうっと溜息をついて、
「あんたって、本っ当にヘリクツの達人ね。呆れるわ」
オレの言い訳には正当な根拠があると渋々認め、五銖銭の私鋳は黙認されることになった。ふん、チョロいぜ。
とりあえず、鋳物師には口止め料として一万銭ばかり分けてやれば、喜んでオレの私鋳銭計画に乗ってくれるだろう。
黒雲が去って開墾を再開した陳京らは、
「あっ、また出て来た。隊長!掘り上げますんで、加勢をお願いしまーす」
と叫ぶ。結局、大型の青銅鼎は十個も出土した。
青銅鼎を山奥の窯へ運ぶ手伝いをさせられ、そこで贋金を作ると知った筋肉ダルマの甘寧は、
「おまえの方がよっぽど悪党じゃないか!」
と憤慨した。
斥候の蝙蝠は番頭・手代の行方を突き止め、関興の出資する金を提供して、元の店の屋号のまま江夏支店(今は劉表配下の黄祖が支配しているが、いずれ孫呉の手に陥ちる)・豫章支店(建安の初めに孫呉の支配域になった)を再興させることに成功しました。
次回。ついに計吏報告に都に上がる日がやって来た。田豫の待つ州境の峠に向かう途中で関興は地図を描いている少年に出会う。瓦版と地形を見比べながら、先日の西平の戦いの欺瞞を見抜いた少年の正体は?お楽しみに!
 




