244.荀攸、鬼謀を披露する
夏八月。
戦火にあった漢中の慰撫と鮮卑慕容部の移住の手配を終えて、オレはようやく荊州へ戻って来た。
関羽のおっさんは花関索の襲撃を心配して、過保護にもオレを江夏から手放そうとしない。唐県には留守中に溜まった仕事が山積みになっているというのに。やれやれ、また鄧艾の奴に叱られそうだな。
そんな折、新たに曹魏の都となった鄴から、荊州へ使者に立てられた荀攸が江夏へやって来た。関羽のおっさんは再会を喜んで、
「荀攸殿、久しぶりだのう。曹魏の待遇は良くないと聞いておる。貴殿さえその気になれば、いつでも荊州で歓迎するぞ」
「ははは、ありがたきお言葉。まずは今度の使者の役目を全うせねばなりません。早速ですが、曹魏の曹丕陛下は貴公の荊州と不可侵の約定を交わしたいとの思し召しです」
「ふむ。条件は?」
「曹魏からは淮南の荒地の割譲。代わりに荊州は曹公の身柄を差し出すように、とのこと」
関羽のおっさんは鼻を鳴らして、
「フン、虫が良すぎるな。どうせこちらが拒否するのを見越して強気な交渉を持ち掛けた、か?
いや待て。もし断れば、我ら荊州は曹丕の親思いの仁孝を踏みにじった極悪人。そんな悪評を立てられたくなければさっさと応じろ、というわけか……」
荀攸も頷き、
「ええ、そのとおりだと思います。しかし、曹公を曹魏に引渡せば、曹丕陛下は間違いなく曹公を手に掛けるでしょう」
「実の父親をか?」
「曹魏には、カリスマの曹公を慕う者もまだまだ多い。父親の残した遺産で皇帝になることができた曹丕陛下にとって、曹公はあまりにも危険な存在なのです。
仮に自ら手に掛けなくとも、曹公に恨み骨髄の漢の献帝や馬超が所属する司馬懿軍に暗殺させる、という方法も考えられます」
「うーむ。荊州乗っ取りが失敗に終わり天下一統の野望が潰えた今、気力をなくしてすっかり老いさらばえた曹公を、これ以上辱めるのは忍びないな。興、どう思う?」
関羽のおっさんは、胸糞悪い話に黙ったままのオレに訊ねた。
「オレも父上の考えに賛成です。かと言って、曹操のせいで荊州軍が独り罰を被るのは納得できません。ここは、淮南の荒地の割譲ではなく曹麗皇后との“人質交換”を提案しましょう」
「「はぁ?」」
ずいぶん突飛だな。オレもそう思う。突拍子もなさすぎて、関羽のおっさんも荀攸も話について行けず、
「どういう事だ?」
「荊州軍が仁孝を尊重する立場から曹操の身柄引渡しを拒否できないのと同じように、曹丕も曹麗皇后の身柄引渡しを拒否できぬはずです。曹麗皇后が曹魏と漢の争いに巻き込まれないように中立の荊州へ“疎開”いただく我らの提案を拒絶することは、仁の道に反するからです」
「なる…いやいや、それはどうだろうか?」
(曹丕も程昱もそんな情にほだされる、お人好しな玉じゃないぞ)
と荀攸は否定する。
「漢の献帝がひとり我が身大切さに洛陽へ逃げたせいで、曹麗皇后は許昌で置き去りにされました。曹魏と漢は仇敵の間柄。いくら兄妹とはいえ、曹丕義兄上がいつ曹麗皇后に刃を向けるとも知れません。一方、漢の献帝が恨み骨髄の曹操の娘である曹麗皇后を憎み蔑ろにしていたことは、周知の事実。漢のもとへ返されても、曹麗皇后がお幸せになるはずがありません。
となれば、曹麗皇后におかれましては、曹魏と漢のいずれにも中立の立場を貫く荊州へ“疎開”いただくのが最善の選択」
(義姉思いな秦朗の優しさは本物だ。だが甘いな。いや、この“甘さ”こそが、関羽をはじめ戦乱の世に倦んだ多くの武将を虜にする秦朗の魅力なのかもしれん)
と荀攸は反芻する。
