169.献帝、曹操を朝敵と定める
曹操は、己が馮翊の地で健在なことを天下に知らしめんと号令を発した。
「皆の者、心配をかけたな!潼関の戦いでは、危うく馬超の小童っぱに不覚を取るところであったが、わしはこのとおり健在じゃ。
さぁ、曹魏の諸君よ!皆の力を結集して今より反撃に向かおうぞ!」
「おおーっ!」
「さすが我らが曹操閣下!万歳、万歳!」
「丞相がおればもう安心だ!」
「馬超なんぞ、やっつけてやる!今こそ曹魏の力を思い知れ!」
……と、曹操が思い描くような展開にはならなかった。
曹操の号令を聞いた臣下らの実際の反応は、荀彧が危惧したとおり、
「今さら曹公が生きていたと言われても……」
「すでに曹丕殿下が新たな後嗣ぎとして立っておられるしなぁ」
「どうする?このままだと、曹操閣下と曹丕殿下の争いとなるぞ」
「そりゃあ、勝った方に味方するに決まってるじゃないか!」
「じゃあしばらく様子見を決め込むとするか……」
と勝ち馬志向の浅ましい態度を示す臣下がほとんどであった。
そんな中、曹操生存を知って強烈に反応した者が一人いる。
献帝だ。
「そ、曹操が生きておったじゃと?!どういうことだ?
奴が死んだと聞いたから、朕はこの手に実権を取り戻そうと……奴に無断で行なった朕の改革を知れば、烈火のごとく怒り狂うに違いあるまい。
どんな目に遭わされるか……ひいいぃーっ!」
長年虐げられ続け、すっかり曹操恐怖症となった献帝はパニックに陥った。そんな醜態を見ながら司馬懿は舌打ちをし、
(チッ、馬超の奴め!あれほどお膳立てをしてやったのに、曹操を仕留めることに失敗しやがったとは。とんだ役立たずだ)
と悪態を吐いた。
「陛下、落ち着かれませ」
「これが落ち着いてられるか!や、奴が許都に戻って来るのじゃぞ!せっかく故郷の洛陽に遷都しようとした宿願も破れるのじゃ。まさか曹操は、放伐と称してこの機会に朕の首を刎ねるやも……」
顔は青ざめ、ブルブルと震える献帝。
(ふむ。この状況を逆手に取れば、帝と私の立場を逆転できる)
と瞬時に判断した司馬懿は、
「陛下。慌てずとも、私に策があります。
もしも曹操が許都に戻れば、子息の曹丕を押し除けて中央政界に復帰いたしましょう。せっかく曹魏を継承した曹丕は、一転して危うい立場となります。下手をすれば、曹操が生きておるにもかかわらず、死んだとの誤報を鵜呑みにし、丞相の地位を乗っ取った謀叛人として処罰されるやもしれません。
――そのように煽れば、曹丕は必ずや反曹操に傾き、全力で曹操の帰還を妨害するに違いありません」
「な、なるほど」
「そこで陛下が、曹丕の背中をそっと後押しして差し上げるのです。朝敵の曹操を討て、と」
「ほう。それで?」
「陛下には、曹魏の四州を統べる曹丕殿下、雍・涼二州の都督である鎮西将軍の馬超、司隷・荊の二州の都督である私が付いております。対する曹操の手駒は、馮翊の陣に籠る一万の兵のみ。
まして、こちらは“漢”の錦の御旗を掲げておるのです。
勝ち馬志向の曹魏の群臣はもちろん、曹魏に服さぬ地方軍閥でさえ、陛下と曹操のどちらに味方するか、火を見るより明らかでしょう」
「よくぞ申した!さすが知恵者の司馬懿じゃな。頼りにしておるぞ」
献帝は満面の笑みを見せた。
-◇-
●建安十六年(211)三月 許都・丞相府
「なに?!父上が生きておっただと?めでたいことだ、これで曹魏は安泰だな」
と曹丕は無邪気に喜ぶ。フン、能なしめ。だが、それも想定の範囲内と司馬懿は計画どおり顔をしかめ、
「……果たしてそうでしょうか?」
と懸念を表明する。
「ん?どういうことだ?」
「もしも曹公がこの許都にお戻りになれば、殿下の継承はなかったことにされ、冀州・兗州・青州・豫州の四州は取り上げられて、もとの一王子の立場に格下げとなりますぞ。
それだけで済めばまだしも、下手をすれば、曹公が生きているにもかかわらず戦死したとの虚報を鵜呑みにし、これに乗じて丞相の地位を乗っ取った謀叛人として、殿下は死刑に処せられるかもしれません」
司馬懿の説明を聞いた曹丕は、父上なら十分にあり得ることだと思い、顔を青ざめ、
「お、俺はそんなの嫌だぞ!どうすればいいのだ?」
と動揺した。
華歆が慌てて話を止め、
「待て、司馬懿よ。殿下を脅す前に、己が身を心配せねばならぬのではないか?」
「はて、どういう意味でしょう?」
「曹公が生きているにもかかわらず、戦死したとの虚報に乗じて曹丕殿下を後嗣ぎに擁立したのは司馬懿、その方ではないか!」
「ええ、もちろん認識しております。ですから、私は責任を取って曹魏の軍師を退く所存」
「元凶のくせに、そのような甘い責任の取り方があるか!」
「これは異なことを。思い出して下さい、曹公が戦死したとの誤報を許都にもたらしたのは、弘農の張郃将軍でした。私は政治空白を作らぬために、曹丕殿下を擁立してはいかがか?と提案したまで。それが結果的に勇み足であったことは認めますが、元凶とは聞き捨てなりませんな」
「……」
華歆は司馬懿の反論に沈黙する。
「元凶と言うなら、丞相府で文官最高の地位を占める、荀攸卿・鍾繇卿・華歆卿の御三方のお立場は、確実に危ういものとなりましょう。なにしろ、張郃将軍がもたらした曹公が戦死したとの誤報を鵜呑みにし、私の勇み足の提案に最終的にGOサインを出したのは、他ならぬ御三方なのですから」
「「!」」
華歆と鍾繇は絶句した。荀攸が腹立たしげに、
「いいかげん、その減らず口を噤め、司馬懿。責任なら私一人が腹を切れば済む話だ。曹丕殿下や二卿を煽るでない」
と注意した。司馬懿は肩をすくめて、
「分かりました。されど、これだけは申し上げなければなりません。
せっかく漢に帰順した鎮西府の馬超将軍は、曹公が生きておられると知れば、果たしてどう動くでしょうか?
