247.曹操の退場
(曹操のつぶやき)
わしが秦朗を騙して漢中に停泊している軍船を奪い荊州乗っ取りを図ったのは、言うまでもなく、曹丕や献帝にかっ攫われた天下の覇権を己の手に取り戻すためだった。
わし自身老いを感じる年齢を考えれば、今さら一からやり直す気にはなれん。
それに、秦朗だってわしを利用して成り上がろうと思ってたんだろう?化かし合いはお互い様じゃないか!時代は乱世、騙される方が悪いのだ。
「秦朗も関羽も奴らが気に入らんのじゃろ?馬鹿め、十分な兵も武器も持ってるくせに有効に活用しようともしない宝の持ち腐れなおまえ達に代わって、わしが漢の献帝と魏の曹丕を滅ぼしてやれば、おまえ達だって本望だろうが!」
乗っ取り計画が未遂に終わり、あっけなくお縄になったわしはそう言い放った。
ところが関羽は思いも寄らぬ真実をわしに告げる。
「興は言ったんです、《曹操は恩を仇で返すような性根の腐ったヤツじゃない。もっとあいつを信じてやれよ!》とね。馬鹿みたいでしょ?どこまでお人好しなんだって……自分の予想がハズレると分かっていながら敢えてそんな理想に賭けた興の善意を、閣下は踏みにじった。興の無念が分かりますか?」
わしの計画ははじめから秦朗に見透かされていた。秦朗は騙されると分かっていながら、敢えて騙されてやった。お人好し?馬鹿みたい?――違う、馬鹿はわしの方だ!
「し、秦朗…おまえはそこまでわしを信じて……」
わしはガックリとうなだれた。完敗だ。
「わしはもう天下獲りの野望をきっぱりと捨てた。これ以後は心を入れ替え、まずは大逆を犯した曹丕を諭して天下に謝罪させる。それができるのは父親のわしだけだ!」
それと……
わしが天下の覇権を握るため、望まぬ婚姻を無理強いして漢の献帝に嫁がせた麗。償いのために、自らの命と引き換えにしてでもなんとか麗の身を救い出してやりたい!
ならば、わしがやらねばならぬことは一つ。
かつて天下の八州に君臨したものの、今や落ちぶれて捕らわれの身となりぶざまな命乞いなどみっともないと蔑まれようと、恩を仇で返した報いを受けるべきと罵られようと、わしは生きなければならない。生きて、許都へ行かねばならぬ。
わしはその頃から狂人を装った。
もはや荊州の役に立ちそうもないお荷物になり果てたと放逐されるかもしれん。どうせ帝位簒奪の野望は潰えたんだ。わしにはもう天下の覇権を握る野心もない。
そうだ。そうなったら一路許都へ向かい、曹麗を救出するためにひと暴れして、ついでに曹丕にも一発ぶちかまして目を覚まさせてやるか!
最近伝来した浮屠のお経とやらを熱心につぶやくだけで、皆わしの頭がおかしくなったと勘違いした。いいぞ、このまま騙される者が増えれば、わしは用済みとして放逐されるチャンスが近づく。
ところが。
「な~んだ。これは浮屠の者が唱える、天竺出身の釈迦が説いたお経ですよ」
秦朗はすぐに見破った。まさか異国の教えにまで通じておるとは、何者だ秦朗?!わしが“狂人”のフリをしているとバレるのも時間の問題ではないか。
いかん!
わしは荊州乗っ取りを図った大罪人との烙印を押されている。つまり信用ゼロだ。このままでは関羽や秦朗の同情を誘って牢から出してもらい、再起を図ろうという魂胆だと疑われてしまう。
こうなっては……
――若しそれ子のために止むを得ざる事あれば、自ら悪業を造りて悪趣に堕つることを甘んず。己れ生ある間は、子の身に代らんことを念い、己れ死に去りて後は、子の身を護らんことを願う。
我が子のためにやむを得ないことがあれば、あえて自ら悪業を行ない甘んじて地獄に落ちようと決意する。生きている間は我が子の身代わりになり、死して後さえも我が子の身を護りたいと願う。それが親という者だ。
『父母恩重経』の一節を繰り返し唱えるわしの心の叫びを悟ったのか、秦朗は、
「おいっ!おま…“子の身に代らん”って……。おまえの願いはどっちだ?曹丕か?曹麗様か?曹操、答えろっ!」
と問うて来た。
わしはようやくつぶやきを止める。
「……麗に決まっておる」
秦朗の方に顔を向けて、絞り出すように答えた。
どうか頼む、わしの真意に気づいてくれ!
