199.腹黒鳳雛軍師の謀略
建安十六年(211)五月 陳倉 ◇関興
オレが張遼とともに、陳倉に籠城する曹操を救出するルートはこうだ。
言われてみればコロンブスの卵。
襄陽から漢中へ船で向かうのは、延熙四年(241)に漢中に駐屯する蜀の蒋琬が、魏の征伐を狙って漢水の流れを下り荊州へ攻め込もうと立案した経路を逆さにしたものだし、また漢中から褒斜道を通って秦嶺山脈を越える経路は、諸葛孔明が幾度も北伐で通ったことがある。決してオレのオリジナルというわけではない。
なにより絵で描けば単純そうに見えるが、このルートを敵に察知されぬよう秘かに進軍することが、実は曹操救出という高難度ミッションをクリアするための肝。そのためには、
(1)宛城で罠を仕掛ける司馬懿ら魏の大軍の目をどう欺くか?
(2)漢中を押さえる五斗米道の首領・張魯をどう搦め奪るか?
が重要になる。
(1)は我が軍にスパイとして潜入した夏侯覇を逆に利用して、陽動の甘寧・鄧艾軍を本隊と見せかけ、敵の術中に嵌まって宛城へ向かっているように騙してやった。総大将のオレが指揮を執っていると夏侯覇に信じ込ませるために、代わりにオレと瓜二つの兄・曹林を輸送船に乗せた。入れ替わりがバレないように、曹林の真似をして自分のことを「ボクちゃん」と言うとか、なかなか骨が折れたぞ(苦笑)。
おかげで司馬懿は荊州軍の来襲を待って宛城から動こうとせず、新野に侵攻して来た馬超は水攻めで返り討ちに成功した。甘寧・鄧艾サマサマだ。本当に頼りになるなぁ、アイツら。
さて、(2)の五斗米道と我が関羽軍は、本来 “中立” の関係である。張魯が馬超へ売却する兵糧を荊州から仕入れる程度には仲は悪くない。仮にオレが長安の馬超へ密書を届けると言えば、(通行税は課されるものの)漢中を通り抜けることは可能だろう。
だが、我が関羽軍が曹操を救援すると張魯が知ればどうだろうか?馬超と曹操の仲は険悪で戦争状態だし、張魯と馬超は同盟を結んでいる。張魯は馬超の顔を立てて、関羽軍の通過を阻止しようとするに違いない。
そうなった場合、宗教勢力の五斗米道と抗争するのは面倒だ。教祖のためなら命も辞さず、狂信的な信徒にテロやゲリラ作戦を仕掛けられたらたまったものではない。
ここで登場するのが、腹黒の鳳雛軍師。
龐統は今回のターゲット・楊松に、なんと半年前から調略を仕掛けていたというから恐れ入る。
この楊松、正史にはその名が見えず、三国志演義にのみ登場する悪玉キャラである。KOEIの歴史シミュレーションゲームでは、思わず斬首したくなる卑しい顔グラが話題になった(笑)。
演義のストーリーでは、賄賂に目が眩んで善玉キャラの馬超を讒言・追放し、また賄賂に目が眩んで曹操に内応し漢中の五斗米道教国を滅亡させた。それゆえ、「欲深き金の亡者」 「国も君主も敵に売り渡した売国奴」と評される国賊なのである。
◇◆◇◆◇
時は少し遡り。
「フ…フフッ。宗教ビジネスは金がいくらでも儲かるわい」
五斗米道の幹部である楊松は笑いが止まらない。
五斗米道は、もともと張陵という怪しげな道士が蜀の鵠鳴山で立ち上げた宗教結社だが、孫の張魯の時に益州の混乱に乗じて漢中盆地を占拠し、一代にして強大な宗教国家を築いた。
信徒には税の代わりに五斗の米を貢納させたことから、五斗米道の名が付いたとされる。戦乱に明け暮れた中原とは秦嶺山脈を隔てておるので、長い間劉表が治める荊州と同じく平和を謳歌した。
