209.棘
「なかなか壮絶な半生ですねぇ……あれっ?でも、何かおかしくないですか。建安四(199)年に董妃のお腹の中にいたんだったら、ピンク頭の董桃の年齢はオレの1コ上か同い年のはずじゃ……」
ニヤリと笑った荀彧は、
「そう。帝立九品中正学園に入学できるのは、原則15歳以上の貴族や将軍の子弟のみ。とすれば、学園入学から二年経った董桃の年齢は現在17歳であり、建安四(199)年に殺害された董妃のお腹にいた赤ん坊ではない、ということになる」
「つまり、自称献帝の娘という董桃の主張は真っ赤なウソというわけか…」
オレの指摘に荀彧は頷いて、
「ところがね、ややこしいことに、董桃は自分の娘であると献帝陛下自身が認めたらしい。董妃から貰った形見のブローチが証拠なんだとか」
いやいやいや。ブローチなんて後からいくらでも模造できるだろ!なんなら、オレが贋金作りに雇っている腕利きの彫金師に頼めば……ゲフンゲフン、話が逸れてしまった。とにかく、年齢・似ていない外見・皇族らしからぬ言動。どれを取っても董桃と献帝の血の繋がりを示す要素は皆無なのに。
「じゃあ、その茶番劇は献帝もグルってこと?」
「あるいは司馬懿に騙され、操られているという可能性も……」
漢の存続を願っていた荀彧は、まだ献帝善玉説を捨てきれないのかもしれない。いずれにしても、今の朝廷はデタラメがまかり通る組織に堕しているというわけだ。やはり、漢献帝にこのまま碌でもない政治を続けさせるわけにはいかないし、司馬懿が牛耳る天下を許してはならない。
決意を新たにしたオレをじっと見つめていた荀彧は、ふぅと溜め息をついて、
「やっぱり、僕は君のことが分からないよ。果たして関興君は曹魏の味方だと素直に信じていいものかどうか?
曹公を許せないと公言しながら、窮地に追い込まれた曹公をわざわざ遠方まで助けに来るし、“古来より伝わる闇の讖緯書” なる予言書に疑問を呈さないどころか、それを聞いて尚、司馬懿の野望を僕に暴露する……。
関興君、君は最初から予言書の存在を知っていたんじゃないのかい?」
まずい!荀彧の疑いの眼差しがオレの方に向けられた。
「な、なな…何を言ってるんですかぁ?オ、オオオレが“闇の讖緯書”のことなんて、し、知るわけがないじゃないですかぁ!」
舌がもつれて、目を泳がせ明らかに挙動不審な態度をとるオレに、
「君が幼い頃に口を滑らせた【先読みの夢】。あの時から、君が何か秘密を隠していることは薄々気づいていたんだ。
君はこれから起こる未来のすべてなんて分かるわけがない、自分には五つの場面だけしか見えないと言った。それは関羽将軍と関興君自身が危機に瀕する場面だけだ、と。
けれども、君はその五つ以外の事件の結末をも確実に知っていた。
例えば、劉琮の降伏により曹魏が手に入れた荊州で傷寒病が流行すること。君はあらかじめ病が流行することを見越して、長沙の医師・張仲景殿を雇った。そうして病に罹患した曹公を治療させ、公に恩を着せる形で曹魏から荊州を丸ごと掠め取った」
「………」
「侍中の伏完が謀反の疑いで捕らえられ、連座で皇后の伏寿が誅殺された。君はそうなる未来のことも知っていたはずだ。伏完と馬超が裏で繋がっており、曹魏に対して叛逆をたくらんでいると僕が示唆した時に、君は大して驚きもせずに、伏完が匿っている【風気術】師の呉範の関与を言い当てたんだから。それなのに君は伏完を救援しようともせず、逆に放置した。何故だい?」
「何故と言われましても……」
いくら漢献帝の外戚である重要人物とはいえ、面識のない伏完を助ける義理なんてオレにはないし。
「伏后が殺されて、代わって皇后に立てられたのは曹公の娘・麗様。君は曹麗様が立后されることをあらかじめ知っていて、将来利用する下心があって彼女に近づいたね?学友の鴻杏をちゃっかりガールフレンドにしちゃったり」
「待って下さい!近づくもなにも、曹麗様や鴻杏ちゃんとオレを無理やりお見合いさせようと画策したのは荀彧様の方ですよね?」
オレの反論は耳に入らないのか、荀彧は疑いの眼差しで、
「曹公はね、いつしか君の才能に恐れを抱き、「秦朗を疑ってかかれと本能が告げている」と警戒し始めた。「秦朗は【先読みの夢】は五つしか見えないと語っていたが、あれは嘘だ。本当は曹魏を乗っ取り、天下を統一するまでの過程をすべて計算した上で行動しているに違いない」、と。
僕は一笑に付したが、思い返せば曹公の勘は当たっていたのではないか?
