222.冗談だよな?
漢中へ戻る途中、鮮卑族と曹魏の兵を指揮して羌族の兵を殲滅することに成功した関興。
六月二日。
敵対する羌族の首魁・廉康を死に追いやったオレは、伏兵として谷上に潜んでいた曹魏の若い将校へお礼を言いに行った。
「お見事でした。おかげで助かりました」
「いやぁ、貴君のお手柄ですよ!最初、得体の知れない塞外民族を連れた貴君から、罠を張るので協力して欲しいと相談された時は半信半疑でしたけど、まさかこうも上手く嵌まるとは。今後、蘆塘の砦は羌族の襲来に怯える必要がなくなりました」
「ま、後漢末の段熲将軍のような鮮やかな勝利ではありませんけどね」
「! 僕の祖父をご存じで?!」
段熲。字は紀明、涼州は武威郡姑臧県の武将。
若い頃から弓馬に長じ、遊侠に憧れて財貨を軽んじた。桓帝の御世、中郎将に任じられて、三十年にわたり猛威を振るい続けた羌族の侵犯を撃退することに貢献。その後十年もの間百八十戦して勝利を重ね、ついに羌族の主力を壊滅させて国境地帯を安定化させることに成功したのだ。
ところが段熲は軍功を讃えられて中央に栄転し万戸侯となると、濁流の宦官と結託。いわゆる党錮の禁では清流派知識人を排して汚職に手を染めた。しかし盛者必衰の理、司隷校尉の陽球に弾劾されて、宦官の親玉・王甫とともに段熲は誅され、彼の妻子は辺境に流罪となったという。良く言えば清濁併せ呑む名将、毀誉褒貶の激しい人物であった。
「祖父の罪に連座した時、僕の父はまだ幼かったため命は取られず辺境に送られました。けれど万戸侯の爵位は廃され、罪人の子として辛酸を嘗め続けた。孫である僕も、こうして辺境の地でくすぶったまま。だから僕は、なんとしても手柄を立てて祖父の名誉を挽回し、武家の名門・段家を再興したい」
と、蘆塘砦を守る将校・段翼は決意を語った。
「なるほど。では、こたびの羌族・廉康一派を滅ぼしたお手柄は、段翼殿お一人に収めて下さい」
「えっ?!でも僕が手柄を独り占めするのは……」
「お気になさらずに。オレは曹魏の中枢とは距離を置く立場。あまり目立つ真似はしたくないというのが本音です。それに今回は我ら一行の身に降りかかった災難を払っただけで、正直手柄なんかどうでもいい」
段翼は嬉しそうに、
「そういうことなら喜んで。ありがとう、砦の守兵たちへの褒美もはずめます」
と言った。将来は部下思いの良い指揮官になりそうな、気持ちのいい若者だ。オレたちは固く握手を交わし、これから廉康(死んだ羌族の首魁の名)の根城を壊滅しに行くという段翼の出陣を見送った。
◇◆◇◆◇◆
(胡蝶の視点)
私は羌族の首魁・廉康に捕まり、慰み者にされそうだったところを、父上はじめ蛾洵ら十騎に助けられた。
父上に見捨てられたと思っていた私は、それが誤解であったことにホッとすると同時に、改めて父親の偉大さを思い知った。
それに引きかえ、漢族のアイツは。
関興は砦を守る曹魏の将に媚びを売り、碌に馬にも乗れず落馬するような軟弱者のくせに、何故か羌族の前に颯爽と(?)一人で現れやがった。
正直言うと、関興が現れた時、「白馬に乗った王子様がやって来た!」と胸がときめいたのは内緒だ。でも、それはただの勘違いだった。救出に来てくれたのかとちょっとは見直したのに、私を東方より招かれた聖女様だとフザけたり、慕容部伝統の舞踊を敵前で強要したり、敵地から連れ出すどころか一緒に牢に閉じ込められたり……父上が果敢に夜襲を仕掛けて私を奪回してくれたから難を逃れたものの、いったい何がしたかったのだ、アイツは?!
ところが。
父上は共に戦った決死隊の十騎を従え、野営に戻って来た関興をわざわざ出迎えて、
「娘を、胡蝶を救ってくれて感謝する」
と頭を下げた。
なっ…?!私を救い出したのは父上や慕容部の決死隊であって、アイツはただ状況をひっ掻き回しただけじゃないか!
「よして下さいよ!勇敢に戦い敵を殲滅したのは、皆さんの方じゃないですか!」
「あれは大将の仕掛けた罠に嵌まって敵が浮足立っておったから……とにかく、大将のおかげで羌族の襲撃を退け、これより先の道中の安全も確保された」
すると蛾洵がつつと前に進み出た。そうだ蛾洵、アイツにガツンと言ってやれ!
「謙遜しなさんな。大将の弓の腕前は大したものだぞ!
