19.曹操、戦いに敗れて大笑する
その時、騎兵の中から小柄な男が供を連れ、
「わははっ!参った、参った。降参じゃ」
と笑いながらオレたちの前に現れた。
張遼と関羽のおっさんは下馬してさっと跪く。ボーッと立ったままのオレに気づいた関羽は慌ててオレを正座させ、お辞儀するよう掌で頭を押さえつけた。
「よいよい。久しいのう、関羽」
「はっ。ご無沙汰しております、曹操閣下」
へえ。この威厳のある、でも優しそうなおじさんが曹操か。噂どおりチビだな。
……って、張遼にチビちゃんって言われてる四歳児のオレが言うことじゃないが。
「田豫が言っておった面白い子供とは、この子だな?」
「はっ。そのとおりでございます」
なんだ。供かと思ってたら、田豫だったのか。
「ふうむ。弱兵と見せて、己の有利な場所に敵を誘い込み、伏兵をもってこれを討つ。虚から実を生み出す見事な作戦よ」
へへっ、それほどでもないがな。
「だが詰めが甘い。崖の上の兵は偽装じゃな」
曹操がにやりと笑う。
オレはハッとして顔を上げて曹操を見る。
曹操はオレのかわいい顔(笑)を見たせいか、なぜか驚いた表情をした。
「あのう、オレの顔がどうかしましたか?」
「……いや、なんでもないぞ」
「そうですか。それで曹操閣下、崖上の兵が偽装とは……」
「簡単じゃ。わしの斥候に調べさせて、軍旗を掲げる趙雲も陳到も、劉備と一緒に新野に籠城中なのは分かっとる。あの崖の上におるはずがない。となれば、奴らが率いる伏兵もあそこにおるはずがない」
バレバレか。唐県は新野の劉備に援軍を断られたのだ。実は、斥候の鼠らに命じて、あらかじめ用意していたニセの軍旗を掲げさせただけなんだ。
「……それが分かっていながら、閣下はどうして降参したのですか?」
「わしはもともと、今、荊州を攻める意志はないからの。
ここまで軍を進めたのは、袁譚と袁尚の仲を再び裂くための釣り餌じゃ。こたびの戦に負けて撤退したと噂が流れても、わしはべつに痛くも痒くもない。むしろ、袁譚と袁尚を油断させるには好都合じゃ」
曹操は正直に理由を教えてくれる。
「ですが閣下は、騎兵を率いて我が唐県を攻めようとしておられました」
「それは坊やの認識不足じゃ。わしの領地内でどう兵を動かそうとわしの勝手じゃろうが」
「?」
「田豫と関羽が相互不可侵の約定を結んだことは聞いておる。そしてわしは、自分の領地から一歩も外に出ておらん。
領地を踏み越えた四人の不埒者は、領界侵犯で関羽に斬られた。逆に坊やの射た矢も、境界を超えた時点でぶざまに張遼に叩き落された。おあいこじゃ。
ともあれ現状、相互不可侵の約定は守られていると思うが、違うかね?」
「!」
あっさり論破された上に、オレの射た矢を貶されて不貞腐れるオレに代わり、関羽のおっさんが「仰せのとおりです」と返事した。
「それにしても、閣下は後詰で西平に駐屯中と聞き及んでおりましたが、先鋒の騎兵の中に潜んでこちらにお越しとは、いったいどういう事情でしょうか?」
と述べた関羽の質問に、曹操は平然と、
「面白い子がおると田豫に聞いたからには、ぜひ会いに行かねばのう」
マジか?!オレに会うために、わざわざ軍を率いて唐県にやって来ただと?
オレの反応に気を良くした曹操はニヤリと笑って、
「……というのは冗談で、劉表と劉備に釘を刺しておこうと思ってな。
あの兎野郎は、わしの遠征中に許昌を占拠して主上を奪うと抜かしやがった!
劉表は奴の作戦を疑って、兎野郎が自分から借りた兵を率いて逆に襄陽を攻め、自分を荊州牧から追い出すための謀略だと察知した。
そこで劉表は、ええかっこしぃの劉備は実は曹操のスパイだと騙り、曹軍を荊州に手引き入れようとしているとの流言を吹聴して、住民の不安を煽ることで、兎野郎の評判を落とそうとした。
お互いを蹴落とすためにわしの名を騙るなど、ナメた真似をしやがる!
