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三国志の関興に転生してしまった  作者: タツノスケ
第六部・哀惜師友編
187/271

171.張遼、曹操救援を要請する

ようやく関興の出番です。チョイ役だけど。

●建安十六年(211)三月 荊州・江夏 ◇関興


荊州に到着するや張遼は、


「頼む、関羽殿。それに興!俺はなんとしても曹公を救出したいんだ!俺に力を貸してくれ」


と訴える。関羽は首を傾げ、


「無謀だぞ。確かに最近、俺たちは曹仁の軍を大破して領土を漢水の北・新野にまで広げた。そこまでの道を貸してやったり、船での輸送や資金・兵糧を援助することにはやぶさかでない。が、その先には宛城や武関で都督の司馬懿が待ち構え、潼関では馬超が君の行く手を阻むだろう」


と忠告する。ああ、関羽のおっさんの言うとおりだ。


「止めてくれるな!たとえ一騎になろうと、俺は陳倉へ向かう。刃向う者は一人残らず斬り捨てる覚悟だ。なあ、興!おまえも一緒に説得してくれ!」


「はぁ?嫌だよ!オレは曹操に学園を退学させられ、許都を追放されたんだぞ。恨みに思いこそすれ、なんで曹操を助けてやらなければならないんだよ?!」


オレは断るためにもっともらしい言い訳を口にした。

まあ実際には、退学とか追放とかどーでもいいと思っているのだが。


「閣下はおまえの父親かもしれないんだろうが!親を見殺しにするなんて親不孝が倫理的に許されると思うのか?」


……張遼よ、そんな虫のよすぎる話でオレを説得できると思うのか?甘く見られたものだな。


「仮にその話が本当だとしても、オレは生まれてすぐに曹操に捨てられたことは紛れもない事実。今度は自分が見捨てられる破目になったとしても因果応報、自業自得だろ。

 それにオレは今、関羽の息子として生きている。もはや赤の他人となった男の救出なんて興味もないし、引き受けてやる義理もない」


冷たくあしらうオレの返答にギリッと唇を噛んだ張遼は、


「くっ…見損なったぜ!おまえを頼ろうとした俺が馬鹿だった」


と捨てゼリフを吐く。オレは呆れて、


「馬鹿はおまえだ!いい歳したオッサンのくせに、無謀に突っ走って犬死にしたがる癖はいいかげん卒業しろ。それに、表立っておまえが曹丕に叛逆すれば、今年から許都の帝立九品中正学園に通う嫡男の張虎君は、どんな目に遭うと思っているんだ?」


「……ち、父親に命を預けて従容と死ぬのは、将軍の息子として生まれた以上当然だ。曹沖殿下だって、蒲坂(ほはん)の戦場では父親の曹公の身代わりとなって死んだそうじゃないか!」


可愛い息子の張虎が、自分が叛逆した罪の連座で殺されるかもしれないと気づいた張遼は、さすがに動揺した。それを敏感に察した関羽のおっさんは、張遼を思い留まらせるために時間稼ぎする策を思いついて、


「興、許都の学園で人質となっている張虎君を救出する手助けをしてやれ。張遼将軍もそれぐらいの時間なら待てるだろう。その後、改めて曹公を救出する方法を皆で考えてみようじゃないか!少し頭を冷やせば、何か良いアイデアが浮かぶかもしれん」


と張遼を(なだ)めた。


「フン、十日だ。それ以上は待てん。俺と連れて来た二千の兵だけでも陳倉に出撃する」


と言い放って、張遼は宿舎に下がって行った。ケッ、なんで援助を要請するあいつの方が偉そうなんだ?

(まあ実際、安東将軍の張遼の方が楼船将軍のオレより階級は上なのだが)


やれやれ、また厄介なことに巻き込まれてしまった。が、関羽のおっさんの頼みなら仕方あるまい。オレは許都へ潜入する準備を始めた。


(あっ。許都追放令は「わしにおまえの顔を見せるな!」と曹操が出したもので、彼が許都にいない今、オレが許都を訪れたって顔を合わせる可能性なんかないもんね。だからオレが許都に行っても、全然平気なのさ♪)


 -◇-


●建安十六年(211)三月 許都 ◇史渙(しかん)


その頃、許都では。


叛逆した曹熊を自殺させ、反乱軍の兵士の死体で京観(けいかん)を作って曹操派の臣下を震え上がらせただけでは飽き足らず、曹丕は帝立九品中正学園に通う令息令嬢を、己に従わせるための手段として活用することを思いついた。


「学園生は許都の城外に出ることを禁ずる!」


そうして許都内部に閉じ込めた令息令嬢を人質に「可愛い息子や娘を叛逆罪で殺されたくなければ、俺に従え!」と、曹操派の臣下へ脅しをかけようというのである。


董桃に【魅了】され、(しん)(らく)との婚約破棄の片棒を担いだ罰として廃嫡されていたチャラ男の夏侯楙(かこうぼう)は、もともと名家の出身(夏侯惇の嫡男)である。曹丕が後を継ぐとともに復活し、近衛兵を率いる近衛第四師団長に抜擢された。

