190.夏侯覇、荊州軍に身を投じる
「興。宛城から我が軍に帰順したいとの文が届いたが、侯音のことはどうする?」
関羽のおっさんの問いかけに、オレはようやく口を開いて、
「そうですね……侯音と申す者がどのような意図でこの文を送って来たのかを確かめなければなりません。味方とすべき人物なのか、あるいは誰かが侯音の名を騙った罠なのか?」
「罠?」
「その可能性があるかも、というただの勘です」
かもではなくて九分九厘 罠だとオレは考えるが、その根拠を述べるのに司馬懿は史実を知っているからだと暴露すれば、オレ自身も転生者であることを白状しなければならない。が、それはしたくない。今はただの勘とごまかすに限る。
「いずれにしても、斥候に命じて至急宛城の内情を探らせます」
「うむ、そうしてくれ。それで曹公救出作戦であるが……おまえのことだ、計画はもう考えておるんだろうな?」
「はい。鳳雛軍師にご助力を願い、着々と進行中です。ただ……」
司馬懿は、オレたち荊州軍が陳倉に追い詰められた曹操の救出に動くはずがないと高をくくっている反面、侯音の名を騙り宛城にオレたちを誘き寄せて罠に嵌めようとしている。
宛城は雍州(馬超の領地)・司隷(司馬懿の領地)・豫州(曹丕の領地)に接し、平等に三方から攻撃しやすい土地だから、ここが囮に選ばれたのであろう。
面倒なことになった!
オレが本来得意とする戦法は、鵯越や屋島で源義経が見せたように、敵の思いも寄らぬ方角から攻め込み、敵の虚を衝いて勝利する長距離奇襲の戦法だ。
それなのに、本来の目的地である陳倉の途中に位置する宛城を下手に占領してしまったら、その後の進撃ルートが2,3パターンに限定されて、敵の意表を衝くことが難しくなってしまう。
すなわち、オレたちが宛城を奪えば、敵は間違いなく武関と潼関の守備を固め、万全の防備態勢を敷くだろう。そうなれば、たとえ関羽のおっさんが教えてくれた抜け道を通って関門を回避しようとしても、敵の斥候に進路を捕捉され失敗する可能性が高い。
だからオレは、侯音の帰順が本当であろうと敵の罠であろうと、宛城を占領することに気が進まないのだ。
さて、どうしたものか?
オレが悩んでいると、兵二万の救援軍が出払った後の荊州の防衛のことで苦悩していると勘違いしたのか、関羽のおっさんは心配無用とばかりに、
「なぁに、後の防衛は俺に任せておけ。曹仁を撃退した先の戦いで、敵は我が荊州軍に恐れをなしておろう。おいそれとは城に接近して来るまい。馬鈞師匠が開発した霹靂車と連弩があるかぎり安泰だ。それに漢水・淮河のラインで我が荊州軍の誇る楼船を展開しておけば、万一の場合でも水際で防衛することも可能であろう」
と胸を張った。
「さすが父上、頼りにしてます」
と言ったものの、なおも浮かぬ顔のオレを心配したのか、関羽のおっさんは「罠のことが気になるのか?」と声を掛けた。
「はい。……正直、罠破りの策が見つからず苦慮しています」
侯音への対処を間違えると、史実のように関羽のおっさんが敗死するフラグとなりかねない。念には念を入れておきたいのに。
「そういうことなら、罠に引っ掛かったフリをして敵の出方を窺うという手もあるぞ。ここはいったん、曹公救出の目標と切り離してみるか?!」
なるほど、大胆な関羽のおっさんらしい思い切った策だな。
「ああ、そうだ。夏侯淵将軍の子息の夏侯覇殿が興に会いに来たんだ。彼とは帝立九品中正学園のクラスメイトだったそうだな?おーい!」
関羽のおっさんの呼びかけに応じて現れた夏侯覇は、
「秦朗!我が友よ、懐かしいなっ!」
と言いながら大きく両手を広げ、今にもオレに抱擁せんと駆け寄って来る。ちなみに夏侯覇は、乙女ゲーム『恋@三』の攻略対象の一人(脳筋イケメン枠)だ。
オレは苦虫を噛み潰したような顔で、さっと身を躱す。
「わはは。相変わらずツレないな、親友」
「誰が親友だ?!っていうか、おまえ何しに来たんだよ?」
「決まってるだろ!おまえが曹操閣下を救出すると聞いて、俺も加勢できないかと考え荊州に駆けつけてやったわけさ」
「……」
うさん臭い目で見るオレの眼差しに気づいたのか、
「頼む!俺の親父も曹操閣下に従って陳倉に籠っているんだ。なんとか助けてやりたいんだよ!なぁ、俺もおまえの救援軍に同行させてくれないか?」
と懇願する夏侯覇。無碍に断るわけにもいかず、困ったオレが関羽のおっさんの方に向き直ると(おまえの判断に任せるぞ)とばかりに頷いた。やれやれだ。
