167.馬超、曹操の死に懐疑する
さて。
荊州との国境線を、かつての故・劉表統治時代にまで後退させてしまった曹魏では。
“漢”の錦の御旗を掲げて大軍で関羽を討伐したにもかかわらず、あっさり撃退されて漢水より北の領土を失い、宛にまで撤退せざるを得なかった曹仁は、敗戦の責任をとって都督の職を辞した。
曹仁は、無謀な討伐を唆した献帝や軍師の司馬懿を責める言葉を一切口にせず、
「荊州都督として軍を統轄する立場にありながら、逆賊の関羽らに為すすべなく敗れ、また、使持節の専断権を持ちながらそれを行使せず、ここまで関羽や秦朗の増長を見逃してしまった自分の失着」
が敗因だと申し出たのだ。男らしい潔さだな。
(だが、ここで当事者の曹仁が献帝や司馬懿の非を糾弾しないから、彼らは反省することなく政治の中枢に居直り続け、膿が溜まっていくんだぞ!)
そんな曹仁の境遇に同情した程昱や腐れ儒者イヤミ三銃士(董昭・華歆・桓楷)らは、
「おのれ関羽、許すまじ!曹魏全軍を挙げて荊州を滅ぼさん!」
と強硬路線を主張した。一方、荀攸・陳羣ら穏健派は、
「いや。もとはと言えば、先に手を出した我が軍が悪い。
見せしめと称して荊州への侵攻を教唆した献帝や、関羽や秦朗の実力を甘く見て今回の軍事作戦を立案した司馬懿の浅はかさが敗因だろう。
かつて揚州刺史の劉馥が戒めたとおり、関羽や秦朗が驕慢にならなければこのまま曹魏の下で飼い馴らすべきで、曹魏の方から決して敵対関係に追いやってはならないとの遺言を思い出すべきだ」
と、荊州との融和路線を探った。
一方、我が荊州軍閥内でも、関羽のおっさんや甘寧は領土が増えたことを素直に喜び、特に好戦的な魏延は「一気に許都を陥落させましょう!」と意気込んだが、さすがに二将の反対にあって大口を閉じた。
だけどなぁ……。オレ自身は、急激な拡大が必ずしも好ましい結果を生むとは思わないんだ。守るべき領地が増えることで兵や配下部将が分散され、かえって軍閥の弱体化に繋がるという『荀子』の教え(たとえ領土が増えても民心が失われれば、面倒ばかり増えて功績は少ない。防衛範囲が広がる反面、守備力は落ちる)を思い出し、そう懸念を伝えた。
むしろ、曹魏内部の荀攸・陳羣ら荊州との融和派を援護するためにも専守防衛を徹底し、これ以上曹魏と対立する意志はないと表明した方が政治的に有利だろう。この主張には魯粛や潘濬が賛成した。
そこで、今回奪った領地は曹魏との緩衝地帯として代官を立てて間接統治とし、我が関羽軍に移住を希望する住民にはそれを許し、もとの土地に残りたい住民にはそれを認める布告を出してはどうかと提案した。
「じゃあ、チビちゃんはその代官とやらに誰を当てるつもりなんだよ?!」
と甘寧が毒づく。
そうなんだよなぁ。
荊州の人材はあらかた劉備について行き、揚州の人材は孫紹や周瑜に獲られ、益州の人材にはツテがない。オレたち関羽軍とは親密で、曹魏とも友好的な関係。曹魏の侵攻に目を光らせることのできる戦上手。そんな武将が在野で簡単に見つかるわけがない。そう、今のオレには手駒がないんだ。
何か良い手がないものか?
