20.関興、出生の秘密を知らされる
とりあえず、この回で第1部は終了です。
「三国志の関興に転生してしまった」が面白いと思われましたら、
★★★★★をお願いします。続きを書く励みになります。
「ところで坊や。名前は何と申す?」
坊やって。オレはガルマ・ザビかよ。
「関興です」
「いくつだ?」
「四歳です」
「うーむ。関羽よ。もしや関興は、あの時アレがおまえに下げ渡した子か?」
「……はっ。恐れながら」
「やはりな。わしの四歳の息子の林に瓜二つじゃ」
曹林ってたしか史実では秦朗の異父弟……つまりオレの母親って、秦宜禄の妻だった杜妃なんだ!
っていうか女神のヤツ、オレの前世の名前が秦朗だからって、転生した関興に秦朗の生誕秘話をぶっ込むなんて、安直すぎるだろう!
杜妃。
時はさかのぼり曹操による呂布討伐戦の頃。
徐州の城内に立て籠もる兵士・秦宜禄の美人妻に、前々から一目惚れしていた関羽が、城が陥落した際の褒美に彼女を嫁にしたいと曹操にねだった。一度は了承した曹操だったが、物のついでに彼女を見た。ら、自分の好みのタイプだったので、曹操は関羽に渡さず自分の側室に入れた、という嘘のような本当の話。
だがこの世界では、曹操は関羽との約束を守ったのか、杜妃は最初、嫁として関羽に下賜されオレが誕生。その後、杜妃は曹操の側室に召し上げられて曹林が生まれた……ということなのかな?
まあ、母親が同じであれば、オレと曹林は似ていてもおかしくはないが。
いや待て。
オレと曹林が同じ四歳だってことは、オレたちは双子なんだよな。一人は曹操の子、もう一人は関羽の子として認知されたんだ。
えっ?!
じゃあ、曹操と関羽は杜妃と3Pしちゃって十月十日後、双子の赤ちゃんが生まれたんだけど、どっちが父親か分からないから、責任取って一人ずつ育ててね☆ってわけ?
だったらオレの実の父親は、曹操って可能性もあるわけで……そりゃ、関羽のおっさんがオレの出生にまつわる話をしたがらないはずだわ。
……うっわ、知りたくなかったそんな事実。
俺が頭を抱えていると、追い打ちをかけるように曹操が切り出した。
「なあ、関羽よ。興をわしに譲ってくれぬか」
ぎゃあああーっ!いーやーだっ!!
絶対言い出すと思ったぜ!オレは断固拒否するぞ。
「閣下のおっしゃる意味が分かりません。オレは父上の息子です」
「だが許昌には坊やの母親がおる。美人の侍女に囲まれて、なに不自由なく暮らせるのじゃ。美味しいお菓子もいっぱいあるぞ」
ふん。転生者のオレが母親の杜妃を懐かしむはずがあるまい。
24歳だった前世の俺なら、美人の侍女に囲まれる生活は憧れるだろうけど、所詮彼女いない歴=年齢のこじらせ童貞。美女の口説き方とか知らんし。
四歳児の今のオレには、美女を押し倒したいという性欲なんてないし。
それに史実では、曹操の息子たちは兄弟仲が非常に悪く、曹丕の時代にはみんな暗殺されるか左遷されて、囚人の方がマシと呼ばれる悲惨な暮らしに落ちぶれるんだ。そんなの絶対イヤだ。
「母には会ったことがないので、今さら名乗り出られても戸惑ってしまいます。
それにオレは生まれてから四年間、父上ひとりの手で育てられました。
オレは家族――父上と平兄ちゃん、妹の蘭玉――のことが好きだし、今の暮らしが大切なのです。仮に実の父母が別に存在しようと、オレが心から感謝している親は関羽ただ一人です」
そう告げたオレの言葉に曹操は苦笑して、
「しかたあるまい。坊やをわしの息子とすることは今は諦める。
だが、年に一度はわしに顔を見せよ。唐県令の代理として、朗陵県令・田豫とともに計吏報告に参るがよい」
後漢の統治では、各地の郡守・県令は毎年一回、都の天子様に内政状況と税の収支を報告する義務が課せられている。我が唐県は荊州牧の劉表が支配し、曹操の傘下ではないものの、建前上は後漢の天子様に属する。よって、オレが計吏報告に都へ上ることは、道義的におかしくない。
確認のために関羽のおっさんの方を見ると、おっさんはオレに頷き返した。
「分かりました。田豫様、未熟者ですがよろしくお願いします」
「うむ。任されたぞ」
田豫は笑いながら承知した。
◇◆◇◆◇
……いよいよだな。
来年には広陵太守の陳登が死ぬ。
亡き孫策様の仇敵だ。
奴が許貢の残党を嗾けたせいで、孫策様はあえない最期を……。
広陵は江東の咽喉元に突き付けられた匕首、それをようやく取り除ける。
曹操は、今しばらくは華北の袁家残存勢力の殲滅に力を注ぐはずだ。たしか207年が袁家滅亡の年。それまで4年の猶予がある。
史実ではこの後、孫呉は亡き孫堅様の仇敵の黄祖を滅ぼし、荊州の併呑を目指したのであるが、それでは孫家の天下統一の野望は成功しなかった。
だが転生者の私が知る史実と【風気術】スキルを活用すれば、あるいは……。
そう、私が軍師なら。
孫策様が秘かに狙ったように、曹操が華北に出陣した留守の隙を突いて許昌を襲い、漢献帝を掌中に収めて江東に行幸させる。都を建業に遷し、江東で覇を唱えるのだ!
今こそ孫呉の勢力を江北淮南に伸張する絶好の機会と言えよう。
ならば、袁軍閥に援助して勢力を盛り返させ、曹操を華北戦線の泥沼に嵌めてもらわないとな。
フフフ。孫権様に私の【風気術】を開陳するとしよう。
呉範はひとりごちた。
呉範は実在の人物で、呉志巻十八に呉範伝が立てられています。
呉範は会稽の上虞の人なり。暦数を治め、風氣を知るを以て、郡中に聞こゆ。災祥ある毎に、輒ち数を推して言状せり。其の術効多し、遂に以て名を顕はす。
【訳:呉範は会稽郡の上虞の人である。暦法を修め風気の術を知っていることで、会稽郡中に彼の名前が知られた。災厄や吉祥があるごとに、その兆しを推測して予言を上聞したが、その術がしばしば効験を表したので、有名になった】
彼は江夏郡の黄祖の敗亡、荊州牧・劉表の死、劉備の巴蜀奪取、関羽を捕らえた樊城の戦い、夷陵の戦いが起こる年と結果を的中させ、孫呉を戦勝に導く上で大いに貢献したらしく、孫権の軍師を自称しています。
それが本当に事実なら、彼は史実を知っていたとしか思えません。
というわけで、この物語では呉範を「第三の転生者」としています。
 




