182.思惑
●建安十六年(211)三月 許都・大極殿
孫紹「……空席となっている揚州都督の後任人事はお決まりでしょうか?」
(ほほう。こいつは揚州都督の後釜を狙っておるのか)
と察した献帝は、
「任に堪え得る人物をもう少し見極めた上で、誰を充てるか朕が決めたいと思うておる。もちろん孫紹よ、そなたも候補の一人じゃが……」
ともったいを付けたところで曹丕が、
「その件なら、すでに曹仁に決定しておる」
と口を挟み、献帝の話の腰を折る。
(なっ……!)
「そもそも曹魏が有していた八州の刺史・都督を任命する権限を持つのは、陛下ではなく父上の後を継いだ俺であろう。
寿春で叛乱を起こした曹熊の鎮圧戦でも、曹仁は大将として活躍した。陛下の言う、任に堪え得る人物としても申し分ないはずだ。
それに先の荊州討伐戦では、秦朗は手強いぞと俺が忠告したのに、陛下と司馬懿は奴を軽んじて拙速に事を進め、返り討ちにあった。そのせいで、曹仁は敗戦の責任を一人でかぶり荊州都督の座を退いたのだ。かわいそうじゃないか?!
その件で俺も程昱や陳羣らにネチネチと嫌味を言われ続けているんだぞ!
ここは論功行賞で、是が非でも曹仁を揚州の都督の地位に復帰させてやりたい。これだけは、陛下や司馬懿が横槍を入れようとしても絶対に譲れぬ」
と頑として聞かない。
(チッ。融通の利かぬ愚か者め)
と献帝は舌打ちする。
座が白けたのを感じたのか、それとも別の理由からか、孫紹はホッとした様子で、
「なるほど、曹仁殿なら適任ですね。さすが曹丕殿下、配下部将への目配りが行き届いておられる。勉強になります」
と話題を引き取った。そうしてわざとらしく拝謁の時間がとうに過ぎていることに気づいたそぶりで、
「陛下並びに曹丕殿下、本日は貴重なお時間をいただきありがとうございました。せっかくの機会ですので、私は許都の見物でもして帰国しようかと思います。では、これにて」
と言って宮殿から退出した。
(孫紹め、なかなか油断ならぬ奴。【風気術】師の呉範から奪った『三国志』の中では、大した人物ではなかったはずだが……バックに優れた人物が輔佐に就いているのか?やはり周瑜は生きておる、か?)
孫紹を見送った司馬懿は、その姿が見えなくなると曹丕を諭した。
「……殿下、私は曹仁殿を揚州都督に任命すること自体には賛成です。なれど、あの場で馬鹿正直に即答したのはいただけませんな」
「何故だ?孫紹の若造が、分不相応にも都督の座を狙っておることは一目瞭然だろう。その野心に前もって釘をさしておくことの何が悪い?」
「確かに、孫紹が都督の座を狙っておることは殿下の慧眼どおり。しかし、あの場面では野心を抱く孫紹を操り、我らの手駒として使えるよう、もう少し上手く謀れたはず。
殿下の一言で、荊州の関羽と裏で繋がっている可能性がある孫紹を、切り崩してこちらの陣営に加える絶好の機会をフイにしてしまったのです」
司馬懿の正論に曹丕はキレて、
「ええい、うるさいっ!俺は、曹魏領内の軍事指揮権を司る都督の任命権に、陛下が調子に乗って口出しするのを止めただけだ。
なあ司馬懿、俺が世間で何と言われているか知っているか?“漢帝の犬”だぞ!英雄の志を持った父上の覇業を台無しにした、無能な二代目と評されているんだ。
俺はもう、陛下の言いなりにはならない。曹魏の経営方針は俺が決める。おまえの主人はあくまでもこの俺だ。それを忘れるなっ!」
と吐き捨てた。
(フン。能なしのくせにプライドだけは一丁前に高い。こいつは『三国志』の種本どおりだ。なればこそ、私が操りやすい傀儡に選んだわけであるが……。
それはそうと、董桃は何をやっているんだ?!曹丕の献帝への忠誠度が下がっておるぞ。【魅了】の効果が薄れておるのではないか?)
