177.関興、賭けに出る
まぁ、孫紹はそう出るだろうな。オレの想定どおりだ。
(チビちゃん、俺に命じてくれれば、孫紹を剣で脅して言うことを聞かせてやってもいいぞ)
甘寧が剣の柄に右手を添えながら、オレにそうささやく。
いや、そうじゃない。孫紹(というか、裏にいるブレーン)は駆け引きを望んでるんだ。どこまで有利な条件を提示して来るか、こちらの出方を窺っているに違いない。
逆に「うん、いいよ♪」と二つ返事で快諾された方が、なにか罠を仕掛けられているんじゃないかと疑ってかかる必要があると思う。
オレは笑みを湛えて、
「せっかく遠路はるばるやって来たのに、許都に入城しないで引き返すのはもったいないよ。学園への入学を取りやめたとしても、他に用事を作ればいいじゃないか!?
そうだ!孫紹君は会稽太守に任命されて以来、宮殿に参内して献帝陛下に拝謁したことがないんだよね?」
「確かにそうだけど……でも、三年も経って陛下へ就任の挨拶なんて、今さらって感じがしない?」
「チッチッチ。オレに良い考えがあるんだ。
霊帝…ああ、今は穆帝と改められたんだっけ、かの先帝の陵墓造営のために冥加金を献上しろって朝廷からお達しがあっただろ。孫紹君もたぶんまだ支払っていないよね?」
「うん。二十五万銭なんて大金、すぐには用意できないよ」
オレの目がキラリ☆と光る。
そう。荊州一州を治める関羽軍閥と、揚州のうち三郡しか領有していない孫紹軍閥との間には、国力に大きな差がある。強欲な漢の朝廷は、オレの所に百万銭なら、孫紹の所にはたぶん3分の1~4分の1くらいの冥加金を要求しているだろう。つまり、今オレが手持ちの三十万銭くらいあれば足るのではないか?という読みだ。
その読みが当たったと知ったオレは、賭けに出る。
孫紹の目の前に金を積み上げて、
「ここに三十万銭ある。君の自由に使ってくれ。
その代わりと言ってはなんだが、オレの望みである鴻杏ちゃんの救出作戦に、手を貸してもらえないかな?」
孫紹は(本気で言ってるのか?)と訝しんでいるのか、オレの顔をじっと眺め、やがてふぅっと大きく息を吐くと、
「本当にあの人が予想したとおりだ。ねえ、君たち実は裏で示し合わせてるんじゃないの?」
あの人とやらが誰か分からんが、孫紹のバックに知恵が回るブレーンが控えているのなら、オレが提示した、お互いWin-Winとなる美味しい誘いに興味を持たないはずがない。さあ、孫紹(の裏にいるブレーンのあの人)はどう応じる?
「条件があるよ。
一つ。僕は曹操閣下と曹丕殿下の争いに関わるつもりはない。
二つ。僕は関興君がこれから行おうとしている救出作戦のことは一切関知しない。たとえ君がしくじって捕縛されたとしても、僕は君を助ける義務を負わない。
三つ。関興君が供出してくれた三十万銭を僕がどう使おうが、君は一切口出ししない。結果がどうなろうと、それは僕のせいじゃないし、三十万銭は君に返金しない。
この三つの条件を呑むならば、君が許都に潜入してガールフレンドとやらを連れ出す際に、僕の供の中にこっそり紛れ込んだとしても、気づかないフリをしてあげる。これでどうだい?」
ああ、当然だ。オレが孫紹でも同じ条件を付けるだろう。
「ありがとう。君に迷惑は掛けないと約束しよう。恩に着るよ」
オレは孫紹と固く握手した。
よし。これで甄洛を連れて、許都から安全に脱出する手段を確保することができた。と同時に、許都の外港に停泊させている孫紹の軍船の中に、あらかじめ杜妃を忍び込ませておけば、その間オレたちは安心して許都に潜入することができる。
オレの賭けは当たったのだ!