なので、わしは虚から実を生み出してやろうと思ってな、本当に荊州に侵攻して、奴らがいかに頼りにならぬエセ君子であるかを暴き出してやったのじゃ。
ふははっ。
これでわしが華北に遠征し許昌を留守にしても、奴らは疑心暗鬼になって一歩も動けまい」
さすが曹操、やることにソツがない。
「あのう。劉備将軍が曹操閣下のスパイという噂は、事実なのですか?」
そういう設定は前世にもあったな、たしか陳舜臣の『秘本三国志』だっけ。
オレの質問に曹操はフンと鼻で笑って、
「馬鹿馬鹿しい。スパイは主君との間に強固な信頼関係がなければ務まらぬ。あの兎野郎が信用できる人間か?断じて否!
あいつこそ本物の姦雄よ!陶謙・呂布・わし・袁紹そして劉表……群雄の間を渡り歩くたびに乗っ取りを企んで来た、奴の履歴を見れば一目瞭然だろうが」
「ですが、オレは劉備将軍から自慢話を聞かされたことがあります。
将軍が曹操閣下の元で雌伏していたある日、閣下から『この乱世、天下に英雄が二人おる。それは劉備将軍とわしじゃ』と評価された、と」
まあ本当は、何かの小説で読んだだけなんだがな。曹操は苦笑いして、
「少しおだててやっただけで、それを真に受けるとは……度しがたい男だな。
だが、あの兎野郎の乗っ取り癖は利用価値があるのじゃぞ。
兎野郎をわしの敵対勢力に送り込めば、自動的に乗っ取り機能が発動して、敵は内部から攪乱される。獅子身中の虫というやつじゃ」
「なるほど。ある意味、劉備将軍は曹操閣下のスパイなのですね。内に潜む無能な味方は外敵よりも恐い、という」
「ん?そうか、そういう解釈も可能だな。こりゃ面白い。わっはっは!」
曹操は愉快そうに大笑いし、張遼将軍の方に顔を向けて、
「張遼。関羽を寝返らせる作戦は変更じゃ!
劉備はまだまだ生かしておいた方が得なようだからな。
劉表・孫権・劉璋……あの兎野郎の乗っ取り癖を利用して、わしが喰らい尽くしてやろうではないか!」
「ははっ!」
「関羽よ、おまえは劉備のそばに付いておれ。あの兎野郎に搭載された自動乗っ取り機能が発動するのを、ただ黙って見守っておればよい。
内部攪乱を恐れた敵勢力に、兎野郎が殺されるのを防ぐのがおまえの役目じゃ!
荊州乗っ取りが失敗すれば、次にあいつは必ず孫権の元に逃れようとする。おまえも付いて行け!」
「しかし……」
関羽のおっさんは、長年仕えた劉備将軍への裏切り行為に抵抗しているようだ。
無理もあるまい、劉備と関羽のおっさんの間には、他人には窺い知れない深い絆があるのだろう。
「わしを捨てて兎野郎に乗換えた罰じゃ。おまえが犯した愚かな過ちは償ってもらうぞ。だが案ずるでない。わしが天下統一を果たした暁には、おまえの功績はきちんと彰してやる。そうじゃの、鎮南将軍の号と荊州の刺史をくれてやろう」
「……分かりました。ありがたき幸せ」
逡巡した末、謀反人の劉備を生かすためにはこの方法しかないと、関羽のおっさんは渋々納得したようだ。さぞ無念だろうな。
「おまえと田豫が行っている、兵糧の密輸と相互不可侵の約定はこのまま続けろ。劉表と劉備に疑われぬよう慎重にやれよ。時折、こたびのように境界で小競り合いを起こして、カモフラージュを怠るな」
「「はっ!」」
関羽のおっさんと田豫は曹操の命令に服した。
--曹操--
生誕 永寿元年(155) 49歳
統率力 97
武力 83+5
知力 95
政治力 98
魅力 96
アイテム 爪黄飛電 倚天の剣
次回。関興の知恵と度胸を気に入り、我が子に迎えたいと願う曹操は、四年前のある出来事に思い当たります。お楽しみに!