165.司馬懿、献帝に一杯喰わされる
(数日前の出来事)
再び参内したピンク頭の董桃は、平伏しながら緊張の面持ちで献帝のお越しを待っていた。もしかしたら素性がバレちゃったのかしら?と気が気でない。そんな董桃に献帝は優しく問いかけた。
「董桃よ、楽にしてよいぞ。今日呼び立てたのはほかでもない。長らく会えなかった娘のことを、朕はもっとよく知りたいと思うてな。いろいろ話を聞かせておくれ」
「な~んだ、そんなこと。心配して損しちゃった☆」
ホッとする董桃。
「おまえは帝立九品中正学園に在学していたらしいな。成績はどうだった?」
「入学試験は前世のゲームで何度もやったことがあるから超楽勝☆あたしは全問正解でみごと特待生として入学したのよ!でも授業はつまんないしぃ、はっきり言ってェ、先生たちが何言ってるのかさっぱり分かんなかった」
献帝は苦笑しながら、
「……特待生か、大したものだ。得意科目は?」
「桃は音楽とダンスが得意でェ…」
「友達はできたか?」
「それはもう!曹丕殿下とは学園で知り合ったしぃ、攻略対象の夏侯楙様や何晏様と親しくなってェ」
「フフッ、男ばっかりではないか。まぁしかし、おまえは可愛いからな。平民として入学した董桃が、貴族の令嬢たちからやっかみを受けるであろうことは想像に難くない」
「陛下、そうなんですぅ!悪役令嬢の甄洛とかにイジメられてて…桃はすっごく辛くってェ」
親身になって同情され、緊張の糸がほぐれた董桃はつい饒舌になってしまい、
「可哀想にのう。今年何歳になったか?」
との簡単な誘導訊問に引っかかり、思わず
「17歳で~す……あっ」
本当の年齢を口走ってしまったのである。
「プッハハハ。おまえが今17歳なら、計算すると興平二年(195)つまり朕が14歳の時に生まれた子。だが朕はそんなに早熟ではなかったぞ。それに董貴妃が曹操に殺されたのは、建安四年(199)だったか五年だったか、おまえを身籠ったまま四,五年も経過するなどあろうはずがない」
「あっ間違えた。本当は13歳だったかしら?」
董桃が慌てて訂正するがもう遅い。
「董桃よ、おまえが本当に董貴妃の娘であれば、確かに13歳が正解だろう。だが実年齢が13歳なら、15歳から入学が許される帝立九品中正学園に一昨年から入学できるはずがあるまい。おまえの話は矛盾している。よっておまえは朕の娘のはずがない」
「ちぇっ、バレちゃった。あ~あ。ねぇ陛下、あたしをどうする気?」
董桃は悪びれずに開き直った。
-◇-
「――というような事件があってだな。赤の他人を朕の娘と偽って推挙したそなたの責任を、どう追及すべきか迷っておるのじゃ」
顔面蒼白となった司馬懿は最後の抵抗を試み、
「お、恐れながら陛下。綸言汗のごとし(=君主が一度口に出した言葉は、決して取り消すことができない)と申します。先日陛下は御自ら、董桃が証拠として示した亡き母親の形見の品を『確かにこのブローチは朕が妃に贈った物である』とお認めいただいたはず。それを今さら覆そうとは……」
「はて?朕は性悪なおまえ達に騙されていただけじゃ。それに今、董桃が自ら白状した年齢詐称によって驚くべき新事実が判明したというのに、これでも朕が一度発した言葉を訂正することがルール違反だと申すのか?」
献帝の反論にぐうの根も出ぬまま押し黙る司馬懿。
そこへ現れた董桃が、
「司馬懿、あんたこの期に及んで往生際が悪いわよ。あたしが皇帝陛下の娘と身分を偽ったのは本当だけど、そんなあたしに、しもべにしてやるから曹魏のお偉いさんや陛下を騙し通せと言い放ったのは、あんたの方じゃない!」