「もう……君が何を企んでいるのか知らないけど、危ない真似はしないでよ。これでも僕は関興君のことを本気で心配してるんだからねっ!」
孫紹は呆れたようにオレに告げた。
-◇-
許都の外港に軍船が到着すると、孫紹は漢の朝廷に大歓迎された。やはり、穆帝陛下の陵墓造営の冥加金を持参したことが高く評価されたようである。
オレと甘寧は、孫紹一行のお供に紛れて素知らぬ顔で許都に入城し、曹麗と連絡を取り合うことに成功した。これから後宮に匿われている甄洛と鴻杏を救出する手はずを整えなければならないが、孫紹の軍船に逃げ込めばなんとかなりそうな気がする。
ところが軍船内では、容易ならぬ事態が発生していた。
孫紹がオレたち用に充てがってくれた軍船内の船室には、こっそり杜妃と曹林・曹袞を忍び込ませていた。孫紹が献帝に拝謁するため、供の者は全員下りたと思っていたが、実は一人、ブレーンのあの人が残っていたとも知らずに。
その曹林、船室を出たものの帰り道に迷って自分の船室が分からなくなり、
「ここだったかな?」
とつい艦長室のドアを開けてしまった。
艦長室で文書の整理をしていたブレーンの男は、ドアを開けた曹林をチラリと一瞥すると、
「……関興か。てっきりおまえのガールフレンドとやらを救出しに行ったと思っていたが。俺に何の用だ?」
と声を掛けて来た。
曹林は(あ、やばい。部屋を間違えた)と思ったが、男が自分と関興を見間違えたことが癪に障り、
「おい、ボクをあんなイケ好かないモブ顔の弟と間違えるでない!ボクは曹林だと何度言えば分かるのだ?!」
と憤った。
「なんだと!?きさま、関興じゃないのか?」
ブレーンの男は机から慌てて飛び出し、剣を抜きざま曹林に突き付ける。「ひいっ」と青ざめる曹林。
「ふぅむ。確かに関興とよく似てるが、あいつより間抜けな顔をしておるわ。
あいつめ、あれほど俺たち孫呉は曹操と曹丕の争いには関わらぬと申しつけておったのに……曹林と言ったか、おまえの他に仲間が軍船内に忍び込んでおるな?」
曹林はコクコクと頷く。男は思案にふけり、
「曹魏の者に俺の正体がバレたのはまずい。こいつらをまとめて口封じするか?いや待て、あいつがその気ならこっちだって……。とりあえず、おまえがいた船室に案内しろ!」
死に直面して恐怖でひきつる曹林は、しかし男の要求に応じざるを得なかった。
仮面をかぶって人相を伏せた男は、杜妃と曹袞が秘かに隠れる船室に押し入り、曹林を剣で脅しながら、
「こいつに怪我をさせたくなければ、黙って俺に従え!」
と凄む。恐怖でガタガタ震える曹袞を後ろ手に庇いながら、しかし杜妃は女だてらに、
「こんなことをしてただで済むと思ってるの?秦朗が戻って来たら、あんたなんか倍返しにしてやるんだからっ!」
と強気に吠える。男はフンと鼻で笑い、
「なぁに、すぐに殺しはしないさ。あんた達は関興を捕らえるための大事な人質。孫紹様と皇帝陛下の交渉次第では、陛下に逆らうあいつは格好の手みやげとなろう。いや、人身御供と言った方が正確かな。ふはは!
分かったら、おとなしく囚われの身になるがいい!」
(秦朗、孫紹はあなたの味方なんかじゃないわ!信用しちゃ駄目っ!)
猿ぐつわを噛まされた杜妃は、関興に届かぬとは分かっていても必死にそう願った。
仕事が忙しくて、こっちにまで手が回らない。5月末まで次話の更新は難しそう。ごめんなさい。




