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三国志の関興に転生してしまった  作者: タツノスケ
第六部・哀惜師友編
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166.関興、曹仁軍を返り討ちにする

司馬懿と馬超の二人を味方に取り込むことに成功し、気を大きくした献帝は、過日、亡き父帝の陵墓造営のための冥加金の寄付を断った荊州のことが気に入らない。


「朕の顔に泥を塗りおって!朕の意向に逆らった奴らに見せしめを与えたいものだ」


「桃も賛成!荊州って、秦朗がいる所よね?陛下、あたしをひどい目に遭わせたアイツに仕返しして欲しいですぅ☆」


「司馬懿よ、聞いてのとおりだ。手段は問わぬ。おまえの知恵の見せどころ、存分に発揮するがよい」


「畏まりました。でしたら、陛下にひとつお願いが」


「ん?申してみよ」


「現・荊州刺史である関羽を排し、改めて私を荊州刺史に認定くださいますように。おそらく関羽は素直に従いますまい。都督荊州諸軍事の曹仁将軍と協力し、実力で荊州を奪い取ってみせます」


司馬懿の悪だくみにニヤリとほくそ笑んだ献帝は、


「よかろう。考えてみれば、司隷の都督であったおまえから長安の領地を削ってしまった埋め合わせともなるな。荊州の件はおまえに任せたぞ」


「御意」


そうして司馬懿は“漢”の錦の御旗を掲げ、曹仁率いる荊州(都督)軍七万,于禁と司馬懿率いる豫州軍八万を、関羽の治める荊州に向けて同時に侵攻させた。


◇◆◇◆◇


●建安十六年(211)二月 唐県 ◇関興


「曹公が死んだ?!真なのか?」


(なじ)みの商人から、曹操と曹沖が蒲坂(ほはん)津で馬超の奇襲を受けて敗死したとの噂を聞いた関羽のおっさんは、驚きの声を上げた。


「ええ、どうやら本当らしいですよ。許都の丞相府も慌ただしく今後の対応を協議しているとか」


関羽のおっさんがチラリとこちらに目を向ける。オレもすぐには信じられなかったが、(ねずみ)に替わり許都に放っている斥候の(ましら)から先ほど連絡を受けていたオレは、こくりと頷いた。


「そうか。天下は再び荒れるかもしれぬな……」


(つぶや)く関羽。


ああ、オレも同感だ。

好き嫌いは別にして、中国に今の小康の世を(もたら)した最大の功労者は、間違いなく曹操だ。その彼が死んだとなれば、今まで鳴りを潜めていた弱小群雄や賊徒がにわかに暴れ出し、再び天下が乱れかねない。

我が荊州だけでもそんな事態は避けなければ、と憂う関羽のおっさんの(つぶや)きは、一国の主として適切だろう。


だがオレの場合は――学園でともに過ごした気の合う友が死んだというのに、真っ先に抱いた感情が友の死を悼むのではなく、再び起こる天下大乱を予想して憂鬱になるってどういうこと?


オレって冷たい人間だったんだな……。

と自己嫌悪になったが、今は感傷に浸っている場合じゃないやとかぶりを振って、


(ましら)の報告によれば、樊城からは曹仁の軍七万が、許都からは“漢”の錦の御旗を掲げ、于禁・司馬懿の率いる豫州軍八万が侵攻中とのこと。急ぎ迎撃の準備を整えなければなりません」


「……興。おまえのことだ、すでに策は練っておるのであろう?」


「はい。さすがに我が荊州軍六万で、十五万の大軍を同時に迎え撃つ愚は避けたいところです。それゆえ敵を分断し、各個撃破したいと思います」


樊城から出撃する曹仁軍の狙いは、河を渡った対岸の襄陽。許都から出撃する于禁軍の狙いは、ここ唐県だろう。


「許都から唐県に至るには、淮河を渡らなければなりません。そこで……」


先日、帰順した河賊の裴元紹(はいげんしょう)らに命じて、渡河する于禁軍をゲリラ的に襲い撹乱させる。特に輜重部隊を狙うのが効果的だ。相撃ち覚悟で討死させる必要はないのだから。こうして敵の進軍を妨げ、唐県に到着するタイミングを一か月遅らせる。


