219.完勝
牢に監禁された胡蝶は、祭酒(長老)に化けたオレと二人きりになると、
「きさま、いったいどういうことだ?!」
と詰め寄った。
「何の話です?ああ、この格好ですか。
オレは五斗米道の教祖・張魯殿とは昵懇の間柄。急いで天水郡の県城に駆け込み、教団から祭酒の衣装を借りたんですよ。けっこう似合ってるでしょ?」
「そんなことを聞いておるのではない!私を助けに来たのではないのか?!きさままで一緒に牢に入っては、ここから逃げられぬではないか!」
「しーっ。敵を欺くには、まず相手を油断させることが大事。あっ、ほら聖女様。踊りをやめると羌族の者たちに不審に思われますよ☆」
オレはへらへらと笑いながら、胡蝶に舞の続きを催促してはぐらかす。
「くっ、聖女はよせ。いや、そんなことより…あの黒き闇の正体はいったい何なのだ?」
「あれぇ?聖女様は自分が起こした奇跡を信じないのですか?」
「……きさま、あとで絶対殺す!」
と胡蝶が凄んだので、オレは慌てて両手を挙げ、
「おお怖っ。種明かしをすると、あれは日蝕ですよ。きょうは月の朔日。数年に一度生じる、ただの自然現象です」
そう。日蝕は、太陽の光が地球に達する前に新月が太陽の前を横ぎるため、月の影によって地球に届く太陽の光が隠される現象だ。だから日蝕は、太陰暦の世界では必ず朔日に起こる。今日はちょうど六月一日なのだ。
「その日蝕が今日この日この場所で起こると、何故きさまが知っておる?」
「それは秘密。ズル賢い漢族の知恵ってヤツです。
ああそうだ、さっきの質問に答えましょう。莫護跋殿と示し合わせて今宵、慕容部の決死隊が夜襲を仕掛けます。騒ぎに紛れてここを脱出しますので、お嬢様もそのおつもりで」
「父上が?きさまを選んで私を追い出したのに、何故?」
「うっわ、ニブいなぁ~。分からないければ、あとで直接莫護跋殿にお尋ねになればよろしいのでは、聖・女・様?」
オレはここぞとばかり、胡蝶を揶揄してやった。
-◇-
夜になって、莫護跋は手筈どおり決死隊十人とともに羌族の部落を襲った。十人全員に十本の篝火を持たせ、大軍で囲んでいるかのように見せかけた。そうしてありったけの銅鑼や太鼓を打ち鳴らし、
「うおおーっ!」
と雄叫びを上げる。突然の敵の来襲に、寝入り端を叩き起こされた羌族は算を乱して逃げ出す。莫護跋らは柵を乗り越え敵陣に乱入し、牢に囚われの身となっていたオレと胡蝶を助け出した。
「すまぬ!大将には危険な目に遭わせた上に、救出が遅くなった!」
「何をおっしゃいます?約束どおり、莫護跋殿には救出に来ていただき感謝しています。それに、オレの配慮が足りずにお嬢様を危険な目に遭わせた以上、オレが責任を取るのは当たり前じゃないですか!さあ、ひとまずこの死地から脱出しましょう!」
オレは慕容部の決死隊十人と胡蝶とともに、羌族から奪った馬に乗って野営地へ駆け出した。
やがて羌族は落ち着きを取り戻し、逃げ出した者たちは徐々に部落に結集した。
夜が白み、莫護跋らの奇襲が少人数で、五斗米道の祭酒と(奴が聖女が称した)昼間捕らえた女が逃げ出したことを知ると、羌族の首魁は激怒し、
「あの贋者のクソ祭酒めっ!よくも騙しやがったな!わしは最初から怪しいと思っておったのじゃ!
