161.董桃、再び登場する
扉が開くと、着飾った一人の女性がおずおずと部屋に入って来た。
「!! おまえは……桃じゃないか!?」
「お久しぶりです、曹丕殿下」
そう。帝立九品中正学園で曹丕を籠絡して堕落させたあげく、甄洛の追い落としに失敗し、曹操の怒りを買って牢獄に入れられた傾国の美女・董桃が現れたのである。荀攸・華歆・鍾繇は困惑して、
「待て。この女は罪を犯して曹公に罰を下された者。勝手に牢から出した上に、政治の中枢たる丞相府に足を踏み入れさせるとは、いくら軍師とは言え司馬懿よ、ちと図々しくないか?」
と苦言を呈する。
「お控えなされ。この御方をどなたと心得る?恐れ多くも漢の天子様・献帝陛下の娘にあたる皇女様……かもしれないんですよ。もしかすると、ですけど(笑)」
「もぉー司馬懿様ったら!本当よ、あたしの話を信じてくれないのォ?」
司馬懿は苦笑し、
「私はともかく、こちらの偉い御三方に信じてもらえるよう、身の上話と証拠の品を示した方がいいと思いますよ」
●建安十六年(211)二月 許都 ◇董桃
一年前のあの日。
乙女ゲーム『@恋の三国志~乙女の野望』の攻略対象だった曹沖から曹丕に乗り換えたあたしは、逆ハーレムエンド目前の場面で秦朗とかいうモブの邪魔が入り、この世界の実力者・曹操に断罪されて牢屋に入れられた。
あたしと同じ転生者の、呉範とかいう陰気くさいおっさんから教えてもらった、曹沖は早死にし曹丕こそが魏の皇帝となるという史実を信じたばっかりに……。
牢に入れられた初めのうちは、同情を誘って涙声で哀願したり、牢番の男をカラダで籠絡しようと裸になって誘惑してみたが無駄だった。
くそっ。あたしをこんな目に遭わせた曹操と曹沖、悪役令嬢のくせに自分だけ幸せをつかんだ甄洛、そしてあたしのハッピーエンドを邪魔しやがった秦朗とかいうモブの四人に、絶対仕返ししてやるとひたすら呪い続けた。
三か月ほど経った頃、その機会が訪れた。司馬懿と名乗る男が牢に面会に現れ、
「私を覚えているか?」
「さあ?昔、あたしを一晩買った客?覚えてるって言ったら、ここから出してくれるの?そしたら必死で思い出してあげる。悪いけど、イケメンでも金持ちでもない客の顔なんか、いちいち覚えてないんだよね」
そっけないあたしの態度に男は呆れたように、
「フン、鶏頭め。おまえと呉範の悪だくみを知っている者だ。そのあげく、罪をひとり呉範になすりつけて獄死に追いやった性悪女だということもな」
あたしはハッと気づいて、
「!! あんたまさか……あの時、あたし達の会話を盗み聞きしてた牢番?!」
「やっと思い出したか。曹丕を陥として将来は皇后になってみせると豪語したくせに、曹操に断罪されてこのザマとは、口ほどにもない奴め」
「なによ!あたしを笑い者にしに来たわけ?そうじゃなかったら、さっさとここから出しなさいよっ!あたしは漢の天子様の娘なんだからね!粗末に扱ったら後でひどい目に遭うんだから!」
「ほざけ。おまえが偽物ということくらい、とっくに調べ上げておる。
だが、この期に及んでまだそんなハッタリを噛ませる度胸と、性悪のくせに何食わぬ顔で媚びを売りまくる厚顔無恥に免じて、牢から出してやらんでもない。
どうだ、私の忠実なしもべとならないか?」
「しもべ?」
「そうだ。おまえも将来、漢に替わって曹丕が魏の皇帝となる【先読み】の史実を知っているのだろう?私は曹操を亡き者とした後、曹丕を操る陰の実力者として君臨したい。
そこで、漢の天子の娘と自称するおまえのハッタリが使えると踏んだわけさ。成功すれば、贅沢三昧な暮らしが約束されるだろう。
おまえにとっても、牢でみじめな一生を送るよりよほどマシだと思うぞ」
ふ~ん。こいつもあたしと同じ極悪人ってわけか。
「分かったわ。で、あたしは何すればいいの?」
「そのまんまさ。漢の天子の娘というハッタリを貫けばいい。
まずは曹魏の丞相府で荀攸・華歆・鍾繇に信じさせ、次に漢の天子に謁見しなければならん。やれるか?」
「はぁ?誰に向かって言ってるの?あたしは『@恋の三国志~乙女の野望』のヒロインなのよ!その辺のモブキャラとは格が違うんだから!」
-◇-
「どうぞこちらにお越しを」
扉が開き司馬懿に促されるように、あたしはしずしずと丞相府の執務室に入った。さぁ桃、ここからが本番よ!