その夏侯楙(かこうぼう)が、学園の令息令嬢が逃亡しないよう、許都の城門を厳重に見張っているのである。


先ほども、曹操に従い陳倉に籠る夏侯淵の息子・夏侯覇が変装して城門を通り抜け、父親の元に駆けつけようとするのを捕らえ、縛り上げたうえで牢獄に収監したのだ。


「あーあ。事態がどう転ぶか分からんのに、お偉いさん達の令息令嬢に無体な扱いをするなんて、夏侯楙(かこうぼう)の若様は阿呆なんじゃないのかねぇ……」


とつぶやくのは、近衛第五師団を率いる史渙(しかん)だ。

かつて赤壁の戦いの際には関興らBチームと組んで、炎に包まれる烏林の戦場から曹操を助け出し、許都まで護衛した。その功績を認められ近衛師団長に抜擢されたのだが、


《俺には都仕えなんて性に合わねえや》


と口グセのように唱える、気のいい将軍である。


さて、交替の時間だ。

夏侯楙(かこうぼう)から城門警備を引き継ぐと、早速部下の近衛兵が学園生らしい二人を捕らえて来た。まだ幼さの残る少年だ。ヒョロっこいが芯はしっかりしているのだろう、こんな状況で震えることもなく堂々とこちらを睨み返して来る。


「名を名乗りたまえ」


史渙(しかん)は問う。


「「……」」


二人とも黙ったままだ。


「どうして許都から脱走しようとしたのかね?」


この質問にも答えようとせず、だんまりを決め込む少年二人。いら立った近衛兵がげんこつで殴りそうになるのを、史渙(しかん)は慌てて制止する。


「待て待て。彼らがお偉いさんの息子だったらどうするんだ?後で咎められても俺は(かば)ってやれんぞ」


と諭すと、兵は憮然として腕を下した。


「この場は俺に任せて、君は警備に戻りなさい」


と命じ近衛兵を下がらせた。そうして少年二人の方に向き直ると、


「さてと。おじさんはかつて曹操閣下に恩顧を受けた身。

 仮に君たちが曹操派の臣下の令息だとしても、俺は城外に脱走しようとした君たちを称賛こそすれ、牢屋に入れるなんて卑劣な真似をするつもりはない。せいぜい学園に送り返して、脱走を「無かったこと」にするだけだ。

 だけど、名前が分からないんじゃ君たちをどう扱えばいいのか、おじさんも困っちゃうんだよね」


とフランクに声を掛けた。二人は顔を見合わせ、史渙(しかん)の人となりを信用したのか、


「僕は徐蓋(じょがい)、徐晃の次男です。こっちは張虎。張遼将軍の嫡男です」


と名乗った。


「おお!徐晃将軍に張遼将軍の!俺は二人と一緒に組んで敵と戦ったこともあるんだぞ。そうか、そうか。道理で芯がしっかりしていると思った」


と褒めると、少年二人ははにかんだように笑う。


さて二人をどう扱ったものか?

史渙(しかん)は顎に手をあてて思案する。

史渙(しかん)じしん、徐晃と張遼には親近感を抱いている。それに不利な状況に陥っても曹操に忠誠を貫き通そうとする二人に対し、秘かにエールを送りたくもあった。


「最初の質問に戻るけど、徐蓋(じょがい)君と張虎君は、どうして許都から脱走しようとしたのか、理由を聞かせてもらおうか」


まず徐蓋(じょがい)が口を開いた。


「知ってのとおり、僕の父は曹操閣下に従って陳倉に籠城しています。僕が学園で人質に取られていると知れば、父は曹操閣下に従うか僕を救うかで葛藤するんじゃないか?僕は、父には迷わず自分の信念に従って行動して欲しい。だから、父の決断の邪魔にならないように許都から脱走しようと思いました」


「ふむ。立派な心掛けだな」


続いて張虎は、


「僕の場合、親父から(ふみ)が届いたのです。


――俺は曹丕殿下に見切りをつける。これから曹操閣下を救い出すために、荊州の関羽将軍に助力を要請する。


と。あの人、直情径行で純粋な人だから、僕のことなんか全然お構いなしに自分勝手に行動するんだ!今回のことだって、忠義に生きる俺カッコええ☆くらいにしか思っていないに違いないんです。僕は親父の犠牲となってむざむざと殺されたくない。それで、学園から逃げ出そうと決断したら、たまたま徐蓋(じょがい)君と出会い、行動を共にしたのです」


「なるほど。張虎君は、張遼将軍のことが嫌い?」


「嫌いっていうか……将軍としては立派な人だと思うけど、父親としてはどうしようもないダメ人間ですね。いつも振り回されて、もう諦めの境地です」


と冷めた気持ちを語った。


だが、張虎の話はそこが重要なのではない。

張遼将軍は、荊州の()()()()()()()()()()した、らしい。


と言うことは、絶対にあの生意気なクソガキが、張遼将軍の息子を救出しに許都へしゃしゃり出て来る!あいつが建てた策は、何故か知らんが必ず成功するんだ。それに今回ばかりは、俺も成功して欲しいと願っているし、な。


「ふふっ、決まったな」


史渙(しかん)徐蓋(じょがい)と張虎を(かくま)うことに決めた。木を隠すなら森の中に。追われる者を隠すなら追っ手の側に。史渙(しかん)は二人を近衛師団に入隊させた。そして。


「フン、あいつに高く恩を売りつけてやろう」


と笑いながらつぶやいた。史渙(しかん)はあの生意気なクソガキ――関興と再会するのが楽しみだった。


史実によれば、史渙(しかん)は中領軍(近衛師団を司る最高の長)に昇進し、建安十四年(209)に亡くなります。時期的に、傷寒病が死因だったのかもしれません。この世界では、張仲景の防疫が成功し傷寒病の流行が抑えられたため、建安十六年(211)になっても生存しています。

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