「だとしても、閣下の旧臣として私は曹公を曹魏に引渡すのは承知しかねる」
「もちろんです。オレは曹麗皇后と曹操を生きて再会させると約束した、あの時の誓いを守らなければなりませんし、ね。オレにせこい計略がありますのでお任せを☆」
-◇-
荊州から鄴へ帰還した荀攸は曹丕に報告し、
「結論から申しますと、関羽と秦朗は相互不可侵の盟約に乗り気でございました。逆賊の曹操の引渡しについても同意だそうです。が、対価として淮南の荒地ではなく、魏の五京のひとつ・許昌の割譲を要求して来ました」
「なんだと?!馬鹿なっ!」
「ええ、殿下のお怒りはごもっともだと思います。それゆえ勝手ながら私は彼らの要求を一蹴しました。すると彼らは人質の交換を提案して来たのです」
「人質?」
「はい。今夏の洪水で荒れ果てた上に河賊がはびこる難治の淮南の荒地など、関羽も欲しくないそうです。多額の費用を要する淮南の復興を関羽に押しつけようとした、軍師殿の浅知恵がバレたのでしょうね」
「うぬぬ…関羽めっ!一筋縄ではいかぬ奴」
「そこで人質の交換だと。大罪人として捕らえた曹操を曹魏の求めに応じて引渡すのだから、それに見合った代わりの人質を差し出すべきだと譲りませぬ。例えば殿下の母親である卞大后とか…」
「ならん!そんな要求、呑めるわけがなかろう!」
「では殿下の寵姫とか…董桃と申しましたか、かの者はいずこに?」
「知らん!董桃はずっと行方を晦ませておる。代わりの人質には立てられぬ」
「困りましたね。次に近しいお身内と言えば、同母弟の曹彰・曹植あるいは殿下の妹にあたる麗皇后とか…」
「曹彰や曹植は朕を裏切り、反曹魏連合に名を連ねた敵ぞ!」
と癇癪を起こした曹丕は、荀攸の続くセリフにはたと思い当たり、
「良き計略を思いついた。麗は廃帝となった劉協(=漢献帝)に嫁いだ后。それが荊州に渡ったと知れば、劉協は面子に賭けて麗を取り戻そうと荊州へ圧力をかけるだろう。
なれど秦朗はもともと劉協とは不仲、求めに応じるわけがない。劉協を擁する司馬懿の司隷と秦朗の荊州は開戦、我が曹魏にとっても有利な戦況が生じる展開となるのは必然……程昱、どうであろう?」
「さすが陛下、神のごとき叡知にございます」
軍師の程昱は賛同し、曹丕に目配せして「万事、手筈を整えまする」とほくそ笑む。
「うむ。決まりじゃ!荀攸、もう一度荊州へ使いせよ。不可侵の約定を結ぶ条件として、逆賊の曹操と曹麗の人質交換を行う儀、承知したと伝えるがよい!」
「畏まりました」
鄴の宮殿を出た荀攸は、
(やれやれ。おまえの思惑どおり、結果的に曹公と曹麗皇后の“人質交換”で曹丕を納得させたぞ。
だいたい、仁義の道など屁とも思わぬ程昱と曹丕陛下に、「曹麗皇后が曹魏と漢の争いに巻き込まれないように中立の荊州へ“疎開”いただく」などという優しさは通じないのだ。悲しいことに、な。
ゆえにおまえの策に少しばかり、私がアレンジを加えさせてもらった。
何はともあれ、後は上手くやってくれよ。秦朗)
と独りごちた。
鬼謀の主は程昱ではなくて荀攸でした。
冬休み期間中は、じゃない孔明さんやとある策士さんや劉備の弟さんやビフォーさんの小説を楽しく読んで過ごしました。自分とは異なる解釈になるほどと頷かされ、とても面白かったです。ビフォーさんとはいずれ仇敵の間柄になりそうだ(笑)。
オレにはとある策士さんのように、胸糞な後漢政界の遊泳術とか、裏の裏を読んで非情な策略を実行に移すとかは到底できんな。
というわけで、仁の道とハッピーエンドを信じている“甘ちゃん”の関興の欠陥を、鬼謀の荀攸が上手くカバーしました、の巻でした。




