180.董桃、虚勢を張る
「……ねぇ、ヒロインのあたしと組まない?秦朗クンが取巻きになろうとしていた曹沖は、もう死んじゃったのよ。あたしは天子様の娘で、将来魏の皇帝となる曹丕と結ばれ皇后になる。あたしの取巻きに乗り換えれば、望みどおりあんたも富貴になれるわ!」
と猫なで声で摺り寄る董桃だが。
残念ながら、おまえの【魅了】スキルはオレには効かないぞ。
「おめでたい奴だな。本気でそんなこと信じてるのか?」
と鼻で笑う。せっかくの誘いを一蹴された董桃は怒りを露わに、
「なんですって!?」
オレは肩をすくめて、
「あんたはきっとこう思ってるんだよな?
――曹操が伏皇后を弑した時に彼女の生んだ二人の皇子も誅殺されたから、現状、献帝には三人の子しか残っていない。病弱で余命わずかの兄皇子と乳飲み児の弟皇子、それに董貴妃が秘かに生んだらしいあんたの三人だ。
今、仮に献帝に不慮の事態が起こった場合、皇位を継承するのは誰か?
兄皇子が即位しても、病気が重くなって半年も経たずに亡くなるだろう。では乳飲み児の弟皇子か?いや、それはあり得ない。下手に幼帝を即位させれば、曹操や司馬懿などの権臣に漢を簒奪してくれと言ってるようなものだ。
とすれば、次の皇位に即く可能性が最も高いのは董桃、あんたということになる」
「そうよ!悪い?」
「べつに。だが、オレの予想とは違うんだよなぁ。
中国は儒教の国、徹底した男尊女卑の世界だ。漢四百年の歴史で皇女が皇帝に即位した例などない。もちろんそれ以前の歴史を振り返ったって、一度もない。皇女にすぎないあんたの地位は、残念ながらずっと低いんだよ。
それに献帝はまだアラサー。人生五十年と短いこの時代の寿命としても、あと十年、二十年は生きられる。今は乳飲み児だった弟皇子は、その頃には立派に元服しているだろう。
あるいはこれから寵姫との間にできるであろう子どもを、新たな皇太子に立てる可能性だってある。
つまり献帝にとって、皇女のあんたは意中の跡継ぎが成長するまでの時間稼ぎ用の駒。いずれ邪魔になって使い捨てにされるだろう。
あんたが思い描くような、バラ色の未来が訪れるはずもない」
「う、嘘よ!」
顔を青ざめる董桃。
「嘘なもんか!そんなことは、あんたがつるんでる司馬懿だって百も承知だぞ。なにしろ司馬懿の奴、史実では漢を滅ぼした魏を乗っ取って、新たに晋王朝を建国するんだからな。
あいつはおまえや曹丕を踏み台にして、漢を滅ぼし帝位を簒奪する野望を秘めている。そんな司馬懿が唯々諾々と献帝に従っているはずがない。
……はずなんだけど、う~ん。そんな極悪人の司馬懿がいま漢の献帝に従順に服従しているのは、何か裏に魂胆があるのか、逆に弱みを握られているのか……オレには本当の所はよく分からんが」
とオレは首を傾げる。まあ、魏に帝位を簒奪される献帝と、将来魏を乗っ取ろうと謀む司馬懿が、今のところは魏を共通の敵としてタッグを組んでいるという理解でいいのだろう。
一方、董桃は秦朗の勘の鋭さにギクリとしていた。
(形見のブローチが偽物だったせいで、あたしが本物の献帝の娘じゃないことが、献帝にバレちゃったからよ!)
なんて秘密は、絶対にコイツに知られてはならない。
「あ、あたしは天子様や司馬懿に“傾国の美女”って褒め称えられてるのよっ!二人ともあたしに甘々なの。分かる?あんたみたいなモブとは格が違うんだから!」
と虚勢を張る。
なるほど、そういう魂胆か。
司馬懿の悪だくみを察したオレは、董桃を煽ろうと大仰にハァ…と溜め息をついて、
「あんたさ、“傾国の美女”の本当の意味を知ってるか?」
「当たり前じゃない!クレオパトラや楊貴妃に並ぶ絶世の美女ってことでしょ」
「それは表面上の意味。王の心を惑わし、その色香に溺れて政治を顧みず、国を亡ぼす遠因となった悪女を指すんだ。
中国の歴史で有名なのは、殷の紂王の寵姫だった妲己、呉王夫差の寵姫だった西施かな。敵が送り込んだハニートラップの二人は、悲惨なことに、国を滅ぼすことに成功したら用済みとして、敵の首謀者に始末されてしまうんだぜ。
あんたが献帝や司馬懿に“傾国の美女”と呼ばれてるってことは、奴らは曹魏を乗っ取ろうと謀み、ハニートラップ要員としてあんたを曹丕に近づけたってことだろう。曹魏を倒した後、用済みとして消されないよう注意することだな。
……ま、これはオレの単なる想像にすぎないけど」
勘の鋭い秦朗が発した怖い想像に、董桃は思わず身震いし、
「そ、そんな……」
「そうでもなけりゃ、なんで司馬懿があんたを牢から出してやるんだ?そんな優しい親切な男じゃないことくらい、つるんでるあんたが一番よく知ってるだろうに」
確かに。董桃は司馬懿に出会ったあの時の状況を思い返した。
《曹丕を陥として将来は皇后になってみせると豪語したくせに、曹操に断罪されてこのザマとは、口ほどにもない奴め》
《なによ!あたしを笑い者にしに来たわけ?そうじゃなかったら、さっさとここから出しなさいよっ!あたしは漢の天子様の娘なんだからね!粗末に扱ったら後でひどい目に遭うんだから!》
《ほざけ。おまえが偽物ということくらい、とっくに調べ上げておる。だが、この期に及んでまだそんなハッタリを噛ませる度胸と、性悪のくせに何食わぬ顔で媚びを売りまくる厚顔無恥に免じて、牢から出してやらんでもない。
どうだ、私の忠実なしもべとならないか?》
《しもべ?》
《そうだ。おまえも将来、漢に替わって曹丕が魏の皇帝となる【先読み】の史実を知っているのだろう?私は曹操を亡き者とした後、曹丕を操る陰の実力者として君臨したい。
そこで、漢の天子の娘と自称するおまえのハッタリが使えると踏んだわけさ》
しもべをハニートラップ要員のことと考えれば、司馬懿が自分に語ったセリフは秦朗の想像どおりなのだ。
だが、自分をこの世界の主人公だと信じたい董桃は、
「消されるなんて嘘。そんなの、ただのあんたの想像じゃない!あたしは転生した時から、逆ハーレムを達成してハッピーエンドを迎えるって決まってるんだから!」
と強がりを言う。
「そっか。ま、オレは同じ転生者の誼みで忠告しただけだ。
だが忘れるなよ。あんた自身が乙女ゲーム『恋@三』のシナリオを改変してしまった以上、もとのシナリオと同じくあんたがハッピーエンドを迎えるとは限らないんだぞ。
オレは司馬一族は仁徳のカケラもない、史実どおりの極悪人だと思ってる。すでに司馬懿はあんたを使って、曹丕と献帝を一挙に破滅させる謀略を仕掛けているに違いない」
現に史実では、司馬懿の息子の司馬昭は魏を乗っ取るために、魏の四代皇帝・曹髦|(高貴郷公)を軟禁し、追い詰められて決起した主君の曹髦を弑逆するという前代未聞の大罪を犯すんだ。




