200.漢中攻略
四月七日 襄陽。
「お膳立ては整いましたな。ここからは若君の出番ですぞ」
襄陽に戻って来た腹黒軍師の龐統は、あとの役目をオレにバトンタッチする。
オレは鄭重に礼を述べると、オレの身代わりに曹林を乗せた甘寧・鄧艾の陽動部隊が宛城へ向かったのを見送り、商船に化けた軍船二十隻を漢水に浮かべて出航した。
もちろん最終目標は、陳倉に籠城する曹操を救援し荊州に連れ帰ることである。
「おい、興。こんな迂遠な道を通って、本当にうまく行くんだろうな?」
麾下の二千の兵とともに船に乗り込む張遼が念押しをする。
「ああ、たぶんな」
「たぶんって……だいたい、俺の二千と荊州の三千、合計たった五千の兵で漢中の五斗米道を降すことなんてできるのか?」
「ええぃ、うるさいっ!鳳雛軍師の鬼謀を信じろよ!司馬懿が罠を仕掛けて待ちかまえている宛城を通るルートよりは、成功する確率は格段に高いと思うぞ」
ちなみに商船に化けた船には、佞臣の楊松に売却を約束した「涼州兵三万×二か月」分の兵糧なんか積んでいるわけがない。五千の兵士と自分たちが食べる兵糧のみだ。
龐統が仕掛けた調略は、漢中の米蔵を空にすること。つまり兵糧攻めだ。兵糧が枯渇すれば、いくら五斗米道の兵士が大勢いようと抗戦できない。オレたちはただ城を囲んで、敵が飢えるのをじっと待つだけ。戦わずして勝つ、真に狡猾な恐ろしい謀みなのだ。鳳雛軍師だけは敵に回すまい、とオレは身震いした。
四月十七日。
漢水を遡ること十日、漢中の城が見えて来た。
襄陽からたった十日で到着できるのか?と疑問に思う人がいるかもしれないが、司馬懿だって孟達の謀反の際に、駐屯地の宛城から漢水上流の西城まで八日で駆けつけたんだ。馬鈞師匠の発明のおかげで高速の輸送船を手に入れたオレが、十日で行けないはずがない!(キリッ)
なにはともあれ、商船に潜んで漢中の城にたどり着いた荊州軍五千は、たちまち五斗米道に牙を剥く。軍旗を掲げて宣戦を布告すると、城を包囲して一斉に矢を放った。
「おのれっ、謀ったな!」
佞臣の楊松が地団駄を踏むがもう遅い。荊州軍にまんまと一杯食わされた上、賄賂を受け取り儲けの半分を着服して私腹を肥やしていたのだ。敵に内通しているに違いないと疑われた楊松は、張魯にあっさり処刑された。哀れなものだ。ちなみにオレたち荊州軍が楊松と内通した事実はない。あんな奴を味方に引き入れたら、それこそ疫病神を招くようなものだもん。
ふって湧いた国難を前に、五斗米道の軍議では、葭萌の劉備と対峙する自軍を引き返させ、荊州軍に決戦を挑もうと閻圃が進言するも、張魯は力なく首を振って、
「無駄だ。漢中の城内に籠城を決め込んだとしても、明日の分の兵糧すらままならぬ。葭萌へ急いで伝令を走らせても、自軍を連れて戻って来るまでに最低八日は掛かる。その間、無辜の信徒を飢えたまま戦わせるわけにはいかん」
(欲に目が冥み、贅沢三昧に走って統治をおろそかにした罰だ)
天を仰いだ張魯は、「降るしかあるまい」と告げた。
-◇-
翌 四月十八日。
張魯は城を出て潔く降伏を願い出た。十日程度の攻城戦(敵が飢えるのをじっと待つだけだが)を覚悟していたのに、たった一日で片が付くとは拍子抜けだ。
が、本よりオレは漢中を領土にしたくて攻撃したわけではない。兵糧攻めによる攻略を狙った鳳雛軍師の意図とは外れるかもしれないが、ここは穏便に張魯を懐柔した方が得策だろう。
そう考えたオレは居住まいを正して、
「張魯殿、頭をお上げ下さい。降伏などとんでもない!
