211.告白
荀彧に正座させられたオレと女神様は、神妙に自らの素性を告白した。
「……つまり、僕が推理した“古来より伝わる闇の讖緯書”なる予言書は、後漢末以来およそ百年にわたって中華大陸で繰り広げられた戦史を綴った正史『三国志』のことである。
そして君たちは未来の世から迷い込んだ転生者で、この世界で生き残るために、『三国志』の記述に基づいて起こり得る未来を予測し、時には危険を回避すべく別の分岐路に我々を誘導したり、また時には自ら進んで歴史の歯車を回す役割を果たした、と?」
「簡単にまとめたら、そういうことです」
女神様は大いに不満らしく、オレの耳元でささやいた。
「ちょっと、関興!女神の私をただの転生者だなんて、そこら辺の一般ピープルと一緒にしないでよねっ!」
「しっ!ここが歴史シミュレーションゲームの舞台で、あんたがこのVR世界を造った神とか暴露したら、話がややこしくなるだろーが!」
「けど下等な人間どもと同一視されるなんて、神様的には心外なのよね…」
「駄々をこねるのはやめろって。あんたが造物主だとバレたら、間違いなく責任を取らされるぞ。ここは抗いようのない力が働いてこの世界に飛ばされた“哀れな転生者”を名乗った方が、得策だと思うがな」
「……分かったわよ」
それから、正史『三国志』に綴られる史実――今から九年後の延康元(220)年に、後漢は曹操の後を継いだ曹丕に禅譲して滅ぶこと、また、劉備が蜀漢を、孫権が呉を建国して中華の地に三人の皇帝が鼎立すること、その三十年後には司馬懿とその子孫が曹魏を乗っ取り、太康元(280)年に晋が三国を統一すること、しかし仁徳のかけらもない司馬一族は内紛で自滅し、塞外民族が挙兵して三百年にわたる大動乱時代に突入することを告げた。
「ハハッ……驚いたな」
荀彧はただ笑うしかなかった。
「信じていただけるんですか?」
「信じるも何も、目の前で瞬間移動のような奇想天外な術を見せられたんだ。君の話がいくら荒唐無稽でも、君たちが中華の地の将来を見通す眼を持っていることは事実だと考えざるを得ないだろう」
「フフン。賢者の荀彧もようやく私の能力にひれ伏す時が来たわけね。どうだ、恐れ入ったか!」
と尊大に構える女神様の頭を、オレはグーで殴った。
「何するのよッ?!痛いじゃないの!」
「調子に乗るな。
あ、荀彧様。断っておきますが、諸葛孔明は前世でも天賦の才に恵まれたやんごとない身分の御方、ゆえに転生先のこの世界でも、特別にチート級のスキルを駆使することができます。オレたちのような凡俗な転生者は、そんな大層なスキルなんか持っておりません」
「たち?孔明殿と関興君のほかに、まだ転生者が存在すると言うのかい?」
と問う荀彧。
「はい。オレの知る限り、自分を含めて5人。オレ,諸葛孔明,【風気術】師の呉範,ヒロインちゃん…じゃない、献帝の娘を詐称している董桃,それと鴻……」
「?」
「……そして五人目は、名前までは分かりませんが、蒲坂を襲った災厄で生き残った涼州兵の中に、転生者と思しき人間がいるんじゃないか、と」
オレは鴻杏ちゃんの名前を伏せた。この世界でようやく手に入れた温かい家族との平穏な暮らしを守りたいと願う彼女を、これ以上騒動に巻き込みたくないからだ。
「オレたちがどのような理由で、また誰の手によってこの世界に転生させられたかは全くの不明です。したがって五人の行動目標は各自バラバラ。
例えば隣におります諸葛孔明は、漢の皇室を尊び漢王朝の存続を願い、その味方と思しき劉備の一派を影ながら手助けして来たそうです」
「そうよ!愛しの玄徳様が叶えられなかった中原回復と漢室の再興を成し遂げてやりたくて、代わりにこの世界を構築した女神である私の手で……むぐぅ」
余計なことを口走りそうになる女神様の口を慌てて手で塞ぐオレ。
