207.関興、荀彧と再会する
蒲坂に到着したオレは、まず曹沖が戦死したと伝わる林に向かった。
瓦版の語る戦況によれば、別動隊を迂回させて挟撃を狙った曹魏軍は、渡河の準備をしている最中に馬超率いる騎兵隊に奇襲され、一方的に蹂躙された。そのせいか、曹操の身代わりとなって死んだ曹沖の遺体を回収する間もなく、曹操は対岸の馮翊へ命からがら逃げ去ったらしい。
かの敗戦から三か月も経った今、遺体の発見は無理にしろ、できることならオレは曹沖の遺品を見つけ出して、妃の甄洛に手渡してやりたいと思ったのだ。
林の中に足を踏み入れたオレが目にした光景は異様だった。
草木も生えぬ、真っ黒に焼け焦げた跡。山火事?――いや、きれいに半径100mの範囲だけが燃えているのは不自然だ。何者かが人為的に起こした災厄ではないか?
荊州軍に帰順した龐徳の告白によれば、あの時――
突如戦場に響き渡ったすさまじい轟音とともに、蒲坂の林の奥で火柱が立ち上がった。が、それも一瞬のできごと。轟音は戦場の喊声にかき消され、火炎は単なる烽火の見間違いであろうと気にも留めなかった。
だが、曹沖を追ったはずの馬岱の戦勝報告は一向に上がって来ず、しびれを切らして偵察に訪れると、林は真っ黒に焼け焦げ、倒れた木々は煙を燻らせながら炭化していた。そして曹操を追っていたであろう涼州軍の長槍兵が、あまた地面に斃れ臥す様子が目に映った。
「なんだ、この災厄は……」
龐徳は嫌な胸騒ぎがした。
息のある者を探し出して起こった状況を聞き出すと、ある者は火球(隕石?)が大地に落下したと言い、ある者は火罠にやられたと考え、またある者は大木に雷が落ちて延焼したとの目撃談をまことしやかに語り、ある者は大地が割れて龍が現れ空へ舞い上がったと話し、ある者は第五使徒・ラミエルのごとく高火力の加粒子砲により長距離から狙撃されたに違いないと述べた。
---------
第五使徒・ラミエルの放った高火力の加粒子砲って……ここにも(エヴァ好きらしい)転生者が紛れ込んでいたのかと、オレは苦笑交じりに報告書を読んでいたが、
「あっ!」
オレはこんな荒涼とした景色に見覚えがあった。推しの劉備を誹ったせいで女神様の怒りを買い、雷を落とされる天罰を食らった時のことだ。
「【落雷】コマンド、か」
そうだとすれば、雷が落ちて林に延焼したとの涼州兵の目撃談とも一致する。
(女神様がやったのか?)
だが、何のために?
曹操を嫌悪し、劉備の天下統一を後押しする女神孔明なら、そして実行する策略は成功率100%が約束されている知力100の女神孔明なら、曹沖ではなく曹操を狙って【落雷】コマンドを発動し、最初から曹操を殺害すればいいだけだ。
だが、女神様は自らのチート能力を悪用してシナリオ改変に手を染めるような人じゃない。いや、人じゃないな。神様だ。いや、今はそんなことはどうでもいい。
オレを下僕と言い放ち、何度も手柄を横取りされたように、今まで散々迷惑をかけられっぱなしだけれど、本当は出師の表を詠んだ諸葛孔明のごとく、正々堂々と立ち向かい、真っ向勝負で曹操を討ち破って天下に覇を唱えようとする、公明正大な女神様なんだ。
あ、ちょっと美化しすぎたな。
あの駄女神なら、
「馬っ鹿じゃない?!【落雷】コマンドなんか使って曹操を簡単に殺しちゃったら、この私が活躍する見せ場がますます無くなっちゃうじゃないのぉ!」
とか本気で言いそうだ(笑)。
とにかく、そんな女神様が【落雷】コマンドのようなチート能力を濫用して、罪のない曹沖を殺したなんて、オレには到底考えられない。
