155.駆け引き
●建安十六年(211)一月 潼関
その頃、馬超軍の陣営では。
「龐徳よ、先ほどの話をどう思う?」
曹魏の軍師である司馬懿の使者と名乗る者から、馬超のもとに内密の話がもたらされた。膠着した戦局を打開するため、曹操は別働隊を派遣し、黄河を渡って蒲坂そして馮翊へ迂回させ、敵の背後に廻り込んで東西から馬超軍を挟撃する作戦を決行するつもりだ、というものだった。
「九分九厘、罠でしょうな」
と龐徳が答える。
「常識的に考えて、曹魏の軍師たる司馬懿が、味方の作戦をおいそれとバラすはずがありません。潼関に籠る我らの軍勢の一部を割いて、ありもしない別動隊の迎撃に向かわせ、潼関の守りが手薄となったところを一気呵成に攻め陥とす作戦だと思います」
「つまり司馬懿の話は偽報、というわけだな?」
「御意」
うーむと唸ったまま馬超はしばらく考えに耽る。
「だが、このまま潼関で睨み合ったまま無為の時間を過ごすのは、兵糧に限りのある我が軍にとって得策ではない。仮に司馬懿の話が本当であった場合、亡き父の仇を討てる千載一遇のチャンスとも言える。曹操自ら別動隊を率いてやって来るとは、まさに飛んで火に入るなんとやら、だ」
「罠かもしれぬ司馬懿の誘いに乗ってみよう、と言うのですか?」
「ああ。一か八かの賭けだが、な」
「……分かりました。ならば、馮翊と蒲坂に斥候を出しましょう。まずは曹魏の別動隊の存在が事実かどうかを確認するのです。
次に明朝、曹魏軍の守る砦へ出陣してこちらから一騎討ちを仕掛けましょう。曹操本人が最初の応対に出て来るかどうかを確かめた後、先日御曹司と互角の勝負を繰り広げた徐晃を名指ししてみます。奴らが渋ってのらりくらりと誤魔化すようであれば、曹操と徐晃は砦にはおらず、秘かに外に出て別動隊を率いている可能性が俄然高くなります。
そうなれば、我らは司馬懿の話を信じ、行動を起こすのみです」
「よし、分かった。龐徳の作戦で行こう」
と涼州軍の方針が決まった。
-◇-
曹沖の語る“屋島作戦”を修正した賈詡の計略は、図らずも正史『三国志』の記述どおりだった。蒲坂へ迂回させる別動隊は陽動ではなく、別動隊こそが曹操率いる本隊だったのだ。
すなわち、徐晃・朱霊の両将軍に加え、護衛の許褚と参謀の賈詡、先導には三輔地方の地理に詳しい衛覬を据えて、曹操自ら五万の兵を率いて出陣したのである。
潼関を睨む曹魏の砦では、曹沖・夏侯淵・張郃が残り五万の兵とともに守りについた。もちろん、曹操の本隊が馮翊へ達し、潼関への挟撃体制が整うまで、馬超軍には一切の手出しは無用、との命令が下っている。
だからこの日、久方ぶりに馬超が砦の前に現れ、大声で一騎討ちを所望しようが罵声を浴びせようが、砦内は静まり返ったまま応じることはない。一度しくじった夏侯淵も、今回は曹操の言いつけを守ってじっと堪える。
やがて痺れを切らしたのか、馬超軍の将軍・龐徳が聞き捨てならぬことを言い出した。
「ふん。やはり司馬懿から送られて来た密書は本当だったのか!曹操はここにはおらず、別動隊を率いて黄河を渡り、蒲坂そして馮翊へ迂回させ、背後から我が軍を挟撃しようと謀んでいる、とな!」
「なっ…?!」
曹沖は焦る。落ち着け、これは敵が仕掛けた誘導訊問だ。賈詡の立てた計略が敵に見破られたはずがない。ここで動揺すれば敵の思うつぼ。ムキになって否定すれば「ならば曹操を出してみろ!」と迫られるのがオチだ。もちろん龐徳の言を肯定することもできない。
どうする?どう返すのが最善手なのだ?
悩む曹沖を見かねたのか、夏侯淵が独断で「明朝、いざ尋常に勝負。徐晃」と記した返書を矢にくくり付け、ひょうっと弓で射た。
龐徳は矢文を受け取ると、フッと笑みをこぼして自陣へ引き返した。
「ちょっ!明日はどう対応するのです、夏侯淵将軍?」
曹沖が不安そうに訊ねると夏侯淵は事もなげに、
「なぁに。曹公の本隊が黄河西岸の馮翊へ到達して陣を築くまでの辛抱です。せいぜい三日の間、誤魔化せればいいんですよ。明日は素知らぬ顔で「徐晃が病気に罹ったので今日は勝負できそうにない。俺でよければ一騎討ちに応じるが、いかが致す?」とでも逆に提案して、敵を煙に巻いてやりましょう」
と豪快に笑い飛ばした。
だが、なにか嫌な予感がする。
今さら後悔しても遅いが、あの計略を思いついた僕自身が父上の代わりに別動隊を率い、砦には父上が残るという布陣がベストだったのではないか?
いや、気になるのはそのことじゃない。
――司馬懿から馬超に送られて来た密書、だと?
-◇-
「馬鹿めっ。迂闊にもあの矢文で、曹操も徐晃も砦には不在であることがはっきりしました。どうやら御曹司の賭けは当たったようですね」
陣に戻った龐徳が馬超に告げる。ちょうどその時、馮翊・蒲坂へ放った斥候が知らせをもたらし、曹魏軍の工作兵数百が黄河東岸の林で木を伐って筏を何艘も作っている、とのことであった。
やはり司馬懿の使者が言うとおり、曹魏軍が蒲坂から黄河を渡って背後に廻り、我が軍を挟撃しようと企んでいるのは本当のようだ。
馬超は出陣を決意し、
「皆の者、これは弔い合戦である!
俺・韓遂・李堪・馬岱の率いる騎兵二万は、ただちに蒲坂の渡し場へ急行し、曹魏の大軍に突撃を敢行する。死を恐れるな!今こそ曹操を討って、奴の首を亡き父・馬騰の墓前に捧げるのだ!頼む。おまえらの命、この俺に預けてくれ!」
馬超の鼓舞に「うぉおおーっ!」と声を荒げる涼州兵の雄叫びがこだました。
そして関の守備を龐徳に任せた馬超は、夜が更けると声を立てぬよう兵馬に枚を銜ませ、敵に気づかれぬようひそかに行軍を開始した。