無実の馬騰殿を曹公に誅殺された馬超将軍は、再び曹公を父の仇と狙うに違いありません。両者の開戦は避けられないのです。
その時、漢の臣たる我々はどちらに味方すべきなのか?」
「決まっておろう。もちろん曹公の救援をするまでよ」
と荀攸が即答する。司馬懿は苦笑して、
「荀攸様、現実を無視した優等生的発言なら誰でも簡単に言えますよ。ですが、私が懸念していることは三点あります。
まず、兵十万を擁した曹公ですら苦杯をなめたのに、凡夫の我々が馬超将軍を討ち破ることは可能だろうか?というのが一点目。
よしんば曹公の救出に成功したにしろ、かえって曹公に罪を着せられる目に遭うのではないかという疑いがぬぐえない。これが二点目。
さらに……」
と告げた時、タイミングよく献帝の佞臣・黄奎が勅令を持って現れ、
「献帝陛下は鎮西府の馬超将軍に対し、「朝敵の曹操を討て」との詔勅をお出しになられました。曹魏の方々には馬超将軍を救援し、ともに朝敵を撃ち果たしてもらいたいと陛下はお望みです」
と読み上げた。あまりに無体な勅令に、荀攸は怒りをぶち撒け、
「黄奎卿よ。儒者の貴殿が曹丕殿下に向かって“父親殺し”に協力せよとはよく言えたものだ!忠孝に反するそのような勅令など聞けるか!」
と声を荒げて拒否するが、司馬懿はわざとらしく頭を抱えて、
「手遅れでしたな。今お聞き及びのとおり、我らがどう足掻こうと、曹公は献帝陛下から朝敵と認定されてしまいました。“漢”の錦の御旗は、明らかに馬超将軍の方にあります。漢の臣たる我々は、求めて逆賊の汚名をかぶるべきか?これが三点目。
以上三点を踏まえて、我々はこの難事にどう対処すべきかを、よくよく検討する必要があるかと存じます」
「……」
曹丕それに荀攸・華歆・鍾繇ら一同は黙り込む。司馬懿は三卿に向かって諭し、
「宿老の方々は言い難いでしょうから、敢えて私から口火を切りましょう。
果たして我々は多くの兵を動員し膨大なコストを掛けてまで、曹公を救い出す意味があるのでしょうか?
いま現在、馮翊の陣に逃げ込んだ曹公の有する兵力はたったの一万。これでは潼関を占拠する馬超将軍を討ち破り、自力で許都に帰還することもままなりません。
翻って、曹公の所在が分からなかったこの一か月、曹丕殿下をはじめ丞相府を預かる三卿は、立派に政務を切盛りされて来ました。曹公の寿命を考えれば、いつまでも公のカリスマに頼ってばかりもいられません。
これを機会に、曹公には政治の世界から引退願うのが宜しいのではないでしょうか?」
「……司馬懿よ、これまで多大の功績を重ねて来られた曹公に向かって不敬であるぞ」
と荀攸は不快感を表明する。だがその叱責にもはや説得力はなかった。
「引退勧告、か……」
そう。我らは曹公を見殺しにするのではない。我らが後押しする曹丕殿下にその座を譲ってもらうだけだ。
華歆・鍾繇の二人は、司馬懿が語った“引退勧告”という免罪符に心が揺れる。
「華歆卿、鍾繇卿、耳障りの良いこやつの甘言に惑わされてはなりませんぞ!」
荀攸が懸命にたしなめるが、司馬懿の悪魔のささやきに最も乗り気なのは他ならぬ曹丕だった。
もともと曹操に廃嫡されたり無期限の謹慎処分を食らうなど、屈辱的な忌まわしい過去を思い出した曹丕は、
「この曹丕、陛下の勅令に従うことはできませぬ。あれでも曹操は我が父でございます。馬超を救援するつもりなど毛頭ありません。
なれど、父・曹操を政治の世界から引退させることで、陛下の思召しに添うとともに、この身にふりかかる朝敵の汚名から禊祓いしたいと存じます」
と献帝の佞臣・黄奎に返答した。
なんのことはない。
勅命に従わず馬超への救援は拒否する、と一見曹操への援護を装いながら、その実、曹操は引退させるから自分たちの身分・地位はこのまま安堵して下さいね、それを認めてくれるなら馬超が朝敵となった曹操へ仇討ちすることに異議は唱えませんよ、と献帝にしっぽを振ったわけだ。
目論見どおりの展開にほくそ笑む司馬懿。
荀攸は失望して尚書令の職を辞し、病気と称して自宅に引き籠った。
こうして曹魏の輿論は曹操派と曹丕派に割れた。もっとも、漢の献帝に逆賊と認定されてしまった曹操に忠誠を誓う者は少数であり、大多数は傍観を決め込んで、優勢そうな曹丕に形だけ与する者ばかりであったが。