それに、隕石や落雷なら上から降って来るものだが、あの時現場にいた龐徳が語ったように、地面から「火柱が立ち上がった」という目撃談が正しいなら、火罠や(信憑性に欠けるが)龍が舞い上がったとか、使徒ラミエルの放った高火力の加粒子砲とかの荒唐無稽な証言の方が状況に合う。
ただ、仮にこちらの証言を重んじるなら、龍を出現させたのは誰か?とか、高火力の加粒子砲を放つ新たなチート能力者の出現とか、さらに頭を悩ませる事態が発生するわけで。これ以上はオレの頭もキャパオーバーしそうだ。
「うーむ。分からん!」
その時、後ろからガサッと落ち葉を踏む音がして、
「あれっ、関興君…だよね?どうしてこんな所に?」
と声を掛けられたオレが振り返ると、探していた仙人の婁子伯こと荀彧の姿がそこにあった。
「あ…荀彧様……本当に生きてた」
オレの目からポロポロと涙がこぼれた。
「よかった…本当によかった」
「ちょ、どうして関興君が泣くんだい?」
戸惑う荀彧に、オレはあふれる涙を手で拭って、
「死んだと思ってた荀彧様が生きてて、嬉しいからに決まってるじゃないですか!オレは諦めたくなくて、ずっと探してたんですよ!
鄧艾に聞きました。調子に乗って荊州で割拠したせいでオレの面従腹背がバレてしまい、曹操はオレが魏を乗っ取るつもりだと疑った。荀彧様は謀叛人と名指しされたオレを必死に庇って二人の間に溝が生じたため、曹操の猜疑を一身に受けて死を賜った、と」
「ハハ、君の思い過ごしだよ。僕と曹公の目標は同床異夢。遅かれ早かれ決裂する運命だったのさ」
「でも……」
「礼を言うのは僕の方だよ。君のおかげで僕は命を長らえたんだ。あの時、曹公から下賜された空の菓子箱の中に、何故か「追放」と書かれた令璽が入れられていたんだからね。あれは君の仕業だろ?」
「あ、あれはオレじゃなくて鄧艾が……」
いや、と首を振った荀彧は、
「令璽を忍び込ませたのは鄧艾君だろうけど、僕が礼を言いたいのはそのことじゃない。
儒者の建前では、君子は主君に疑われた時点で、毒をあおいで覚悟の自死を遂げなければならない。荀子の弟子であった韓非のようにね。
でも僕は、いざ鴆毒を前にして飲み干すことを躊躇った。いつか君が語った、僕の自死を全力で止めてみせるという決意を思い出したんだ。それに、「天下は統一されなくても、民の安寧な暮らしと平和は実現できる」と述べた君の理想論を、果たして君はどうやって実現するのか、この目で見ずに死んでしまうのはどうにも心残りでね。
だから、君のおかげで僕が命を長らえたのは間違いない」
「そんな……」
「でも、よかったのかい?曹魏とは決別したはずなのに、陳倉に追い詰められた曹公を、君はわざわざ救出しに来たんだろう?」
そう。実際、ここに至るまで様々な葛藤があった。
禅譲によって漢を滅ぼす道筋をつけたのは曹操だという史実。その主人公である奴が今退場となれば、この先の「三国志」のシナリオが大いに狂ってしまう。創造主の女神様を差し置いて、モブにすぎないオレが果たして手を下していいものか?という恐れ。
今、天下を掌握してしまった漢の献帝と司馬懿の碌でもない政治を覆すためには、曹操と手を組むしかないという母上の説得。
オレの本当の父親かもしれない曹操を見捨てれば、孝の教えに逆らってしまうという体面。
心を病みかけた曹麗様を立ち直らせるために、生きて曹操に会わせてやると交わした約束。
直接会って曹操を諫め、奴が荀彧様に犯した過ちを悔いて詫びを入れさせなければ、どうしても我慢できなかった義憤。
けれど…
「オレは曹操を助けたことに悔いはありません」
と荀彧の目をしっかと見て告げた。
お盆に里帰りするので、一週間休みます。すみません。