「その間、我々は樊城から出撃した曹仁軍七万に迎撃を集中できます。と言っても、船で渡河中の敵軍はしばらく放置し、こちら側に上陸を許してやりましょう。なにしろ、我が軍には秘密兵器があるのですから。その実力を試すいい機会だと思うのです」


秘密兵器。

そう、馬釣(ばきん)が発明した敵迎撃用の霹靂車と連弩だ。

襄陽の城壁の上に設置した五台の霹靂車は、対岸の樊城をめがけて巨石を砲出する。


「撃てーぃ!」

「へっ。どこを狙ってるんだ、ノーコンか?!」


船で渡河中の敵兵は、霹靂車が当然自分たちを狙って来ると予想し盾を構えていたのに、自分たちをはるかに飛び越えて遠方に射出された巨石を見て笑い出した――が。


襄陽の霹靂車から砲出された巨石は、一里(約500メートル)離れた対岸の樊城の城壁にスピードが乗ったまま到達し、たった五発で樊城の城壁の南面はこなごなに粉砕されたのである。


「ばっ、馬鹿な?!あの遠距離だぞっ」


一般の投石機が出せる飛距離は、この当時六十歩(約100メートル)が限度だったらしい。一方、天才発明家・馬釣(ばきん)は、彼独自の高張力バネと足踏み式の歯車、それに我が荊州軍閥が誇る贋金作り、もとい鋳造技術を駆使した耐荷重用の鉄加工技術を組み合わせて、五倍の性能を持つ霹靂車を造り上げたのだ。

これは13世紀に元のフビライが南宋最大の要塞を陥とすのに使用した、回回(フィフィ)砲を彷彿(ほうふつ)とさせる。


敵軍が、雷のように城中を震わす轟音に驚いて振り返ると、自分たちの帰るべき樊城の城壁が破壊され、街には黒煙が立ち昇っているではないか!

想像を絶する兵器の威力を目の前にして浮足立つ曹魏の兵に、将軍の曹仁は、


「ええぃ。襄陽に籠城する敵軍はせいぜい二万。我が軍は七万だぞ!城を囲みさえすれば数の力で圧倒できる!樊城のかわりに襄陽を陥とし、こちらを新たな基地とすればよい。いざ進めっ!」


と鼓舞して進軍を継続したが、それもオレの狙いどおり。


渡河中の敵軍には甘寧率いる楼船から矢嵐を見舞い、錦帆賊どもの操る艨衝(もうしょう)が体当たりをして敵船を次々と沈没させる。

こちら岸への上陸に成功した敵軍には、陣形が整う前に関羽のおっさん率いる騎兵を繰り出し散々に打ち破る。

やっと襄陽に辿り着いた敵兵には、関平君の指揮のもと、襄陽の城内から新兵器の連弩で狙い撃ちにする。


甚大な被害にたまらず曹仁は、


「ひ、退けーぃ!」


と撤退命令を出すも、甘寧率いる楼船によりとっくに漢水の制航権を掌握され、ようやくこちら岸にたどり着いた輸送船も拿捕されてしまった敵軍が、北岸へ逃れるすべはない。よしんば帰還に成功したとしても、襄陽の霹靂車から放たれる巨石で、樊城はすでに破壊されてしまっているのだ。生き残った敵兵は戦意を喪失して、ことごとく投降した。


曹仁は独りしぶとく馬で逃れ、于禁・司馬懿に合流したという。



一方、“漢”の錦の御旗を掲げ唐県へ侵攻する于禁らの豫州軍は。


河賊の裴元紹(はいげんしょう)らのゲリラ戦法に翻弄され、当初想定していた二方面からの同時侵攻を阻止されたあげく、荊州軍七万が為すすべなく殲滅された惨状を聞いた司馬懿は、さすが知力98の軍師、戦いに利あらずと見るや即時撤退を決断した。


ふん、司馬懿め。命拾いしたな。せっかく唐県には霹靂車や連弩のほかに、落し穴や火罠も仕掛けてあったのに。


まぁそれならそれでよい。

我が関羽軍は漢水を渡り、敵が逃げてもぬけの殻となった樊城を接収すると、そのまま新野城まで軍を進めてたちまち陥とし、対曹魏との国境線を大幅に北上させることに成功した。かつて劉備が居住していた新野城は、関羽軍にとっても(なじ)みが深い。城民も大喜びで我が軍を迎え入れたのだった。


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