この度は、不本意ながら仁義に背き、貴殿にかような騙し討ちをせざるを得なかったことを心苦しく思っております。
改めて経緯を述べますに、オレは昔、曹操に推挙され宮仕えをしたことがあります。たとえ期間が短くとも、また今は疎遠な関係にあるといえども、曹操が己の主君であった事実に変わりはありません。儒家の道には大事な徳目の一つに忠が上げられますが、忠とは主君を裏切らないことです。
今、貴殿もご存じのように、曹操は馬超に追い詰められ、陳倉に籠城して最期の時を迎えようとしておるとか。
かつての主君が窮地に陥っている時に、黙ってそれを見過ごしてよいものでしょうか?
まして伝え聞くところによれば、曹操は、
《関興だけが頼みだ。他の誰もが背を向けたとしても、奴だけはきっとわしを助けに来てくれるだろう》
と告げたとか。その話を聞いたオレは、意気に感じずにはおれませんでした。千里の道を遠しともせず、我が忠義の心に同調した者五千を連れて、陳倉に向かっておる次第です。
漢中を治める張魯殿におかれましては、なにとぞ我が意をお含みいただき、秦嶺を越えて曹操の籠もる陳倉へ至るまでの道を貸していただきたく、伏してお願い申し上げます」
と逆に頭を下げた。張魯は慌てて、
「もったいない言葉。私はすでに降伏した身、どうして関興殿の進軍を妨げましょうか!」
と答え、曹操を救出するオレたちを黙って通過させると約束した。
◇◆◇◆◇
その頃、曹魏軍一万の兵が籠もる陳倉の城では。
城を包囲して連日攻撃を仕掛けて来た馬超軍が突如反転し、東方へ去った。
「追撃しますか?」
「いや、今は一兵も無駄にしたくない。連日の籠城で将校も疲れが溜まっているだろう。皆の者、ご苦労であった。今はゆっくり休め」
とねぎらう曹操。
(しかし、このタイミングで撤退とは不自然な。奴の地元で反乱でも起こったのだろうか?)
不審に思った曹操は斥候を放って事情を探らせる。
すると、荊州の関羽軍が自分を救援するために挙兵し、北上して宛城へ向かっていることが分かった。
「はて?関羽がわしを救援じゃと?何故?」
「あるいは閣下の救援は口実で、陳倉へ進むと見せかけて宛城から許都へ向かい、漢の天子様を奉じて全土に号令を掛け、自ら合従勢力の盟主に立つつもりかもしれませんな」
参謀の賈詡が口を挟む。
「ふぅむ……分からん!」
曹操は腕を組んで考え込む。加えて斥候は、
「そのため、曹丕殿下と司馬懿は宛城で北上して来る関羽軍を迎え撃つべく、天下最強の涼州兵を有する馬超を招聘したそうです」
また別の斥候が戻って来て、
「申し上げます。五斗米道の輜重隊が、漢中から子午谷を越えて大量の兵糧を運搬中。五斗米道と同盟を結ぶ馬超が調達した物と思われます」
と報告した。
「なるほど。子午谷は、我が陳倉を避けて直接長安・武関へ出るルートだな。先の報告と合わせると、馬超が宛城へ向かったという情報はどうやら本当のようだ。
馬超が去った事情は分かったものの……夏侯惇はいったい何をしておる?曹植は?曹彰は?張遼は?于禁は?!あれだけ目を掛けてやったのに、わしの窮地を救出しようと立ち上がる者が現れぬとは、なんとも嘆かわしい限りだ」
「「……」」
曹操につき従い陳倉に籠城する夏侯淵や徐晃らの諸将は、悲痛な面持ちの曹操に慰めの言葉を掛けるわけにもいかず、目を伏せる。
「曹公、いかがなされますか?」
「どうもこうもない!奴らが立ち上がらぬ以上、一万の兵しかおらぬわしは、西の片隅でじっと耐えるほかあるまい!」
腹立たしげにそう吐き捨てる曹操。だが賈詡は楽観して、
「案外、近いうちにお迎えが来るかもしれませんよ。東ではなく南から」
と語った。