わしはもともと、曹魏の砦へいちいちご機嫌伺いに出向く大将を腰抜けだと批判していたが、もしやこうなる事態を見越して保険を掛けておったのだとは……」
と恐れ入る蛾洵。
どうしたんだ?おまえ達だって関興のことが気に入らないんじゃないのか?
関興はポリポリと頭を掻いて、
「たまたまですよ。漢族は夷狄――失礼、塞外民族を恐れる。慕容部の一行は女・子供合わせて五百人を数えます。三,四十人で砦を守る曹魏の兵たちにとっては十分脅威なのです。
だから、曹魏の将軍号を持つオレが使者となって、慕容部が曹魏に敵対するつもりがないことを知らしめるのが本来の目的でした。
けれどもお嬢様が羌族に攫われた。
ここ蘆塘の砦を守る段翼殿に、我々が囮となって羌族をおびき寄せますから、あなた方は崖上で伏兵となって敵を仕留めて下さい。羌族を撃ち破った手柄はあなた方に差し上げます、と誘ったら喜んで協力してくれたのです。うまく行って良かったですね」
そう明かすと、父上も蛾洵ら十騎も感嘆の声を上げた。
それまで憮然としてやりとりを聞いていた私は、もはや我慢ならず、
「おい!きさまが本当に強いのなら、何故私と一騎討ちの勝負を断った?」
と詰め寄った。関興は事もなげに、
「言ったでしょ、オレはか弱い女性を痛めつける趣味はないって」
と抜かしやがる。父上が慌てて、
「よせ、胡蝶。おまえは、パルティアンショットで敵を誘い出した大将の騎射の腕前を見なかったのか?それに自ら囮になって賊の巣窟に立ち向かう勇敢な大将に、おまえなんかが敵うはずがない」
「あ、あれは奴の単なる戯れ言では……待て。まさか、私がきさまに向かって暗器の袖箭や矢を放ったのも気づいていたのか?」
関興は少し得意そうに、
「まあね。弓を引き絞る音、弦をはじく音、矢羽根が空気を切る音。それに殺気を感じ取れば、軌道を読むのはたやすい。暗器も同じさ」
と言って、幼い頃張遼から聞いたという教えを伝授してくれた。
「じ、じゃあ。私が斥候になるのを反対した理由は?」
「我ら一行はなるべく戦いを避け、全員が安全に荊州へ到達するのが究極の目標。なので斥候は、行く手に敵がいるかいないかを本隊に知らせるのが重要な役目です。
お嬢様のように、なまじ武芸に自信のある者は、敵と遭遇した場合、己の武勇を過信してむやみに闘おうとしたがる。仮に斥候が闘って死ねば、我々は敵の動向がつかめなくなって困った事態に陥るんです。
何も備えが出来ていない状態で、羌族の兵千人に襲われたらひとたまりもない。壊滅するのは我々の方だったかもしれません。
一方、臆病な者は敵に極力見つからぬよう慎重に行動し、敵を発見すれば一目散に逃げだし、必ずや我が方に戻って知らせてくれる。お嬢様が羌族に捕らわれたことを知らせてくれたのも、実は斥候の蝉弗なんですよ。だから我々は、ただちに救出するための作戦を練って、あらかじめ曹魏の砦兵に協力を要請することができた。
そんなわけで、斥候には、少しくらい臆病で逃げ足の速い者が向いてるんです」
関興の語ったことはいちいち理に適っている。なんとも耳が痛い。
「ぐぬぬ。では、きさまが遠回りの祁山のルートを選択したのは?」
「慕容部の一族が荊州に住居を構えることになった以上、あなた方はみな荊州の領民。領民の生命を守ることは領主の責務。女・子供を含めて一人の脱落者も出さないためには、時間がかかろうとも比較的安全な祁山のルートが最良と判断したまで。
結果的に、お嬢様が羌族に攫われ危険な目に遭わせてしまったことは、オレの読みが甘かったと深く反省します」
と詫びた。私は慌てて、
「いや、あれは私がきさまを誤解し、一人で勝手に飛び出してしまったからで……私の方こそすまぬ。あ、あのさ、ひとりで敵の巣窟に乗り込んで来たのはもしかして…」
「いくら勝気なお嬢様でも、ひとり牢屋に残されたら心細いだろうなと思ったもので……余計なお世話でしたか?男として、領主の責務として、オレは当然のことをしたつもりだったんですが」
「ははは、すでに領主きどりか。まあいい、きさまに助けてもらったことには素直に礼を言う」
私は謝意を告げた。すると関興は、
「あっ、申し遅れました。オレは荊州刺史・関羽の次男、関興と言います」
それを聞いた一同の者は、みな唖然とした。
「!! じ、冗談だよな?なっ?」
関興はにっこりと笑顔のまま、返事をかえさなかった。
羌族の首魁に固有の名前・廉康が付いたり、砦にも蘆塘という地名が付いたり、女神様が関索を召喚してから、なんか変化が生じたみたい。




