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三国志の関興に転生してしまった  作者: タツノスケ
第六部・哀惜師友編
213/271

196.白河の濁流

作戦開始を告げる狼煙(のろし)が新野の城にもうもうと上がった。

それと同時に北の方角から、ザーッと降る雨音に混じってゴォーッという地響きのような轟音が鳴り響いた。


「ま、まさか、この音は?」


馬超が気づいた時にはもう手遅れだった。

十日前に新野に逗留していた時から、荊州軍が城の改修と称して行なっていたのは、実は白河の上流に土嚢を積んで川の流れを堰止めることだった。荊州軍の参謀・劉靖は、馬超軍が鵲尾坡(じゃくびは)の砦を占拠すると同時に、白河上流の堰を決壊させた。


堰が切られ、突如として膨大な位置エネルギーを解放した白河は――その澄んだ河という名称はどこへやら、茶色く濁った凄まじい流れは、新野城下に広がる低湿地にある物すべてを無残に破壊し、押し流してゆく。それでもまだ暴れ足りないのか、嵐のごとく荒れ狂った河の奔流は、怒涛の勢いで高台にある鵲尾坡(じゃくびは)の砦に迫り来る。見る間に水(かさ)を上昇させながら、濁水は逃げ遅れた馬超軍の兵を無残に呑み込んでいった。


そもそも雨が三日三晩降り続けば、広い川幅を有する白河の水嵩もずいぶんと上昇するはずだ。ところが、この辺りの気象や地理に疎い涼州出身の馬超らは、白河が馬が駆け渡れるほどの浅瀬であることに何の疑問も感じなかった。思い返せば、この時点で馬超軍の「負け」は確定していたのだ。


鵲尾坡(じゃくびは)の砦も無事では済まない。いくら周りの土地よりも高台にあるとはいえ、砦を囲む土壁は(もろ)く、河の勢いに削り取られて至る所で崩れ、砦の内側まであっという間に水浸しとなった。


水の流入は白河からだけではない。白河支流の譚水や汪水も、時を同じくして氾濫し砦のある低湿地に注ぎ込み、背後の山地からも茶色に濁った多量の土砂が山崩れとなって砦を襲って来たのである。


「うわぁぁー逃げろーっ!」

「助けてくれー!」


慌てふためき混乱に陥る涼州兵。

こうして鵲尾坡(じゃくびは)の砦は水没。辛うじて、丘の上に建つ(やぐら)とその周辺だけが水面に顔を覗かせている。


(やぐら)だ、御曹司を高い(やぐら)に避難させろ!」


参謀の皇甫(こうほ)(れき)の声に、兵たちは我れ先に少しでも高い(やぐら)によじ登ろうとしたが、このままでは重みに耐えかねて(やぐら)が倒壊しかねないと見た馬超は、無慈悲にもよじ登って来る兵の腕を片っ端に斬り捨てた。


上に逃げようとすれば腕を斬られて(やぐら)から墜落し、下におれば氾濫した河の流れに呑み込まれて溺死する。逃げ場を失った軍吏や涼州兵は死期を覚って茫然自失し、すっかり士気が萎えてしまった。


(やぐら)の上に避難した馬超の眼に映ったのは、一面の大水原。新野の大地はあっという間に白河の濁流に呑み込まれ、巨大な“湖”へと姿を変えていた。


「怯むな、涼州魂を忘れたか!俺の身を守れっ!」


馬超の鼓舞は逆効果だった。大将ですらそうなのだから、士気の衰えた軍吏や兵たちはもはや我が身が助かることしか考えていない。濁流の水(かさ)は人の腰高まで浸かってようやく止まり、砦で生き残った兵馬はなんとか溺死を免れた。だがこの先も雨が降り続くようなら、どうなるかは分からない。


そこへ満を持したかのごとく威風堂々と現れたのは、荊州軍の軍船。船上で指揮するのは甘寧であった。病と称してしばらくの間 姿を見せなかった甘寧と錦帆賊徒らは、秘かに襄陽へ戻って軍船を携え、河を遡って再び新野の地へ現れたのだ。