◇◆◇◆◇
●建安十六年(211)一月 蒲坂 ◇馬超
時間を少し巻き戻し。
大勝した蒲坂の戦場で指揮を執る馬超の顔は浮かなかった。
敵の軍師・司馬懿がなぜか暴露した軍事機密が本物だと賭けた馬超は、曹操が黄河を渡る隙を突いて背後から一気呵成に襲った。
岸辺に残され逃げ惑う敵兵を馬で蹂躙し、武器を捨てて命乞いする敵兵には無慈悲に皆殺しを命じた。冷酷と思われようが、この戦は父・馬騰の仇討ちなのだ。それに我が涼州軍には、捕虜となった敵兵を養うだけの余分な食糧などない。残酷な話、戦う相手が悪かったと諦めよ。
そうして林の中に単騎で逃げ込む怨敵・曹操の姿を目撃した馬超は、馬岱に命じて長槍兵五千で後を追わせた。
この戦力差ならさしもの曹操も追い詰められよう、俺の手で奴の首を刎ねる刻もまもなくだ、と楽観していた馬超だったが、いくら待てども肝心の曹操捕縛の報が届かない。
馬超は焦った。
すると“盟友”の韓遂の隊からどっと歓声が起こる。
「何事か?」
「大将!韓遂殿の斥候が、曹操と太子の曹沖の戦死を確認したそうです」
と謀臣の皇甫酈が吉報をもたらした。
本当だろうか?現地にいる俺ですら懐疑的なのに。
「ええ。“盟友”とは名ばかりで反覆常ない韓遂殿のことです、彼の話を100%鵜呑みにするのは危険だと某は思います」
謀臣の皇甫酈も警戒心を露わにする。
「それにどうやら韓遂殿は、ひんぱんに漢の朝廷の使いと名乗る者と“接触”しているとか。もともと恩賞目当てで参加した韓遂殿は利に釣られ、敵の片棒を担いで虚報をバラ撒き、我が軍の油断を誘っているのかもしれません」
「うむ……あり得るな」
そこへ喜色を浮かべた韓遂が馬を駆けて近づいて来た。
「御曹司よ、めでたいかぎりですな!すでに聞き及びとは思うが、わしの放った斥候が曹操と曹沖の戦死を確認したそうじゃ。弘農にいる敵将・張郃の陣の慌て具合を観察するに、その報せは間違いではあるまい。これで馬騰殿も浮かばれよう」
「ご協力、感謝いたす」
「なんのこれしき、御曹司とわしの仲ではないか!こちら岸の敵はあらかた殺し尽くした。後は、黄河を渡り馮翊へ向かった敵の残党を掃討すれば、我々の勝ちじゃ」
そうかもしれぬが……。
馬超はまだ疑念があった。
数刻前、伝令より、林の中へ曹操を追った馬岱が敵の親衛隊長・許褚を討ち取ったとの報告を受けた。続いて、曹沖と遭遇した馬岱軍が応戦中との早馬も届いた。ところがそれ以降、伝令の報告はぷっつりと途絶えたのである。
馬岱も行方知れずなのだ。
右腕と頼む龐徳ほどではないにしろ、馬岱は馬一族の遠縁、俺はそれなりに評価し遇して来たつもりだ。“盟友”とは名ばかりで何を考えておるか分からぬ韓遂とは異なり、まさか敵と通じて我が涼州軍を裏切るような真似はしないと思うが……。
あるいは。
文武両道と噂の曹沖が獅子奮迅の活躍を見せ、馬岱を返り討ちにし、曹操を警護して馮翊への逃亡に成功したとか?いや、それは考えられぬ。一騎対五千で戦って勝利を収めるなんてあり得ない。一騎当千の猛将と誉めそやされる俺ですら、不可能なことは自覚している。
――もしやあの時。
突如戦場に響き渡った轟音とともに、林の奥で火柱が立ち上がるのを馬超は見た。
が、それも一瞬のできごと。轟音は戦場の喊声にかき消され、火炎は単なる烽火の見間違いであろうと気にも留めず、対岸に逃れようとする敵軍の掃討に追われて確認を怠っていた。
馬超は遅ればせながら、偵察を兼ねて林の奥へと向かった。
そこで見た光景は異様であった。
林は真っ黒に焼け焦げ、倒れた木々は煙を燻らせながら炭化している。そして曹操を追っていたであろう涼州軍の長槍兵が、あまた地面に斃れ臥しているのである。
「なんだ、この災厄は……」
嫌な胸騒ぎがした。
「大将!息のある者を何人か発見しました!」
そう叫んだ偵察兵のもとへ急いで駆けつける。
「おい、何があった?詳しく話せ!」
倒れていた長槍兵の証言はまちまちであった。
ある者は火球(隕石?)が大地に落下した衝撃で皆吹き飛ばされたと言い、ある者は火罠にやられたと考え、仕掛けられていた硝煙・柴草に引火し爆発したと証言し、ある者は大木に雷が落ちて林全体に延焼したとの目撃談をまことしやかに語り、またある者は大地が割れて龍が現れ空へ舞い上がったと話し、ある者は第五使徒・ラミエルのごとく高火力の加粒子砲により長距離から狙撃されたに違いないとの見解を述べた。
いずれにしろ、曹操・曹沖の死体は見つかっておらず、現時点では彼らの生死は不明としか言えない。
いやむしろ、曹操を追っていた長槍兵が皆ここで斃れ臥しているということは、おそらく曹操はいずこかへ逃げ切ったと考える方が蓋然性が高いだろう。
くそっ、戦いには勝利したが戦略的には失敗だったということか。
なるほど涼州軍は戦いに勝って士気は高いけれども、この地で長槍兵は全滅。長安・潼関で守りに就いた兵をすべて合わせても、兵の数は曹魏軍に比べて劣勢。しかも馮翊・弘農と前後から挟撃できる布陣を敵に許してしまった。これでは進退に窮し、我々が最も苦手とする持久戦に持ち込まれてしまうではないか!
一刻も早く蒲坂から離れるに限る。だが俺は大将だ、不安を表に現すのはマズい。
「ここで見たことは一切他言無用。
災厄の原因は引き調査するが、この惨状だ。よもや曹操と曹沖が生き残っているはずがあるまい。ひとまず潼関へ集結する。皆の者、凱旋だ!勝ち鬨を上げろ!」
「「おおーっ!」」
これでよい。馬超は己の不安を呑み込んだ。
生き残ったモブの長槍兵の中にたぶんエヴァ好きの転生者がいる・笑。