「と、とにかく、オレ自身は劉備が忠義尊王の善玉だとはとても思えないのですが、そこは個人の主観ということで目をつぶり、自己の利益獲得のためにこの世界の歴史の流れを安易に捻じ曲げてはならないとの考えに共感し、オレは諸葛孔明と手を組むことにしたのです。
一方、【風気術】師の呉範は、己が手で天下統一を成し遂げようとする分不相応な野望を抱き、頭の中がピンク色のお花畑脳をした董桃は、将来皇后に立てられイケメン武将を侍らせて贅沢に溺れた生活を送るのが夢だとか。
呉範も董桃もその邪まな欲望を、狡猾さでは彼らの上を行く司馬懿に見抜かれ、彼の野心を満たすために利用されました。司馬懿は、呉範が前の世界から持ち込んでいた正史『三国志』を奪い取るために、彼を牢内で殺害しました。また、【魅了】のスキルを持つ董桃を曹丕に近づけて籠絡し、魏の乗っ取りを図っています。
呉範や董桃とは一線を画しているオレが、司馬懿と同志だなんて絶対にあり得ません!」
「なるほど。関興君の言い分は理解したよ」
と荀彧は頷く。
「けれども、知識チートを持つ君自身が、漢を倒し自ら天下を統一して新王朝を建てようとは思わなかったのかい?」
オレは首を振って、
「間違ってこの時代に迷い込んだオレは、前世の秦朗という紛らわしい名前のせいか、奇しくも曹操の妃となった杜妃の生んだ秦朗に転生してしまいました。ただし、忌み子である双子の片割れとしてすぐに殺される存在だったのは、荀彧様もご存じでしょう?
そんなオレを曹魏から連れて逃げ出し、己が地位や財産をすべて捨てて救ってくれたのは関羽のおっさん。
オレの望みは、命の恩人である関羽のおっさんと関平兄ちゃんが、麦城で同盟軍(=孫権)の裏切りにあい友軍(=劉備)に見殺しにされる悲惨な史実を、絶対に覆したい!ただそれだけです。
とは言っても、オレだって途中で死ぬのは嫌ですから、危険が迫れば知識チートを利用して回避したり、後世では有名でも当時は名の知られていなかった医者や発明家をズルして先回りで招聘し、領地開発して荊州を豊かにし、また領土の防衛に尽力したりしました。
なにより、仁徳による統治の大切さを教えてくれた恩人が殺されてしまう運命を知っていながら、オレは黙って見て見ぬフリなんてしたくありません」
「それは…もしかして……」
オレはコクリと頷いて、
「荀彧様は、正史『三国志』が告げるところによれば、今現在より一年後の建安十七(212)年に、曹操の野望を諫めたために死を賜りました。本来ならオレ自身の手で荀彧様の身を守りたかったのですが、まさかこんなに早く曹操が帝位簒奪に動くとは思わなかったので……ごめんなさい」
「……そういうことだったのか」
ようやく得心が行ったとばかり荀彧はつぶやく。
「だが、君に聞きたいことは他にもある。司馬懿は乗っ取りが成功すれば、“傾国の美女”の妲己や西施と同じく転生者の董桃を使い捨てにするだろう。その時君は、彼女も助けてやろうと動くつもりなのかい?」
オレは苦笑いして、
「さあ、どうでしょう?オレにその気がなくても、学園の同級生だったお人よしの鴻杏ちゃんに懇願されて、結果的には董桃を助けに行くような気がします」
荀彧はキッとなって、
「じゃあ、どうして曹沖殿下を救出しようと動かなかった?君は曹沖殿下の友人だろう?納得できる説明を僕にしてくれたまえ!」
オレは、史実では曹沖ははるか以前の建安十三(208)年に病死しており、潼関の戦いには参戦していなかったこと、曹操は蒲坂で危うく馬超に討たれそうになるが辛くも逃げ切り、態勢を立て直したのちは賈詡の離間の計で馬超を破り、そのまま涼州を手に入れることを述べた。
「なので、曹操をかばって曹沖殿下が戦死するとは想定外だった以上、彼を救出しようがなかったというのが真相です。
ただ、何者かの人為的な介入がなければ、この世界の歴史がこれほど正史『三国志』の語る史実とかけ離れるはずがありません。司馬懿の暗躍を疑うオレは、証拠を見つけ出して曹沖殿下の仇を討ちたいと思っているのです」