「!! おまえは……桃じゃないか!?」
「お久しぶりです、曹丕殿下」
あたしは曹丕に向かって妖艶に微笑む。ふふっ、まだ【魅了】の効果は残っているみたいね。
「待て。この女は罪を犯して曹公に罰を下された者。勝手に牢から出した上に、政治の中枢たる丞相府に足を踏み入れさせるとは、いくら軍師とは言え司馬懿よ、ちと図々しくないか?」
案の定、荀攸・華歆・鍾繇の三人はあたしの登場を咎める。
「お控えなされ。この御方をどなたと心得る?恐れ多くも漢の天子様・献帝陛下の娘にあたる皇女様……かもしれないんですよ。もしかすると、ですけど(笑)」
「もぉー司馬懿様ったら!本当よ、あたしの話を信じてくれないのォ?」
あたしはわざと司馬懿の腕にしなだれかかり、曹丕の嫉妬を駆り立てる。ギリッと唇を噛む曹丕。フフッ、チョロいわね。それに気づいた司馬懿は、さり気なくあたしの手を振りほどき、(おい、分かってるだろうな?打合せどおりにしろよ)と囁きながらにこやかに、
「私はともかく、こちらの偉い御三方に信じてもらえるよう、身の上話と証拠の品を示した方がいいと思いますよ」
と促した。
フン、誰があんたの思いどおりに動いてやるもんですか!
転生者だった呉範の説明によれば、乙女ゲーム『@恋の三国志~乙女の野望』で語られる、董貴妃の生んだ娘という董桃の生い立ちは、“すぐバレる嘘”なのらしい。だから呉範は、献帝の側室に董貴妃以外にも董と呼ばれる女性がいたことにして、
《今年17歳になる君を、架空の母親である董という献帝の側室が生んだのは、逆算すれば興平二年(195)のことだ。献帝が長安で董卓の残党・李傕や郭汜の暴虐に苦しみ、東の洛陽へ逃げ帰る頃。
献帝を奪い返そうと李傕らが起こした戦乱に巻き込まれた側室の董母は、逃げる途中で献帝の一行とはぐれてしまい、やむなく近くの村に身を寄せる。そこで妊娠していることに気づいた董母は、お腹に宿った献帝の御子を守りながら隠れるように暮らす。やがて生まれたのが君、董桃》
という架空のストーリーを“創作”した。そして司馬懿もそのストーリーを踏襲しろと言う。でもあたしが思うに、呉範の言うことを聞いたばっかりに、前回は断罪されて牢屋行きというバッドエンドに終わってしまったんじゃない?!
再びチャンスを手にしたこの舞台は、あたしが主役なの。今回はあたしの直感どおり、乙女ゲーム『@恋の三国志~乙女の野望』のシナリオでやらせてもらうわっ!
「あたし、ずっと弘農で生まれ育った平民だと思ってたんだけど、ママが死ぬ間際、形見となるブローチをあたしに手渡して、
『桃、あなたにずっと黙っていたことがあるの。
実は、お母さんは昔、献帝の皇后であった董貴妃様の侍女として仕えていてね。ある日、貴妃様の父君の董承将軍が曹操閣下に叛逆しクーデターを起こしたんだけど、失敗して貴妃様も連座で処刑されることになったの。
その時、貴妃様は献帝陛下の御子を身籠られていた。貴妃様の死は免れないとしても、その御子を殺すのは忍びないと言って、心ある武官の担当者は御子が生まれるまで処刑を待っていてくれた。生まれた子を逃がすために、お母さんはその子を抱いて故郷に戻り弘農の地で秘かに育てた。
それが桃、あなた。
その証しとして、大きくなったら桃に渡すようにって、董貴妃様からこのブローチを頂戴したわ。だからあなたは正真正銘、漢の天子様の皇女なのよ』
と告げられた。ね、あたしは漢の天子様の娘で間違いないでしょ?」
打合せと違う話を語ったあたしを苦々しげに睨みつける司馬懿。
フンだ、もう賽は投げられたの。今さら取り消しなんかできないわ。あんたもあたしの話に乗るしかないのよ!
董桃って誰?と思われた方は、第127話『追放』をご覧ください。




