224.矢衾
砦を守る将校・段翼の精を搾り取って気絶させた王桃と王悦は、ピィッと低い口笛で蘆塘の砦に賊を招き寄せた。賊は逃げ散った羌族の残党。
実は、王桃と王悦は、廉康が率いる羌族千人を従え涼州一帯を荒らしまわる盗賊団の頭目であった。思いもよらず、曹魏の将校・段翼に手下の廉康を殺され、根城にまで攻め込まれた王桃と王悦は、とっさに羌族に誘拐された哀れな姉妹を演じることにした。
戦には強いが女性の扱いに慣れていないウブな段翼は、妖艶な美人姉妹(実は姉弟だが)の涙にコロッと騙された。
そして今まで貯めこんだ略奪品の数々を曹魏に取り返された王桃と王悦は、復讐を兼ねて今宵、逆に蘆塘の砦に夜襲を仕掛け、憎き段翼と配下の兵を皆殺しにし、再びお宝をせしめようと邪悪なたくらみを抱いたのである。
「もう、王悦ったら。盗賊団を壊滅しやがった段翼なんて、雑魚どもと一緒にさっさとあたし達の手で始末しちゃえばいいじゃないの?」
「いやだよ、姉さま。ボク好みのこんな爽やかイケメン、辺境ではめったに手に入らないんだよ!いとしい段翼クンはもっともっと愛してあげて、メス堕ちした屈辱をたっぷりと味わわせてから死んでもらわなきゃ、ボクの気が済まないよ!」
そう言って王悦が砦の門を内側から開いた、その時。
賊の羌族を取り囲むように、さらに外側で松明の火が上がる。
「そこまでだ!敵は逃げ散った羌族の弱兵。射て!」
号令とともに矢が放たれ、砦の門前に集まっていた羌族は次々と矢の餌食になって、一人残らず斃される。あの時のモブ野郎・関興(←つまりオレね)が率いる鮮卑慕容部の男たちの手により、今度こそ美人姉弟の盗賊団は完膚なきまでに叩き潰された。
くそっ。こうなっては、泣き落としで再び被害者を装わなければ。
「あ、ありがとう、ございました。おかげで助かりま……」
王桃と王悦は、偽りの涙を流しながら進み出て関興に感謝の意を述べる。
「よせ。おまえ達が長安の大商人・鮑凱とはまったく関係のない、手配中の盗賊団の頭目だってことは調べがついている。しかも情状酌量の余地もない、人を殺める邪悪な急ぎ働きが専門の盗賊だってこともな」
「あ…あたし達には、な、何のことだかさっぱり…」
「ふん、白々しい。ならば、こんな夜更けにおまえはどうして砦の門を開けた?そしておまえの口笛に応じるように、涼州の領民を苦しめて来た羌族の賊軍が砦に集ったのは何故だ?これだけでも、おまえ達二人が敵対する羌族に通じていることは明白」
「ま、待って。それは誤解で……」
「成敗!」
関興の掛け声とともに、慕容部の男たちによって何本もの矢を射かけられ矢衾となった王桃と王悦は、地獄の苦しみにのたうち回りながら絶命した。
-◇-
兵たちの死体が転がる砦の中に入ったオレは、縄で縛られ素っ裸で吊るされた段翼を見つけて助け出し、着ていたシャツを脱いでかぶせてやった。
「大丈夫か?段翼殿」
「あ…関興君。配下の兵たちは?」
オレは黙って首を振った。
「くっ…すまない。僕のせいだ…」
「心配するな。仇は取ってやった」
「……せっかく君が、あいつらは怪しいと忠告してくれたのにね。
ううっ。僕、悔しいよ。ようやく段家再興の道が開けたと思ったのに、こんな形で水泡に帰すなんて。部下を殺され自分の身もあんな奴らに穢されて、男の矜持を失った僕は、武人として生きて行くのは許されないだろう。もう自ら命を絶つか、宦官になるしか……」
と悔し涙を流す段翼。そしてオレにすがりつき、
「ねぇ、関興君。君の手で僕を殺してくれないか?そうじゃないと、あいつらに無残に殺された兵たちに顔向けできない」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ!なんでそう簡単に死にたがるんだ?それで償いになるわけないだろーが!」
オレは段翼の頬をグーで殴って、
「あんたの浅慮が今回の悲劇を招いたのは間違いない。けれど、あんたと部下の兵たちが羌族を殲滅して、曹魏の領民たちに平穏な暮らしをもたらしたのも事実なんだ。彼らの誇りと武勲を後世まで語り継がなくていいのか?生き残ったあんたには、その責務があるんじゃないのか?!」
と叱咤した。嗚咽を漏らし、オレの胸で泣き崩れる段翼。
と、そこに。
「あー飲みすぎちまったよ」
「あの店のかわい娘ちゃん、最高だったな~」
「また手柄を立てて通おうぜ!…っと、将校殿だ!お~い」
夜道を機嫌よく千鳥足で帰って来る男たち。
「ひぃっ。ゆ、幽霊?!まさか僕を恨んで呪い殺すために、化けて出て…」
いや、よく見ろ。足が生えてるだろうが。正真正銘、生きた人間だ。
「おまえ達、生きて……どうして?」
「どうしてって…将校殿が羌族をやっつけた褒美にって、小遣い銭をくれたじゃないですかぁ」
「それに将校殿が鮮卑族との宴会に出て行った後、見張りを交代してやるからおまえら全員街へ遊びに行って来いって、替わりの者を寄越してくれたでしょ?」
「だからオイラ達は、久しぶりに街に出てどんちゃん騒ぎしたわけで…そりゃあ、こんな時間まで羽目を外して遊んでたのは悪りぃと思いますけどぉ」
と言い訳する蘆塘砦の兵士たち。段翼は首を傾げながら、
「何の話?僕は見張りの交代なんて頼んだ覚えはないけど…」
???
