215.燻
臨晋の県城を守る砦は、富平鎮をはじめ六つある。ただでさえ一つの砦に二,三十人しかいない兵で、百を超える敵騎兵にあたろうとしても多勢に無勢。近くの砦はすべて放棄し、井戸を埋め食糧はすべて運び出して、明日までに臨晋の県城へ撤退するよう命じた立札を建てた。
「ふん。盾となる砦を自ら放棄して、我らが目標とする臨晋県城への道を開いてくれるとは、指揮を執る馮翊の将は馬鹿者だな!」
馬賊の首魁は顔をほころばせた。
夕暮れ時になって、富平砦から大きな荷を積んだ荷車が五台出発した。
舌なめずりをしながら獲物を待っていた馬賊の首魁は、「かかれっ」と号令を出す。百騎ほどの賊が砂煙を上げながら、富平砦を出た馬車に襲いかかった。
「うわぁ、馬賊だ!」
「こりゃ敵わん。散れ、散れーっ!」
隊長の趙昴が指令を出す前に慌てて逃げ出す兵士たち。五台の荷車はきれいなVの字を描くように、道端に放置された。
「こうも簡単に食糧が手に入るとは、いささか拍子抜けだな。積み荷を検めて運び出すぞ」
馬賊の首魁は馬から降り、手下とともに捨て置かれた荷車のVの字の列内に入り込んだ。
■ ■
風の向き⇒ ■◎〇〇 ←
■ ■
※ ■…積み荷を積んだ馬車 ◎…首魁 〇…馬賊ども
「それっ、今だ!」
オレの掛け声とともに、荷車の積み荷に向かってヒュン,ヒュンと火矢が放たれた。荷車の幌の下には干し草が積まれていたのか、もうもうと煙を上げて勢いよく燃え盛る。
「ケッ。そんなコケ脅しの火計が通用するか、バーカ!」
せせら笑う馬賊の首魁。
しかしオレの狙いは火計ではない。
積み荷には花椒・米ぬか・乾燥させたドクダミの葉など、燃やすと刺激性のあるガスを発生させる可燃物を大量に積んでいた。現代風に言えば、一種の催涙ガス爆弾だ。
風下に立つ馬賊どもは催涙ガスの煙に燻され、クシャミや鼻水、それに涙が止まらない。責め苦から逃れようとしても、炎を上げて燃え盛るVの字に囲まれた荷車の隊列が障害となって、外に出ることもできない。目つぶしと咽喉の焼けつくような痛みで呼吸困難に陥り、馬賊どもはのたうち回った。
この催涙ガス爆弾は、山伏たちの修行の一つでもある「南蛮燻し」から思いついた罠だ。南蛮燻しでは刺激物としてカプサイシンが豊富な唐がらしを使うそうだが、南米原産の唐がらしは、この世界でもまだ中華大陸には伝来していない。
代わりにオレは、麻辣味の四川料理には欠かせない花椒を用いることにした。花椒を燃やすと、カプサイシンに似たサンシォールと呼ばれる辛み成分が煙とともに燻されて、催涙ガスの役目を果たすのだ。
臨晋の兵たちは攻撃の手を緩めない。のたうち回る馬賊どもに向かって、遠くから石を投げつけて痛めつける。たまらず馬賊の首魁は白旗を揚げて降参した。
-◇-
首魁をはじめ馬賊ども百人は全員手足を縛られ、オレの前に連れて来られた。
ちなみに、南蛮燻しの催涙ガスの効果持続は数時間なので、奴らの目はもう見えるし口もきけるはずだ。
「おまえ達は匈奴か?」
「……違う」
「じゃあ、どの塞外民族なんだ?烏桓か、鮮卑か、丁零か?」
「鮮卑」
鮮卑か。まさか軻比能とか言うんじゃないだろうな。そんなわけないか、東西万里にわたる広大な領域を支配する大単于が、たった百人規模の軍勢を率いてチンケな略奪を働くはずがあるまい。
「首魁、おまえの名前は?」
「莫護跋」
って、後の慕容氏の祖じゃないか!ひゃあっ、軻比能に劣らぬ大物だ。
鮮卑の一派・慕容部は遼西地方を本貫とし、永嘉の乱で荒廃した中国からの亡命者を多数受け容れ、五胡十六国時代には華北で前燕を建国した優秀な一族。三世紀末から慕容廆・慕容皝・慕容儁と三代にわたって英主が続き、羯族の建てた後趙の侵略を撃退して逆に華北に進出、鄴を都とする大帝国をうち立てた。また、唐の時代に武廟六十四将の一人に選ばれた慕容恪や、前秦の苻堅に仕えのちに後燕を建てる慕容垂、国家の柱石となって東魏を支えた慕容紹宗など、後世名将と評される人物をあまた輩出したことでも知られる。
莫護跋に詳しく事情を聞くと、彼ら慕容鮮卑はもともと并州の長城外で遊牧生活を営んでいた。ところが昨夏の冷害で并州は食物の生育が悪かった上に、蝗害が重なった。麦・稗粟はもちろん牧草までも食い荒らされ、今までどおりの遊牧生活では立ち行かなくなった。一族が生き残るために慕容部は二手に分かれ、兄は故郷に残り、弟の自分は新天地を求めて旅立つことにしたそうだ。