そのとおり。
もともと董桃の好みのタイプだったチャラ男の攻略対象・夏侯楙は、近衛師団長に復帰すると、再び董桃と懇ろな仲になり、暇を見つけてはデート+“茶屋”で逢引を重ね、放置された曹丕は嫉妬にかられているのだ。
「私はまだ司隷と荊州の都督の座しか得ておらぬ。少なくとも、曹丕が領有する冀・兗・青・豫の四州を掠め奪るまでは、私の操り人形として奴に働いてもらわねば……」
と司馬懿は独り言ちた。
◇◆◇◆◇
●建安十六年(211)三月 許都 ◇関興
孫紹が宮殿から退出して来るのを待って、オレたち一行はお供の行列の中にさっと紛れ込んだ。そうしてオレは孫紹の乗る駕籠に近づき、
「孫紹君、こちらの救出作戦は首尾よく行った。ありがとな」
と礼を述べた。孫紹は駕籠の窓をすっと開けると、中からジト目でオレの方を凝視して、
「関興君はお気楽でいいね!こっちはヒヤヒヤものだよ。
天子様の威厳は恐れ多いし、司馬懿の猜疑の目を躱すので精いっぱいだし、おまけにあの人は陛下に揚州都督の座をおねだりしろ、上手く行きそうなら関興君を裏切って、君の身柄を差し出そう――なんて恐ろしい謀略を立てるんだもん」
ああ、やっぱりな。
オレは、孫紹の裏に控えるあの人がオレの思い描く人物ならば、必ずやオレたち荊州軍閥との同盟と揚州都督の座を天秤にかけると踏んだ。そして献帝や曹丕が孫紹のおねだりを聞き入れた時は、迷わずオレを捕らえ、奴らに引き渡すだろうことも読んでいた。
だからオレは斥候の猿に命じて、曹丕が献帝に言いなりに成り下がった“漢帝の犬”との流言を広め、それを耳にしたプライドの高い曹丕が、献帝の出す提案をことごとく拒絶するよう、あらかじめ対策を練っておいたのだ。
「それで、結果はどうだったの?」
「曹丕殿下が頑なに揚州都督には曹仁を任命するって主張して、そのとおり決まったよ。だから、あの人の謀略も空振りさ。関興君、命拾いしたねぇ」
と恩着せがましく告げる。さすがに君も裏でこんな謀略が仕掛けられていたとは見抜けなかっただろう?と言いたげに、ちょっと得意そうな顔で。
「それと、これ。あの人から関興君にって」
???
なんだろう?孫紹から手渡された文を広げると。
――この野郎、後で公開説教だ!きっちり絞めてやるからな!ちゃんと言い訳を考えとけよ。
うわー怒ってる(冷や汗)。船に戻るのは気が重いな。
「やれやれ。分かりましたって周瑜提督に伝えといて」
孫紹はゲッと絶句して、
「えっ、待って。僕はあの人としか言ってないよね?なんで周瑜提督って分かったの?!」
「フフン。企業秘密♪」
「ねぇ関興君!ちょっと待ってってば!」
オレはウインクして孫紹の駕籠から離れた。そう簡単に教えてたまるか、こっちは周瑜に説教されるんだ。そして鴻杏と甄洛が並んで歩く列に戻ると。
「あのね、秦朗君。私、気になることがあって……」
と鴻杏がささやく。またか。オレが転生者かも?って疑いは晴れたんじゃないのか。
「えーと。こんどは何?」
「これで甄妃様と私は、きっと許都を脱出できるのよね?けれど、曹麗様は周りがみんな敵の真っ只中に一人残されちゃうの。そのことを私が心配すると、
《大丈夫よ。私は乱世の姦雄・曹操の娘、穢ない政治の世界に足を踏み入れる宿命だもの。それに私は、政略結婚で皇帝陛下に嫁がされた身。これっぽっちも愛情を感じていない陛下よりも、お父様のお味方をするのは当然。いざとなったら、辱めを受ける前に自害する覚悟はできてるわ》
って。そして自害という過激な言葉に驚いた私に、
《やぁね、もしもの話よ!私は漢帝の皇后、玉体よ。たとえ丕兄さまであろうと、私を害することなんてできやしないわ》
なんて笑い飛ばしてたけど、本当はすごく辛そうだった。
ねぇ秦朗君。私、なんだか不安なの。曹麗様がなにか思い詰めてるんじゃないか?って」
くそっ!
オレは拳で頭を殴った。
なんで気がつかなかったんだ?!
甄洛と鴻杏を救出しなさいって曹麗の命令を鵜呑みにして、必死になっていたけど、一番危うい身は皇后の曹麗じゃないか!早く彼女の身を助け出さないと。
「ごめん、すぐに戻る。先に船に行ってて!」
と鴻杏に告げて、オレはお供の列を離れた。
関興はこれ幸いと逃げたわけではありません、念のため。
孫紹のステータス 統率74 武力69 知力73 政治75 魅力76。だいぶ成長した。




