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三国志の関興に転生してしまった  作者: タツノスケ
第六部・哀惜師友編
205/271

188.郝昭、陳倉に仁王立ちとなる

司馬懿が【先読み】した正史『三国志』によれば――


建安二十三年(218)、過酷な賦役に苦しんでいた南陽郡の領民を救済するため、義侠心に富む侯音(こうおん)は、三千の兵とともに謀反を起こした。付近の山賊を煽動し、(えん)の官吏・民衆ら数千人を捕虜とした。これを聞いた太守の東里袞は侯音の反乱に驚愕。領民や捕らえられた官吏を見捨てて真っ先に(えん)城を脱出し、親友の揚州刺史・温恢のもとへ逃げ込んだ。


この頃、荊州の関羽が魏の樊城を包囲して優勢に戦いを進めており、宛の侯音や陸渾の孫狼ら反乱軍は、関羽の軍勢をあてにして帰服した。関羽は彼らに印綬や称号を授け、魏領内の撹乱を命じたという。


曹操は事の緊急を悟り、将軍の龐徳を遣わして侯音討伐へ駆けつけさせた。これにより東里袞・温恢らは驚喜し、反攻に転じて宛城を攻撃した。侯音は籠城して関羽の援軍を待ち続けたが、龐徳らの猛攻で宛城は陥落。侯音は捕虜となり、配下とともに処刑された。


司馬懿は【先読み】のスキルを駆使し、この戦史になぞらえようとしているのだ。


「故事に「隴を得て蜀を望む」と言うではありませぬか!人間の欲望は止めどない。先の戦いで樊城と新野を奪った秦朗は、侯音(こうおん)から(えん)城への内通の(ふみ)が届けば、ホイホイと(えん)城まで進軍して来るのは必定。

 こうなれば、次は自領が狙われると知った馬超を参戦させる十分な動機となりましょう。両者が死力を尽くして戦い消耗したところで、曹丕殿下と司隷の我が軍が左右から挟撃して秦朗を仕留めます。さすれば我々の軍は軽微な損害で済む一方、馬超の軍事力を削ぐこともできて一石二鳥」


(無傷の我が軍はそのまま荊州に進撃してかの豊かな地を占領し、私は司隷・荊州にまたがる一大勢力に飛躍するのだ。なんなら続けて馬超の雍・涼州に軍を進めてもよい。四州を元手に天下を狙ってみせる!)


そんな司馬懿の思惑には気づかず、献帝は素直に感心して、


「う~む。敵の心理を逆手に取った見事な策じゃ!さすが朕の見込んだ軍師。馬超をも欺かんとする所が心憎いのう、フフフッ」


「お褒めに預かり光栄です。すでに(えん)城には荊州軍の(ネズミ)が忍び込んで、なにやら(うごめ)いている模様。念のためにもう一つ、秦朗に罠を仕掛けておきましょう」


司馬懿はニヤリと笑うと夏侯楙(かこうぼう)を呼び出し、何事かを指示した。


挿絵(By みてみん)


◇◆◇◆◇


一方、曹操が籠城する陳倉では。

馬超が精鋭の涼州軍数万を率いて押し寄せて来た。守兵が一万しかいない曹操は、当然籠城を選択する。

ここが陥ちれば曹操の命運は風前の灯火、と思われたが、曹操には一縷の望みがあった。


勇敢で膂力に長けた郝昭(かくしょう)は、河西の地を治めること十数年、領民や異民族は彼によく懐き、そして服従した。楊阜は厳格で法による統治を徹底したので、官吏は彼を畏れ憚りまた粛然とした。この二人がいる限り、陳倉城がよもや自分から城門を開いて敵に降伏することはあるまい。


馬超率いる涼州軍は騎兵が主体で、平地での戦闘にはめっぽう強いが、攻城戦には不向きである。

自らの軍の欠点をよく知る馬超は、陳倉を包囲すると郝昭(かくしょう)の親友である靳祥(きんしょう)を派遣して、まずは降伏を呼びかけさせた。


郝昭(かくしょう)、君の忠義は立派なものだと感服する。だが、時代の趨勢を見よ。あれほど権勢を誇った曹操は逆賊となり、我が馬超将軍に大敗して、こんな辺境の城に逃げ込むありさまだ。兵の数も多勢に無勢、それに新たに忠誠を誓った漢の天子様から最新鋭の攻城兵器も譲り受けている。百戦錬磨の君の眼にも、戦の勝敗はすでに結果が見えておろう。