そう言えば、長安で出会った転売ヤー・鮑凱が、「冷害と蝗害で不作だった州に高値で米俵を売りつければ大儲けだ、ワハハ!」とかなんとか言っていたな。あれは并州のことだったのか。
だとすれば、ちとマズいぞ。并州に兵糧の貯えがないとすれば、むやみに兵は動かせない。夏侯惇と同盟を結んで南北から許都を挟撃する戦略は、見直しが必要かもしれん。
それはさておき、莫護跋は行く宛てもなく漠南の地を彷徨い、陰山山脈までやって来たが、匈奴の騎馬隊に追われ長城を越えて内地に逃げ込んだ。
「我ら流浪の慕容一族は女子供を合わせて五百人、とても匈奴の騎馬隊に敵うはずがない。このままでは食糧も尽きて全滅は免れん。ならばいっそ漢に降って、その保護下に入ろうではないか!と決断した」
そこで莫護跋は、帰化の申請と定住の許可を頼むために北地郡の官府に詣でようとしたらしい。ところが塞外民族の来襲と勘違いされたのか、太守は県城を見捨てて逃亡し、城門は固く閉じられ、城壁から矢を射られて追われた。
……誰だよ、北地郡は塞外民族に攻め陥とされたとか言った奴。しかも太守は迎撃に出て敗走したのはデタラメで、事実はただの臆病者が敵前逃亡しただけじゃないか。まったく噂なんて、あてにならないもんだな。
「我らの望みは水と食糧。略奪などでは断じてない。富平の砦では井戸も壊されており、いよいよ水も食糧も尽きた。生きるためにはやむを得ん。そこで山賊まがいの荷車強奪をたくらんだわけだが、慣れぬ戦に手を出したせいで、あっさりお縄になってしまった」
「どうだ、まだ略奪に手を染める気はあるか?」
「とんでもない!あんな死にそうな目に遭うのは、もうコリゴリだ」
手下の者たちも一様に頷く。莫護跋が意を決したように、
「大将に頼む!手柄が必要なら、我の首を討つがよい。その代わり、残りの手下どもは放免してやってくれないか?」
オレ、この手の首魁に弱いんだよな~。
相手は初犯だし、百程度の小規模な騎馬隊で味方の損害は皆無だし、こんな所で足止めを食らわずさっさと漢中に引き揚げたいオレとしては、“所払い”で放免してやりたいのだが。
オレは趙昴の方へ振り向いて、「趙将校殿、何かご意見は?」と訊ねると、オレの意を悟ったのか、趙昴は大きく溜め息をついて、
「捕まえたのは関興殿だ。あんたの好きにするがいい」
「ん。ならば莫護跋よ、おまえ達慕容部には臨晋県からの“所払い”を命じる。二度と近づくんじゃないぞ」
と言い渡した。莫護跋は安堵の笑みをこぼしたが、すぐに真顔に戻って、
「大将。図々しい願いは百も承知だが、あんたを見込んで頼む!我々慕容部は、遊牧で生計を立て、漢民族とは互いに交易して食糧を買う、共存関係を築きたい。そのために牛馬が養える牧草地が欲しい。どうかお願いだ、俺たちが定住できる土地を譲ってくれないか?」
彼らの希望は理解できる。が、ひとまずよそ者のオレが口出しする権利はない。臨晋県の城民を代表して、趙昴は即答した。
「それは無理な相談だ。見ての通り、ここ馮翊は貧しい。自分たちの生活だけで手いっぱいなんだ。あんたらの食糧を賄えるだけの生産力はない。
それに、ここは匈奴の縄張りも近い。敵襲を前に逃げ出す太守は頼りにならない上に、たった百騎程度の鮮卑兵じゃ、奴らの侵略を防ぐこともままならない。用心棒として役に立たんのなら、あんたらを受け容れる意味がない。関興殿が命じた臨晋県からの“所払い”に従い、出て行ってくれ!」
趙昴の返答を聞いた莫護跋は、無念そうに一礼して立ち上がった。
吐谷渾の建国神話
南北朝時代から隋にかけて、チベットの青海湖周辺に割拠した遊牧民族の吐谷渾は、もとをたどれば遼西に居住していた慕容鮮卑の一族から分かれたものらしい。伝説によると、始祖は莫護跋の曽孫にあたる慕容吐谷渾。跡目争いに敗れた庶子の一派が国を割って万里の長城沿いに西へ逃げ、ついに青海湖の畔を安住の地と定めたという。いつしか先祖の名を冠し、吐谷渾と自称したそうだ。吐谷渾産の馬は、日に千里を駆ける青海駿と呼ばれて珍重された。