じゃあ、砦に転がる兵の死体はいったい誰なんだ?
「見たことない奴らですねぇ…」
「あっ、こいつら交替に来た見張り要員じゃん!」
どうやら蘆塘の砦には知らないうちに、王桃・王悦が率いる盗賊団のほかに、羌族から取り返した略奪品を狙って別の盗賊団が忍び込んでいたらしい。兵士に化けた盗賊とは知らず、段翼に逆恨みした王桃・王悦の手によって殺害されたのだろう。運が悪いというか自業自得というか…南無。
「ハ…ハハッ、よかった。本当によかった…」
段翼は涙を流して喜ぶ。街から戻って来た本物の兵士たちは涙の理由が分からず、
「オイラ達は、「はは~ん。将校殿は砦に女を呼んでお楽しみ♡する気だな!」と察してわざわざ席を外してやったのに……」
「女じゃなくて、まさかこんな冴えない男とのお楽しみ♡のためだったとは…」
とドン引きする。
「えっ?」
オレと段翼は顔を見合わせた。
「だって、そんな恰好で抱き合うなんて…」
よく考えたら、王桃・王悦に弄ばれた段翼は素っ裸のままだし、オレはそんな哀れな段翼を覆い隠すためにシャツを脱いで上半身裸になってるし。
オレは慌てて、
「ぎゃー!!ち…違ッ!」
と否定し、裸で抱きつく段翼を引き離そうとするも、段翼は顔を赤らめて、
「そうさ!僕はもう関興君と別れたくない。このまま一緒に荊州へついて行こうと思う」
とか訳の分からんことを言い出した!
「ちょっ?!だ、段翼殿。そういう冗談はシャレにならないんだけど?」
「冗談なんかじゃないよ。僕は本気さ」
「「うんうん。今まで蘆塘の砦を守ってくれたイケメン将校殿は、モブ顔の大将と末永くお幸せに☆」」
と祝福(?)して出立を後押しする兵ども。いや、誤解だから!
「ど、どういうつもりだよ?!お隣りの漢中には、オレを花郎にしようと日々つけ狙ってる甘寧子飼いの錦帆賊たちが駐屯しているんだぞ。もしもあいつらの耳に入ったら、嫉妬に狂って段翼殿の身がやばい」
「それに大将にお熱のお嬢も、段翼の旦那に黙っちゃいないと思いますぜ☆」
横から鼻にティッシュを詰めた蝉弗が口を挟んだ。
「あっ、蝉弗。おまえ、胡蝶を守ってちゃんと留守番してろって言ったろ?」
「何言ってるんっすか、あのお嬢がおとなしく留守番なんかするわけないでしょ?!今宵の討伐軍に紛れて参戦してるに決まってるじゃありませんか!」
うへぇ、やっぱりか…とうんざり顔のオレ。
「それにアッシは大将の男気にホレた一の子分。二の子分のお嬢とともに、大将の傍を片時だって離れるわけには参りません☆」
「いや、おまえはただの斥候だぞ。斥候がオレの傍を離れないなんて、認められるわけが…」
「それはそれっす。
ねぇ、段翼の旦那。もし旦那が大将の傍を離れたくないって言うなら、三の子分の旦那はアッシの舎弟。アッシの指南をよく聞いて、ホレた大将に好いてもらえるよう、心からお仕えするんですぜ♪」
「はい!蝉弗兄貴、どうぞよろしくお願いします」
段翼は嬉しそうに頭を下げる。
おーい!胡蝶はともかく、蝉弗も段翼もいつかオレを振り向かせようだなんて公言されても、そんな邪悪な願いを聞き届けてやるもんか!
…って、何かおかしくないか?オレはただのモブだぜ。なんでオレをめぐって♂♀入り乱れてのハーレム展開が始まろうとしてるんだ?そんなの絶対お断りだぞ!
だってオレには、心に決めた愛しい女がいるんだ――誰とは口にできないがなっ!
まあね、オレ的には、慕容部の血を引く胡蝶と、(鮮卑の段部ではないが)段姓の段翼がくっつけば、慕容廆が誕生して史実との狂いがいささか修正できるかもしれないと期待してるんだけど……。
全然収拾がつかん。もうどーにでもなーれ☆
蘆塘の砦が舞台で、登場人物には盗賊の王桃・王悦(あっさり殺されちゃったけど)、それにお金持ちの鮑凱や、自分より強い男に嫁ぐと心に決めた胡蝶(胡氏?)が出て来ました。そしてまさかのハーレム展開と来れば……女神様の関索召喚のせい、なのか?!
煽っておきながら、次回は別の話に変わります。甘寧と鄧艾が久々の登場です。