「うわあぁ、もう駄目だ!」

「逃げ場なんてないぞ!」


涼州兵は絶望感に襲われた。見渡す限り水没し浮島となった砦。枯渇した兵糧。

敵軍船は悠々と、さながら湖と化した大地を進み、涼州兵が立ち往生している鵲尾坡(じゃくびは)の砦(の残骸)に向かって、至近距離から一斉に矢を放つ。


前面に立つ龐徳は死を覚悟した。

が、矢はバシャッ、バシャッと水しぶきを立てて、すべて砦の手前の水面に落ちた。敵は()()()外した。その行為が、将校だけでなく兵卒に対してもこれ以上無駄に血を流さず、降伏を促すものであることは明らかだった。


(かたじけない)


龐徳は黙礼して敵の恩情に感謝した。

御曹司に降伏を進言しよう、諸葛孔明の仲介で一度は同盟を結ぼうとした仲だ、関羽も我々を悪いようには扱うまい。


龐徳は説得を決意して、(やぐら)の上に避難している馬超のもとを訪れた。

ところが馬超は、敵に余裕を見せつけられて、それを挑発と受け取ったか侮辱と受け取ったかは分からぬが、憤怒の表情を浮かべ、


「俺は負けたわけではないぞ!我々の一騎討ちの挑戦をことごとく無視したあげく、卑怯な手を使って我々をここに追い詰めやがっただけだ。俺をコケにしやがった奴らに、膝を屈するなど考えたくもないわっ!武将の風上にも置けぬ奴らめっ!」


と降伏を拒絶する。


「いいえ!」


龐徳は語気を荒げて馬超を諫める。馬超に仕えて初めてのことではないだろうか。


「いいえ、我々は負けたのです。我が涼州軍はたしかに野戦にかけては天下無双。しかし敵は我らが得意とする戦法をことごとく封じ、機動力と破壊力に長ける騎馬を完全に戦闘不能に追い込んだ。御曹司の言うとおり、たとえ敵が卑怯な手を使ったにしても、それを見抜けなかった我々に最初から勝ち目はありませんでした」


「ぐぬぬ……お、俺は負けなど認めん!ここで徹底抗戦するぞ!」


「……我々には明日の分の兵糧すら残されておりません。このままでは兵が飢えるのは確実です」


「兵糧なら、ある。馬を殺して食せばよいではないか!」


馬超はふと浮かんだ己のアイデアに絶対の自信をもって答える。龐徳は失望した。そこまで頑なに己の負けを認めることを恥だと考えるのか?この人に大将としての素質が備わっているのだろうか?ふと湧き起こった疑念に、龐徳はかぶりを振って、


「なりませぬ。我らの機動力と破壊力の源泉となる馬を殺し、どうやって敵と戦えと?御曹司、どうかここは生き残った将兵のためにも曲げてご決断を」


自信満々のアイデアを一蹴された馬超は怒りでワナワナと震え、


「見損なったぞ、龐徳!何があっても主君に礼を尽くすのが忠義ではないか!

 主君が負けを認めぬ、降伏はならぬと言えば、主君のために血路を切り開くのが家臣の務め、兵卒の役回りであろう!

 俺は陛下に開府も認められた鎮西将軍。そんじょそこらの田舎大将とは格が違うのだ!たかが使い捨てに過ぎぬ兵卒のために、意志を曲げるなど言語道断。まして降伏を勧める家臣がどこにおる?!」


(以前は武芸一辺倒の猪武者と揶揄されることもあったが、性根は気持ちのいい若者であったのに。いつから御曹司はおかしくなられたのだろう?ああ、司馬懿に(そそのか)されて、柄にもなく天下に欲を出したせいだ)


「……分かり申した。たまたまこの砦に流れ着いた小舟が二隻あります。一隻には(それがし)が乗り込み、敵の軍船に特攻いたしましょう。その隙に()()はもう一隻に乗船し、秘かに裏手からお逃げください。

 ()()西()殿、これが龐徳最期のご奉公となりましょう。()()のご武運を祈ります」


龐徳は馬超に対してもはや親愛の情を込めた“御曹司”を使わず、慇懃に敬称で呼んだ。馬超との決別を決めた瞬間だった。そうして一礼すると小舟に乗り込み、後ろも振り返らず湖と化した大地に出撃して行った。


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