ねぇ関興君。もしや僕が曹公に疎まれて死を賜ることも、君はずっと前から知っていたんじゃないのかい?」
オレはごくりと生唾を呑んだ。
もし正直に「はい、知っていました」と答えたら――
当然、どこでどうやって知ったのかを厳しく追及されるだろう。オレは隠しきれず、荀彧の語った“闇の讖緯書”なる予言書の正体が、今より七十年後の晋の時代に陳寿が書いた『三国志』であると告げざるを得ない。それはオレが転生者だと白状することと同義だ。
国家権力の中枢から離れ神仙界に住む世捨て人となった今の荀彧ならば、実はオレが転生者だとバレても、問答無用でオレを拘束して殺害したり、世を惑わせる危険分子として一生牢獄で監禁するなんてことはしないと思う。
けれどもオレが転生者だと判明すれば、オレをこの世界に送り込んだ女神孔明までも芋づる式に同類だとバレてしまう(そもそも荀彧は、諸葛孔明がオレの師匠だと誤解したままだし)。まして女神様は、故意ではないにしろ、【落雷】コマンド?で曹沖を殺害してしまった疑いが濃厚なのだ。できることなら、修羅の鬼や夜叉と化しそうな荀彧に知られぬよう隠し通してやりたい。
かくなる上は。
「き、禁則事項ですッ☆」
まぁ、萌えキャラでもないオレが 朝〇奈みくる みたくお茶を濁したところで、荀彧が誤魔化されるはずもないが。
「そんな逃げの回答は疑惑を認めたも同然だ。僕はね、君が本当に何も知らず、曹丕殿下を擁立して「奇貨居くべし」を狙った司馬懿単独の暴走である可能性もわずかに考えていたんだよ。
もう一度訊ねる。
君は最初から “古来より伝わる闇の讖緯書” なる予言書の存在を知っていたね?
そしてこれから起こる未来の出来事を把握した上で、時にはそれを阻止しようと行動し、また時にはそれが実現するように裏から手を回したり、あるいは放置したりした」
「………」
「この推理が正しいなら、必然的に次の仮説を導く。
君は蒲坂津の戦いで曹公が馬超に敗れ、曹沖殿下が曹公の身代わりとなって死ぬことをも知っていた。なのに君は、曹公や僕の場合と違って、曹沖殿下を救い出そうとはしなかった」
いや、荀彧の仮説は明らかにYESとは言い難い。
史実の蒲坂津の戦いでは、曹公が危うく馬超に討たれそうになるのは本当であるが、渡河が成功した時点で潼関に籠もる馬超への挟撃が成り、勝敗で言えば“勝ち”に繋がる戦績だから。
それに史実の曹沖が病死するのは三年前の出来事で、蒲坂津の戦いが起こった時にはすでに他界していたのだ。ゆえにオレは、生き永らえたこの世界の曹沖が蒲坂津の戦いで曹操の身代わりとなって死ぬなんて、まったく思いも寄らなかった。
かと言って、NOと答えるのも違うような気がする。
曹沖の死を想像すらしていなかった以上、彼を救出しようがなかったというのが真相ではあるが、曹沖を助けてやれなかったこともまた事実なのだ。
もしかしたら史実の強制力とやらが働いて、本来生きているはずのない曹沖をあのタイミングで、都合よくこの世界から抹消したのかもしれないし。
オレがどう答えたものか悩んでいるのを、核心を衝かれて返答に窮していると解した荀彧は、
「やはり知っていたんだね。
なぜ曹沖殿下を見殺しにした?答えによっては僕は君を許さない」
と鬼の形相に変わった。