やがて華北を統一した曹操の勢力がひしひしと漢中に迫り来る。
張魯は涼州の馬超と同盟を結んで、曹操から侵略を防ぐ盾とし、代わりに信徒が納める豊富な食糧を馬超に提供することで、お互いにWin-Winの関係を構築した。
建安十六年(211)に馬超が曹操に対して反乱を起こした史実も、「敵は漢中を攻めると見せかけて、実は涼州を狙っておりますぞ」と、張魯が裏で馬超を焚きつけたのではないかと噂されるほどだ。
さて。
このVR世界でも史実と同じく、馬超と曹操の戦いが勃発する。
馬超は迎撃するために旧友の韓遂を誘い、公称十万もの兵を動員した。当然、多量の兵糧が必要となる。十万の兵×半年分もの兵糧は、いくら五斗米道でも賄いきれない。同盟国の要請を断るわけにもいかず、かと言って信徒に米をもっと上納させれば、重税に堪まりかねた信徒が一揆を起こすかもしれぬ。
「さて、どうしたものか……」
悩む張魯のもとに、幹部の楊松が耳うちした。
「兵糧を安く買って高く売りつければ、大儲けできますぞ!」
「それはそうかもしれぬが、そんな旨い話があるかのう?」
張魯は首を傾げる。
「ご心配なく。敵対する益州牧の劉璋や、その客将となって葭萌関で睨みを効かせる劉備玄徳ではなく、中立関係にある荊州の鳳雛軍師から持ちかけられた耳寄りな情報。
なんでも、荊州は曹魏と不仲になって、これまで輸出していた米が大量に余っているとか。安くてもいいから、なんとか買い取ってくれぬかと懇願されたのです。これも顔が広く経済に明るい私だからこそ、可能な取引」
と楊松は胸を張る。
「そういうことなら、試しに買ってみるか……」
張魯も取引に同意した。荊州から米一俵を金五十銭で買い、馬超には金二百銭で売った。差し引き百五十銭の儲けだ。
そうして馬超と曹操の戦いは半年が過ぎた。その間、兵糧は飛ぶように売れた。五斗米道は大儲けだ。なかでも楊松は吝嗇で、儲けの五割を懐に入れて贅沢三昧な暮らしをしているらしい。
清貧がモットーだった五斗米道の、他の幹部連中も同様に堕落した。金の力は恐ろしい。一度知った蜜の味は、なかなか止められない。龐統は調略が成功しつつあることにほくそ笑む。
四月。
漢の献帝の勅令を受けた馬超は、曹操との抗争を中断して急きょ宛城へ遠征することが決まり、再び五斗米道に大量の兵糧調達を依頼した。欲に目が眩んだ楊松は、
「馬超将軍からは矢のような催促ですぞ。教祖、速やかにご決断を!」
と迫る。
「しかし漢中には、我々五斗米道の信徒が食う分だけの食糧しか残っておらぬ。さすがにこれを売り渡して米蔵を空にするのは危険だと思うが…」
とためらう張魯。
「何を弱気な。これはビッグチャンス、この期を逃してはなりません!鳳雛軍師も「十日もあれば、三万の兵×二か月分の兵糧くらい運んで参りましょう!」と請け合いました」
龐統から賄賂をもらっている幹部連中も、
「楊松殿の言われるとおり、同盟軍の馬超将軍を怒らせるわけには参りません。早急に兵糧の売却に同意した方が賢明でしょう。
現在、葭萌関の劉備軍に目立った動きは見られません。十日もすれば、荊州から大量の米が輸送されて来るのです。すべてを馬超に渡さず、中抜きすればよろしい。いずれにしても、半年後には実りの秋がやって来るのです。米蔵には再び溢れるほどの米が貯えられるでしょう」
と賛同する。
こうして張魯は、漢中の米蔵に貯えていた信徒分の食糧をすべて、馬超に高値で売却することに同意した。