絶対に許さん!ただちに奴らを追いかけてなぶり殺せ!女は捕らえて、おまえらで替る替る犯してやれ!」
と命じた。羌族はすぐさま千騎で追撃を開始する。
オレたち十二騎は、地理が分からず慣れぬ道を行くため、必然的に馬の速度は落ちる。しかも、体力が回復していない聖女(笑)の胡蝶を連れているのだ。
「すまない。不甲斐ない私のせいで、このままでは敵に追いつかれる。こっちは十二騎、そうなっては多勢に無勢だ」
胡蝶が謝る。確かにここで敵に追いつかれるのはまずい。
「やむを得ませんね。オレと蛾洵殿が一旦ここで敵を食い止め、時間稼ぎします。すぐに追いつきますので、莫護跋殿はお嬢様を連れて先をお急ぎ下さい」
「だが……」
莫護跋は逡巡する。
「ご心配なく。オレはこう見えても【弩弓術】のスキル持ち、騎射の腕はAランクです。羌族の雑魚兵には負けません」
「分かった、ご武運を祈る。蛾洵、大将を頼むぞ」
「はっ。この身に代えましても」
以前はオレを敵視していた蛾洵がそう答える。少しは認めてくれたということだろう。
「待て、こらーっ!」
迫り来る羌族の追っ手に向かって、オレは馬を駆けながら弓を構える。五十歩の距離から二射三射、放たれた矢は正確に敵兵を射抜き、馬から撃ち落とす。そして後退しながら再び弓を構え、追いすがる敵を冷静に射抜いていく。
「あ…あんた、鐙がなくて騎射ができるのかよ?!しかも命中するなんて…」
「あれだけ皆の前で大見得を切った以上、ちょっとはカッコいい活躍を見せないと、ね」
それがどれほど高度な技か、騎馬民族である蛾洵は痛いほど分かった。
「へっ。なら、わしも本気を出すとするか」
次々と射倒され地面に投げ出された馬と兵を避けようと、後方からやって来る追っ手がスピードを緩めて左右に分かれたところを、すかさず蛾洵が各個に矛を振るって血祭りに上げる。
そうして相手が怯んだところで二人はスピードを上げて退却。ためらう羌族の追っ手は、首魁の逆鱗に触れて追撃を続行。再び、オレと蛾洵のコンビプレーの餌食に…を繰り返す。
そう。多勢に無勢で押されているように見せかけ、後退しながら追っ手を騎射でちまちまと倒し、敵の怒りを煽って伏兵の待つ場所へ誘導する偽装退却の作戦だ。
同じ塞外民族でも、匈奴や鮮卑などの北方系が得意とする戦法である。対して羌族や氐族は、草木の茂る山野に少人数で隠れながら、ゲリラ的に敵を襲う戦法を好む。鮮卑族とは初顔合わせの羌族なら、勝算は高い。
オレと蛾洵は先行していた莫護跋や胡蝶ら十騎と合流すると、やがて狭い谷に入った。追撃して来た数百の羌族の兵は、頭に血が上っているのか地形には目もくれず、狙いどおりに縦一列に並んで追って来る。
「それっ、今だ!」
谷の上部から巨大な岩が何体も落ちて来た。
もちろん偶然なんかではない。砦を守る曹魏の兵が伏兵となって、谷に潜んでいたのだ。
(うわあぁぁぁーっ!)
(岩が…や、やばいぞっ!)
隊列のちょうど中間が落石で分断。敵は圧死する者多数。
その惨状を目にして恐慌に陥った羌族の部隊に、落石の仕事を終えた曹魏の伏兵たちが、武器を弓に持ち替えて一斉に矢を放つ。バタバタと斃れる敵兵。
退路を断たれて混乱し、指揮系統の乱れた前方の羌族の追っ手には、オレたち慕容部の十二騎がとって返して突撃を敢行し、敵を斬って斬って斬りまくる。
羌族の首魁は流れ矢に当たって戦死した模様だ。命からがら戦場から逃げ出すことができた敵は十のうち一,二。一方、こちらの損害は軽微。決死隊十人のうち、二人が軽い傷を負ったのみの完勝だった。
こうして羌族の一部族を壊滅させた曹魏麾下の天水郡は、以後平穏が訪れた。
>日蝕が今日この日この場所で起こると、何故きさまが知っておる?
後漢書献帝紀に、「六月庚寅晦、日有食之」と記されています。ここでは六月の晦日(つまり七月の朔日)とありますが、この物語では話の都合上、六月一日に日蝕が起こったことにしました。また、日没時の日蝕ならば、確実に太陽が月に侵食されて赤黒くなる現象が見えるだろう、と創作したものです。




