02.関羽、劉備に諫言する
正史準拠のこの世界では、劉備は聖人君子などではなくただのクソ野郎でした。
荊州の牧・劉表は漢の皇室の遠縁ながら、乱世にあっても中立を守り徹底的に戦を避けた。そのため、荊州の地には各地から士大夫や避難民が押し寄せ、文化・商業が急速に発展し、人々は平和を謳歌した。
劉表は今日、良く言えば平和主義者、悪く言えば臆病な日和見主義者と揶揄されるが、戦乱の世にあって二十年もの間、領内の平和を実現したことは高く評価されるべきだとオレは思う。
さて、劉表は亡命して来た劉備一行を温かく迎えると、劉備を漢水の北、新野県の県令に任命して兵五千を与え、北方の守りの押さえとした。
「豫州牧の肩書を持つ劉備殿には物足りなかろうが、新野県は曹操軍から荊州を守る要害の地。なにとぞお引き受け下され」
と頭を下げた。
「かたじけのうござる」
劉備は謹んで拝命した。
◇◆◇◆◇
俺たちが荊州に到着したのは、劉備が新野の県令に着任した十日後のことだった。
「ずいぶん遅かったな」
劉備は関羽のおっさんに不機嫌そうに吐き捨てた。
「申し訳ござらぬ。曹操軍を辞去するのに手間取りまして……」
「フン。曹操めに漢寿亭侯という高い位を授与された無敵の関羽様は、さぞや曹操軍の居心地が良かったんだろうよ」
「将軍、何をおっしゃいます?!」
「やかましい!おまえに文句の一つも言いたくなるだろう!先の白馬津の戦いではおまえが手加減なしに顔良・文醜の二将を斬り殺したせいで、俺は袁紹軍に居辛くなって、荊州に亡命せざるを得なくなったんだ。
まして、あの君子面した劉表が俺に授けた役職が県令だぞ!
こんな屈辱的なザコ扱いをされても、ありがたく拝命しなければならなかった俺の身にもなってみろ!」
「……申し訳ござらぬ」
「謝って済む問題ではないだろう!あーあ。豫州牧の俺様が、たかが県令とはちゃんちゃらおかしくてやってられねぇや。そうだ。関羽、おまえに県の尉を命ずる。俺に代わって新野県をうまく治めろ。文句は言わせねえ」
「……畏まりました。身を粉にして働きます」
おいおい、どうなってるんだ?
これじゃ、前世の俺とパワハラ上司の関係と変わりないじゃないか!三国志演義に載る“桃園の誓い”の話はフィクションにしても、関羽は劉備の盟友だったんじゃないのか?
バブーとオレが抗議すると、
「うるさい!俺は子供が嫌いなんだ、そいつを黙らせろ!」
と癇癪を起す劉備。だろうな。敵軍から逃げる際に、二度も自分の子供を見捨てるような人でなしのおまえなんか、オレだって好きになれそうにない。
「……劉備将軍は人が変わった」
関羽のおっさんがつぶやいた。
「なんだと?」
「なあ、将軍。義勇軍を立ち上げた頃の、当初の志を思い出してくれよ!
漢の王朝は傾き崩れ、逆賊が世にはばをきかせ、天子様は都を追われてしまった。我々の力は微弱だけれども、忠義の心は誰にも負けぬ。天子様のご正道をお助け申し、力の限り戦って再び天下に大義を打ち立てようぞ、と。
初めて賊を撃ち破り、軍功が認められて官職を授けられた時はうれしかったなあ。もっと手柄を立てたい。もっと役に立ちたい。俺たちは皆その一心で戦場を駆け抜けたもんだ」
「フン、そんなこともあったな」
劉備は関羽の思い出話をつまらなそうに聞き流す。
「しかし将軍は、ある時期からどこか変わり始めた。もしや、将軍の目標が自らの富貴栄達を図ることにシフトしたのではないか?