「仕方あるまい。オレの客将として連れて行ってやる」
夏侯覇はホッとした様子で、
「助かるぜ。俺の親父の夏侯淵は、ずっと長安の守備を任されていた。だから俺もあの辺の地理には詳しい。案内役にはぴったりだと思うぞ」
「そうか。それはありがたい。たまにはおまえも役に立つんだな」
と社交辞令(嫌味?)を述べた。
三日後。
準備も整い、いよいよ出発の日だ。唐県には五千の守備兵を残し、二万の兵を五十隻の輸送船に乗せて南に向かって進めようとすると、夏侯覇はオレの指揮に物言いをつけて、
「待て、秦朗。陳倉は荊州の北に位置するんだぞ!どうして南に向かうんだ?唐県から陸路を北に進んで、真っすぐ宛城に向かえばよいではないか?」
オレは呆れて、
「あのなぁ。おまえ、戦は兵だけでできると思っているのか?戦に必要な物は何だ?武器・兵糧・薬それに金。まして、二万人×数か月分となれば莫大な量だぞ。兵站の運搬には陸路を行くよりも船を活用する方が断然有利だろうが!」
と諭すと、夏侯覇は焦って、
「それでは宛城に到達するのが遅……」
「? 宛城は荊州とはいえ、曹魏の領地だぞ。楽観的に見積もっても、包囲して陥落させるまでに一か月くらいは掛かるだろうな。それとも何か、早く宛城に到達せねば困る事情でもあるのか?」
「い、いや。決してそういうわけではないぞ。兵法に『兵は拙速を貴ぶ』とあるとおり、俺は速戦即決を目指した方が良いと思ってだな。一か月も掛かってしまっては、敵に迎撃の準備をするゆとりを持たせてしまうかもしれんことを危惧したまでだ」
「なるほど、おまえの考えも一理あるな。いや、勉強になった」
とオレは得心する。そのタイミングを見計らって甘寧が、
「おい坊ちゃん、そろそろ出航したいのだがよォ……」
と言って来たので、
「うむ。ボクちゃんは船の操舵のことはよく分からんから、おまえに任せる。善きに計らえ」
と応じた。夏侯覇はプッと吹き出し、
「ボクちゃんって…おまえ、学園の頃とキャラが変わってないか?」
と揶揄する。オレは諦め顔で、
「仕方ないだろ。いくら主君の子息とはいえ、オレは最年少のペーペー。船乗りは経験が物を言う。目上の者の命令には絶対服従が掟なのだ」
とこぼすと、「ふ~ん、おまえも苦労してるんだな」と同情された。
「というわけで夏侯覇よ。おまえはオレよりも新参者。おまえの居場所は水夫と同じザコ寝で我慢しろ」
「ちょっ…何だ、その理不尽な掟?俺は聞いてないぞ!」
「知るか!曹魏では古参の夏侯淵将軍の御曹司であるおまえの地位は高いのかもしれんが、ここではそれが通用しないことを肝に銘じろ。
オレだって個室が与えられているとはいえ、甘寧や鄧艾と一緒の三人部屋なんだ。嫌なら降りたっていいんだぞ?
そのうち分かって来るさ。こいつらの前では馬鹿のフリして「善きに計らえ」と答えるのが一番楽だ、ってな」
「くっ…分かったよ」
夏侯覇はしぶしぶ納得した。
水夫も兼ねた水兵どもが櫂で漕ぎ、船はゆっくりと岸壁を離れて出航した。風を切って河を下るのは心地よい。時おりカモメだかウミネコだかの鳥が餌を求めて船に近寄って来る。夏侯覇は鳥に好かれるのか、手乗りさせて戯れていた。
二日後、襄陽に到着。ここでさらに兵糧を積み込む。船室は積み荷でぎゅうぎゅうだ。
「なぁ秦朗……」
「しっ!目下の者が目上の者を馴れ馴れしく呼び捨てにするなんて、船乗りに聞かれたらどうする?!おまえ、鉄拳制裁を食らうぞ。ボクちゃんのことは甘寧に倣って“坊ちゃん”とでも言え」
と忠告すると夏侯覇は、
「くっ…ぼ、坊ちゃん。積み荷が増えて船室が狭いんだ。俺はまともに横になることもできねえ。ベッドとか贅沢は言わん、床にザコ寝でいいからおまえの部屋に入れてくれ」
「バーカ。善きに計らえ、とでも言うと思ったか?却下だ!」
「ど、どうして?」
「言ったろ、おまえは新参者。嫌なら降りたっていいんだぜ?」
「……ケチ」
夏侯覇は肩を落として、すごすごと引き下がった。少し可哀想かなと思ったオレは、
「ああそうだ、夏侯覇よ。耳寄りな情報だ。明日から我が軍は北上を開始する。ただ、河の下流から上流に向かって遡るから、航行には少し時間が掛かりそうだ。順当に行けば、四日で新野、二週間後には宛城の南に達するだろう」
「そうか、あと二週間……」
そう呟きながら去った夏侯覇は、甲板で一人また鳥と戯れていた。
あいつ、ああ見えて寂しがり屋なのか?!
>甲板で鳥と戯れる夏侯覇
鳥?鳩?あれっ、この物語の鳩って……