「…………そういうことか。
実はな、曹丕から使者が来た。昔、田豫とオレが結んだように、相互不可侵の約定の打診だ。条件として、淮南を割譲する代わりに、おまえの身柄を寄越せとさ。正直、おまえの扱いに荊州内でも意見が割れている。いい機会だ、さっさと曹丕に渡せと主張する者も少なくない」
「もとより願ったりだ」
「本気か?曹魏に引渡せば、おまえの命は百パーセント消されるぞ!」
「覚悟の上だ。わしも乱世の姦雄と呼ばれた男、ただで殺られるつもりはない。許都ではひと暴れして、軟禁されている麗を救い出す」
「馬鹿かっ!たった一人で可能なはずがないだろう!?」
「遠く離れた荊州で幽閉されるわしには、他に手立てがない。どうせこの地で朽ち果てるなら、望まぬ結婚を無理強いした麗を救出するために、この命を捧げたい。狂人の真似ごとをしておれば、曹丕も油断して隙が生まれよう」
鬼気せまるわしの覚悟を見せつけられた秦朗は、
「……分かった。おまえの望みを聞き届けてやる。曹丕の出した条件を呑む方向で荊州の意見をまとめるから、おまえは許都で存分に闘うがいい」
牢の向こう側からそう告げた。
「かたじけない」
わしは秦朗に頭を垂れた。
-◇-
(関興の語る裏事情)
だが[外交]の使者としてやって来た荀攸は、曹丕と程昱の恐ろしいたくらみを口にした。
《自ら手に掛けず曹公を司隷軍に売り渡して、曹公に恨み骨髄の漢の献帝や馬超に暗殺させる気だ》
と。なんてこった、曹操の捨て身の作戦も空振りじゃないか!
「うーむ。曹公をこれ以上辱めるのは忍びないな。興、どう思う?」
曹操が狂人になったと勘違いしたままの関羽のおっさんがオレに訊ねた。異父弟の曹袞がオレの上着の裾を引っ張り、
「お願いします!今まで幾度もピンチを切り抜けて来た兄上なら、父上が殺されることなく曹麗皇后をも救出する作戦だって立てられるでしょう?」
と目に涙を浮かべて懇願する。
はあああーっ面倒くさ……オレにお助けマンになれってか?
仕方ない、かわいい弟の曹袞の期待に応えるためだ。オレも曹麗奪回作戦に介入してやるよ!曹操を援護すりゃいいんだろ?まずは似合わねえ仁者のフリして煙に巻くとするか。
「ここは淮南の荒地の割譲ではなく、曹操と曹麗皇后との“人質交換”を提案しましょう。曹麗皇后が曹魏と漢の争いに巻き込まれないように、中立の荊州へ“疎開”いただくのです!」
「「???」」
意図が分からず首を傾げる関羽と荀攸に、曹操が曹麗を助けたがっていることを告げてオレは二人を強引に説き伏せ、作戦シナリオの変更に協力してもらうのだった。
-◇-
(そして再び曹操の視点に戻り…)
「――とまあ、こうして暗殺されそうになってた曹操を、敵の思惑を逆手にとって馬超に扮した龐徳が取り返してやったってわけさ♪」
得意げに秦朗が告げる。麗はようやく事の真相が分かり、
「ありがとう、秦朗。あなたのことを誤解しちゃって、ごめんなさい」
と感謝の意を述べた。
「とんでもない!オレは麗様との約束を果たしただけ。礼なら荀攸と龐徳と曹袞に言って下さい。
おーい曹操、敵を欺くために麗様の前でも迫真の演技をする必要があったとはいえ、いつまで狂人を装ってるんだよ?!
というかおまえ、これで晴れて無罪放免なわけじゃないからな!」
「やれやれ。手厳しいな、秦朗」
わしは苦笑する。少しくらい手加減してくれてもよかろうに。
「麗、苦労を掛けてすまなかった」
「いいえ、苦労など。私はお父さまとこうして再会できただけで十分です。
それで秦朗、お父さまをどうする気?まさか、ここぞとばかり痛ぶるつもりじゃないでしょうね?」
と麗が凄む。タジタジの秦朗は、
「えーコホン。曹操を無罪放免にするつもりなど毛頭ありませんが、かと言って、曹魏と正式に“人質交換”した手前、牢に幽閉するなどしておまえの身柄を荊州で匿うわけには行かない」
「わしにどうしろと?」
訊ねたわしに、秦朗はイタズラっぽい笑顔で、
「決まってるじゃないか!
ツルッパゲの浮屠の糞坊主か世捨て人になって、死ぬまで山奥に籠もってろ!
あっそうだ、終南山で荀彧が仙道修行してるそうだぞ。おまえも弟子入りしたらどうだ?」
「なっ?!」
わしを見逃がすというのか?
逃げた先でわしが野心をもたげて再起を図ったらどうするつもりだ?
やはり秦朗は馬鹿なお人好し……いや、この“甘さ”こそが秦朗なのだ。裏切るわけにはいかん。
ああ、こやつを捨て子にしなければ、わしの人生は違った物になっていたかもしれんな。
「……遠慮しておこう。今さら荀彧に会わせる顔がない」
私の予言どおりになりましたね、としたり顔の荀彧に嫌味を言われるのは正直勘弁して欲しい。
「わしの身代わりとなって死んだ曹昂・曹沖・夏侯淵の菩提を弔ってやらねばならん。わしは浮屠の教えに帰依しようと思う。
それに、あんな者でも我が子、四百年続いた漢を滅ぼしてしまった丕が、これから待ち受ける地獄から少しでも逃れられるよう、影ながら最期まで祈ってやりたいのじゃ。
秦朗、麗を頼むぞ」
「ああ、任せとけ☆」
そうして史実よりも早く建安二十年(215)に息を引き取るまで、曹操は荊州の山奥の寺でひっそりと仏道修行を続けたという。
曹操が三国志の舞台から退場しました。こんな終わり方でいいのか?と反発もあるかもしれませんが、当初から自分のイメージしていた曹操の最期を描くことができたと満足しています。
ストックが尽きました。次回投稿まで少々お時間をいただきます。
「三国志の関興に転生してしまった」が面白いと思われましたら、
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