もちろん、富貴栄達を望むことが悪いとは思わぬ。
だが忘れてならないのは、我々が天下に大義を回復し手柄を立てた結果が富貴栄達であって、自らの富貴栄達を手に入れるためにただ暴れ回るならば、それは単なる匹夫の勇」
「……」
「俺が思うに、将軍が変わってしまった原因は、陶謙殿が治めていた徐州の乗っ取りがあまりにもうまく行ったせいなのでは?」
関羽の図星に腹を立てた劉備は、
「黙れ、関羽!あれは乗っ取りなんかではない。俺は皆に推戴されて、やむを得ず徐州の刺史を引き受けてやっただけだ。口の利き方に気をつけろ!」
「いいや、この際言わせてもらう。
将軍の意志がどうあれ少なくとも第三者の目には、劉備将軍は公孫瓚・陶謙・呂布・曹操・袁紹と渡り歩き、そのたびに裏切りを繰り返しているようにしか見えぬ。
将軍の耳には、あいつは信用ならないとの悪評が聞こえては来ぬか?」
「ケッ。悪評も無名よりはマシとの格言を知らんのか?!
おかげで俺はどこへ行っても有名人だ。見ろ。荊州でも賓客をもてなすような待遇で、俺はエセ君子の劉表から盛大に歓迎されたぞ。
あとは忠義実直の俺様が軍議の場で正論をふりかざし、一騎当千のおまえらが国境を越えて攻めて来た敵をやすやすと撃退すれば、民衆はエセ君子の劉表よりも俺の方が頼り甲斐がある、劉備将軍こそ州牧にふさわしいと勝手に祭り上げてくれるだろう。
それから機を見て城を奪うか、劉表の死を待って次の州牧の座を譲り受けるか……フフフッ。俺の手を汚さずとも、荊州一国が転がり込んで来る寸法よ」
劉備は唇の端を上げて不敵に笑う。
「劉備将軍、目を覚ましてくれよ!俺は今の貴殿が恐ろしい」
関羽が諌める。劉備は関羽の胸ぐらを掴み、
「馬鹿め!道理が分からぬのは関羽、おまえの方だろうが!
曹操も袁紹も四州に覇を唱え、数十万の兵を有する。一州すら領有せぬ俺が今さら一から始めようとしたって、もう手遅れなんだよ!
仮にそこらの賊を討伐しても、授けられる官職はせいぜいどこぞの県令。そこで調達できる兵の数は千程度。
なあ、正義の味方を気取る関羽様よ、おまえに問おう。
千の兵で、どうやって曹操や袁紹に対抗するつもりなのだ?」
「そ、それは……」
「いいかげん、青臭い理想論なんか捨てて現実を見ろ。
おまえのような理想論を振りかざすだけじゃ、奴らに対抗するのは不可能なんだ。
だから俺は、どんな手を使っても十万の兵を有する荊州を手に入れることが、一刻も早く大義を実現するための必要悪だと考えている。違うか?」
関羽は涙を流しながら、
「……もうやめてくれ。そんな卑怯な行為は人の道に外れておる!貴殿は修羅の道を歩むおつもりか!?」
「黙れ!こうなったのは、誰のせいだと思っている!
俺はかつて、張飛のミスで呂布に一州を奪われた。アホのあいつに城の留守を任せてしまった俺の采配ミスもあっただろう。
だが今回は明らかに、曹操の手先となったおまえのせいだ。
来たる官渡の戦いで袁紹が曹操を圧倒すれば、俺は褒美として豫州を手に入れる算段だった。それなのに、俺は疑われ袁紹軍を追われてしまった。
豫州を領して袁紹に反旗を翻し、残った曹操や劉表と結べば、十分に袁紹に対抗できたはずなのだ!
俺の深謀遠慮を潰したくせに、信用ならない裏切り者だの乗っ取りをたくらむ卑怯者だの、散々な言われ様だな。飼い犬に手を噛まれるとはこのことよ」
やい劉備!オレの父上を犬呼ばわりするとは、何様のつもりだ?!
バブーと抗議するオレの口を、慌てて塞いだ関羽のおっさんは頭を下げて、
「劉備将軍の謀りごとに気づかず、顔良らを殺してしまったことは浅はかだったとお詫びする。
だが曹操閣下は強いぞ。俺がいなくとも、袁紹殿が曹操閣下に勝てるとは思えん。貴殿の思いどおりに事が進むとは……」
「ええい、おまえの弁解など聞きたくない!下がれっ!」
関羽のおっさんはふうっと溜め息を吐いて、新野の県城から退出した。
ちなみに「県令」は、現代日本で言うところの県知事ではなく、小さな村の村長のこと。「県尉」は村役場の課長クラス。一方、県知事に相当するのは「郡太守」。すなわち、日本とは県と郡の関係が逆転しています。
また「州刺史」別名「州牧」は、いくつかの郡太守を束ねて統率しており、大きな権力を有していました。