「だ、黙れっ!せっかく閉じ込められていた牢から出してやったのに、その恩を忘れるとは……くそっ。おまえの嘘がこうも簡単に見破られたのも、おまえが私の指示に逆らい董貴妃の娘だと言い張るから、年齢に矛盾が生じて偽者だとバレるのだ」
「なによ!陛下に一晩夜伽を命じられた董母とかいう侍女があたしのママだなんて、存在しない架空の人物をでっち上げる方がおかしいでしょ!」
二人の罪のなすり合いをニヤニヤと眺める献帝。
「醜いのう。だが司馬懿よ、それは違うぞ。朕が董桃を偽者だと判別したのは、董桃が年齢を言い間違えたからではない。
ブローチの色じゃ。
確かにこのブローチは、朕が妃に贈った物には違いない。が、これは董貴妃ではなく伏后にプレゼントした品物なのだ。
何故そう言い切れる?と言いたげな顔じゃな。
実はのう、婚約の証しとして妃に授けたブローチは、それぞれ色が異なっておる。伏后は赤,董貴妃は緑,曹麗は紫というように、妃の髪色に合わせて贈ったのじゃ。
董貴妃の娘と名乗る董桃が、伏后に贈ったはずの赤のブローチを証拠として差し出せば、すぐに偽者だと気づこう。
つまり、おまえ達の嘘偽りは、最初から見抜かれておったというわけじゃ。わはは」
勝ち誇ったように笑う献帝に対し、司馬懿はもはや言い逃れできぬと観念して、
「恐れ入りました。し、しかしながら私は……そこの董桃の嘘に騙され、不覚にも陛下の皇女だと信用してしまっただけにござる。罪一等を減じていただき、なにとぞ死刑だけはご勘弁を……」
と平伏した。献帝は満足そうに笑みを浮かべ、
「フン、勘違いいたすな。おまえを咎めるためにこの場で糺したわけではない。司馬懿よ、おまえは使えそうだ。どうだ、朕の懐刀として仕える気はないか?」
「わ、私がですか?」
「不服そうだな。なれど、おまえに拒否権などないことは分かっておろう。天子を誑かした不敬罪で死刑に処せられるか、今後朕に忠誠を誓い、腹心となって働くかの二者択一じゃ。おまえの好きな方を選べ」
「……御意。ありがたき幸せ、陛下に忠誠を誓いまする」
不敬罪を見逃してもらえるのであれば、否応もなく誰だって後者を選ぶだろう。
帝位簒奪の計画は一からやり直しだ。だが考えようによっては曹丕を追い落とすよりも、献帝に仕え簒奪の機会を待つ方が早いかもしれぬ…と司馬懿は思い直した。
「して、私は如何ようにすれば?」
「そうよのう。ちょうど華歆・鍾繇を罷免し、侍中の席が二つ空いておる。おまえに一つくれてやろう。それと再び郗慮を呼べ」
こうして六卿――楊彪・趙温・黄奎・荀彧(ただし生死不明)・郗慮・司馬懿の六人の侍中――が決まり、曹操の突然の死で混乱する丞相府の虚を突いて、曹魏シンパの侍中が朝廷から一掃された。
つまり、司馬懿は曹魏の軍師・司隷都督として魏の丞相府に属しながら、漢の天子の侍中の身分を有する。要は二重スパイとして漢の皇帝に尽くせと献帝に命じられたのである。
一方。
「陛下、あたしは?」
「董桃か。おまえはどうする?天子を騙した罪で縛り首になるか、朕に黙って協力し、富貴な身分を手にするか?」
脅すまでもなく董桃は献帝に媚びて、
「桃は縛り首は嫌ですぅ。もちろん陛下に協力しまぁす」
「では、董桃は引き続き曹丕を籠絡し、曹丕のそばで奴の臣下どもの言動を逐一報告しろ」
「はぁい」
献帝のロクでもない親政は着々と進んでいた。