 今ならまだ間に合う、曹操を見捨てて帰順すれば恩賞に預かり、敵を滅ぼす功績を上げた将軍として永代(とこしえ)に君の栄誉が伝えられるのだ」


それを聞いた郝昭(かくしょう)は鼻で笑い、


「わしは長年将軍として魏に仕え、多大の恩顧を受けておる。それに君はわしの意固地な性格も知っておろう。敗勢とはいえ曹操閣下を裏切り、今さら命乞いして恩賞に預かろうなど卑怯な真似はしたくない。死を賭して戦うだけだ。君は帰って馬超に伝えよ、我らは受けて立つまで。すぐに攻撃してよいぞ、とな」


「だが僕は……」


「しつこいぞ、靳祥(きんしょう)!幾ら説得を試みようと、わしの決意は変わらない。わしは君を知っているが、この矢は君のことを知らない。放てば当たるやもしれぬぞ!」


と言って、郝昭(かくしょう)は矢をつがえた。靳祥(きんしょう)は慌てて立ち去り、馬超に「無血開城は不可能です」と報告した。


「ふむ……」


馬超は考えた。陳倉城に籠る兵は一万にすぎず、また曹操に味方する救援軍などおるまい。そう高をくくり、司馬懿を通じて借り受けた雲梯・衝車を発進させて陳倉城への攻撃を開始した。


ちなみに雲梯とは、移動可能な高いはしご車のことで城壁をよじ登る攻城具、また衝車とは先端の尖った太い鉄槌が(くく)り付けられた戦車のことで、主に城門の破壊や時には城壁の破砕に使用される。


守る曹操軍は、郝昭(かくしょう)の指揮のもと、火矢を放って雲梯に射かけたところ、はしごは炎上し上にいた者はみな焼死した。郝昭(かくしょう)はまた縄で縛り合わせた石臼を城壁の上から落下させたところ、衝車は押し潰されて砕けてしまった。


馬超は改めて、高さ百尺の井欄(せいらん)(井桁で組んだ移動可能な(やぐら))を作ってそこから城中に矢を放ち、土の塊で堀を埋め、まっすぐに城壁によじ登る策を講じた。これに対し、郝昭(かくしょう)は内側に二重の牆壁(しょうへき)を築いた。馬超がまた坑道を作って城壁の内部へ出ようとしたところ、これを察知した郝昭(かくしょう)は城内で地中を掘り抜き、この坑道を横に切断して妨害した。昼夜を問わず攻防戦が続くこと一か月あまり、馬超は打つ手がなくなり苛立ちを隠せずにいた。


そこへ。


「馬超将軍に連絡!荊州の関羽軍が陳倉へ向けて出撃。敵将は秦朗。将軍はただちに武関を越えて(えん)城へ向かい、これを迎撃せよとのこと」


と、漢の朝廷から早馬の伝令がやって来た。


「関羽か、強敵だな。だが、敵将は秦朗だと?聞かん名だが……ああ、あの生意気な(ふみ)を寄越して来やがった青二才か」


馬超は鼻で笑う。龐徳が諫めて、


「なれど、曹魏軍が荊州へ侵攻した先の戦いでは、秦朗の繰り出す計略に翻弄されて多大な犠牲を出し、さらに敵の新兵器に阻まれてあっけなく撃退されたとか」


「フン。どうせ大将の曹仁が奴の戦力を甘く見て油断したんだろう。面白い、俺が相手してやる。

者ども、こんな小っぽけな陳倉などいつでも陥とせる!が、ここは大事を取っていったん作戦を変更しよう。まずは救援軍を叩きのめして曹操の希望を打ち砕き、戦意を喪失させて降伏に追い込むのだ!」


「「おうっ!」」


皇甫(こうほ)(れき)、張魯から兵糧をありったけ調達しろ。(えん)城で秦朗軍を壊滅させた後は、勢いに任せて荊州本国へ侵攻だ!なぁに、半年で片を付けてやるっ!」


馬超は陳倉の包囲を解くと、(えん)城へ向かって進軍を開始した。


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